加藤克巳『螺旋階段』Ⅰ (モダニズム短歌)


・のばす手にからまる白い雨のおと北むきの心午(ひる)を眩みぬ 

・うすじろいあさの思念になにをみし机の上にめくられてあはれ 

・書籍のかさなりくぐるむらさきの烟(けむり)たゆたふ梅雨の重たさ 

・暗い雨するりぬけて蛇の背のひかりかきくれ雨のひびかひ 

・靑き雨かぶさりてせまる窗ちかくみだらなる感覚に花をつぶしぬ 

・縞蘭の尖(とがり)つめたし暗い雨をここにあつめて紙嚙んでゐる 

・柱の傷に黒い花さく曇日(どんじつ)は襤褸(らんる)の下(かげ)で身をくねらせる 

・磁器の白に水のごとほつかり花が割れけさの生理をゆすぶつてゐる 

・雨にけさのあふれる體溫のとける色の鏡の中のアヂサヰの花 

・雨に疲れこもる身ちかく百合の花魂(たま)ゆするほどの香を發しゐる 

・桔梗のむらさきのいたさ病む胸をすりよせて石の墜つる音きく 

・ゆがんだ顔のしづしづと眼の高さまで雨は裏むきの音さへもなく

・緑蔭(ミドリノカゲ)夢かたむけてのそりのそり風のながれへ白猫(ハクビヨウ)のあゆみ 

・葩にふれ 飛行するあさ 海の淡淡(あはあは) とほいもはや搖れの輪となれ

・星隕つる闌春のふかみしのびやかにまつはる霧は胸を透しぬ 

・霧にながれる纎(ほそ)い影 しらじらと顯ち來るは誰の われの掌(てのひら) 

・じつとり濡れてうすぐらい晝病室にペシペシ花を折り花花を潰す 

・旗ばかり人ばかりの驛高い雲に彈丸(たま)の速度を見送つてゐる

・朱薔薇を翦れば庭いつぱいに風ひかり號外へおとすけさの水滴 

・浴衣にしみつく花火の夜の街スパイの臭ひを意識に追ふ 

・靑き月砲身みがけ呉淞(ウースン)のにほひ鼻つく八月の夜半 

・花の芯飛行高度へなよなよと喚聲らしき窓の靑さは

・しろい月横ぎるながさ越界路(エキステンシヨン)傾斜はすでにたへがたくある 

氷雨にただすぎゆくは喪章の列鹽のごとくわれはくたびれはてぬ

・まつ白い腕が空からのびてくる拔かれゆく脳髄のけさの快感 

・港のおと靄のなかよりちかくとほしこころぬらしつつわれはあゆみぬ 

・もやのなかにあをい體臭をうるませて埠頭にダミアの唄聲を拾ふ 

・提燈(らんたん)のいつまでも黄な匂ひけぶる靴音は距離を海にのばせり




加藤克巳『螺旋階段』Ⅱ
http://azzurro.hatenablog.jp/entry/2017/04/13/202808

加藤克巳氏の蔵書等は、さいたま文学館に寄贈された。
國學院大学時代のものを中心にノート類90点が、國學院大学折口博士記念古代研究所に寄贈された。



参考文献
加藤克巳研究刊行委員会編『加藤克巳研究』個性叢書 75 (短歌新聞社 1983)
菊地富美『加藤克巳作品鑑賞ーその幻想性と抽象表現』個性叢書249 (短歌新聞社 1999)
個性の会編『加藤克巳作品研究』個性叢書284 (風心社 2003)
個性の会、加藤克巳アルバム編纂委員会編『加藤克巳アルバム』(風心社 1993) 
さいたま文学館編『加藤克巳の世界ー伝統と革新の歌人』(さいたま文学館 1998)
佐藤信弘『加藤克巳の世界』(潮汐社 1976)
篠弘『加藤克巳―その詩精神
(戦中派から戦後世代の歌人)』(明治神宮社務所 2015)
関根明子『加藤克巳と「善の研究」』個性叢書 254 (砂子屋書房 2000) 
筒井富栄『加藤克巳の歌ー現代歌人の世界2』(雁書館 1992)
長澤洋子『庭のソクラテス ー記憶の中の父 加藤克巳 』(短歌研究社 2018)
光栄堯夫『加藤克巳論』(沖積舎 1990)
山崎孝編『抽象の雲ー加藤克巳作品鑑賞』個性叢書 37(風心社 1976)
吉村康『歌壇のピカソー孤高の歌人 加藤克巳の航跡』(沖積舎 1997) 

山歩きロングトレイルの第一人者だった加藤則芳は長男。

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石川信雄『シネマ』Ⅱ (モダニズム短歌)

・嬰児(みどりご)のわれは追ひつかぬ狼におひかけられる夢ばかり見き 

・黒ん坊の唄うたひながらさまよつた街(まち)の灯(ひ)のくらさ今もおもはる

・すばらしい詩をつくらうと窓あけてシヤツも下着もいま脱(ぬ)ぎすてる 

・あやまちて野豚(のぶた)らのむれに入りてよりいつぴきの豚にまだ追はれゐる

・レエルぞひにゑぞ菊の畑(はたけ)つくられある踏切番人はわれの伯父なり 

・しろい山や飛行船が描(か)かれてある箱のシガレツトなど喫(す)ひてくらせる

・數百のパラシユトにのつて野の空へ白い天使等がまひおりてくる 

・あをい空のしたにまつしろい家建てるどんな花花の咲きめぐりだす

・底知らぬ空のまんなかに飛びおりる快さのほかはわすれはてたる 

・空のなかをしろい火のはしる夢すんで花びらのやうな眠りがのびる 

・てんてんとそこらあたりに散らばれる怖れほど赤き花束はなき 

・パイプをばピストルのごとく覗(ねら)ふとき白き鳩一羽地に舞ひおちぬ

・花苑のやうな合唱の波のなか舌足らぬ聲を探しはじめる 

・新聞よ花道よ靑いドオランよパイプよタイよ遠い合圖よ 

・ギイヨオム・アポリネエルは空色の士官さん達を空の上に見き 

・砲彈に生命(いのち)うしなつたひとびとを悼(いた)むのもやめてチイズを食べる

・テキサスの方言を學びゐたるころ夜もすがら起きて晝をねむりき 

・星といふ名を持つた花のまなざしが十三日ほどわれをくるはせる 

・すはだかにならうと決(き)めた眼の前に街が木が顔が起きあがり來る 

・自らをポケツトのやうに裏返しわが見せし人は今どこをゆく 

・生命(いのち)さへ斷(た)ちてゆかなければならぬときうつくしき野も手にのせて見る 

・鏡取りふとよく見れば木や海やわれならぬしろい笑ひもとほる

・かたはらに白きまぼろしのふと立てるかかるしづけさはいまだかつてなき 

・夜なかごろ窓をあければ眼(ま)なかひの星のおしやべりに取りかこまれぬ

・スポツトで追はれてるやうなはにかみよ今日もあてどない街のさまよひ 

・かうもりのぐるりの雨はまつくらな空いつぱいに音立てて降る



石川信雄『シネマ』Ⅰ



参考文献
岩崎芳秋『石川信夫研究』(短歌新聞社 2004)
忍足ユミ『天にあこがる 石川信雄の生涯と文学』(2017)
塚本邦雄『殘花遺珠─知られざる名作』( 邑書林 1995)
石川信雄『シネマ―短歌集 (日本歌人叢書) 』(ながらみ書房 2013 復刻版)
石川輝子・鈴木ひとみ編『石川信雄著作集』(青磁社 2017)


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斎藤史『魚歌』Ⅲ (モダニズム短歌)


・夜毎(よるごと)に月きらびやかにありしかば唄をうたひてやがて忘れぬ 

・たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも惡事やさしく身に華やぎぬ

・夕霧は捲毛(カール)のやうにほぐれ來てえにしだの藪も馬もかなはぬ 

・定住の家をもたねば朝に夜にシシリイの薔薇やマジヨルカの花

・あかつきのなぎさぬかりて落ち沈みわがかかりたる神神の罠 

・植物は刺をかざせり神神は罠あそびせりわれは素足に

・遠い春湖(うみ)に沈みしみづからに祭りの笛を吹いて逢ひにゆく 

・しなやかな若いけものを馭しゆけり蹄(ひづめ)にかかり花は散るもの

・ひたすらに水底に沈むわれなればあたたかき掌(て)など持ちては居らぬ 

黄道光西にあがれば身にひそむ野生は苦く銅羅うちたたく

・羊齒の林に友ら倒れて幾世經ぬ視界を覆ふしだの葉の色 

・春を斷(き)る白い彈道に飛び乗つて手など振つたがつひにかへらぬ 

・濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ 

・暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた

・あかつきのどよみに答へ嘯(うそぶ)きし天(あめ)のけものら須臾にして消ゆ 

・額(ぬか)の眞中(まなか)に彈丸(たま)をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや

・照り充てる眞日につらぬく道ありてためらはず樹樹も枯れしと思へ 

・いのち斷たるるおのれは云はずことづては虹よりも彩(あや)にやさしかりにき

・まなこさへかすみて云ひしひとことも風に逆らへば聞えざりけむ 

・ほろびたるわがうつそ身をおもふ時くらやみ遠くながれの音す 

・わが頭蓋の罅(ひび)を流るる水がありすでに湖底に寝ねて久しき 

・はつはつと上ぐる額と云はば云へ地を這ひゆきて必ず視むもの

・内海を出でてゆくとき花を投げる手帖もなげるはや流れゆけ 

・手を振つてあの人もこの人もゆくものか我に追ひつけぬ黄なる軍列


斎藤史『魚歌』Ⅰ
斎藤史『魚歌』Ⅱ



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斎藤史『魚歌』Ⅱ (モダニズム短歌)

・山の手町がさくらの花に霞む日にわが旅行切符切られたるなれ 

・野生仙人掌(さぼてん)や龍舌蘭の葉に刺されゆく白い不運はしあはせらしく 

・南佛にミモザの花が咲き出せば黄のスカーフをわれも取り出す 

・赤白の道化の服もしをれはて春はもうすでに舞台裏なり 

・空の風船の影を掌(て)の上にのせながら走り行きつつ行方(ゆくへ)も知らぬ 

・太陽神(ジユピター)がとはうもない節(ふし)の鼻歌をうたひ出すともう春であつた

・手風琴ひきが帽子を廻すひるさがり巷(ちまた)の雲は白く疲れぬ 

・消える華火今日もどこかに上げられて人形は窓に首をかしげる 

・街角の道しるべ圖を読んで居ればオルゴールの歌聞え日の昏れ 

・切符とか着物とか人の髪とかに觸れて來た掌(て)よ今さし合す

・春風に窓あけようと思ひ居るたのしさなれば窓は閉ぢてある 

・岡に來て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた  

・花虻はさわぎ居るとも夕昏れはいつかさりげなく來てしまふらし 

・いろどりとなる面影もなき春なれば列車のやうに夜がきしみ來る

・或る瞬間(とき)にひろげられたるわが指の五つの方向(むき)に色を失ふ 

・放射路のどれもが集まる廣場なればまんなかに噴水はまるくひらきぬ  

・いきどほり深きにありてよむ歌の平和(やはらぎ)の歌は鳩と共に翔(と)べ 

・密獵に出てゆく船が華やかな旗さへ立てる夜となりにけり

・あをい眼窠に透明な水たたへられちかちかと食(は)む魚棲みにけり

・野に捨てた黑い手袋も起きあがり指指に黃な花咲かせだす

・いのちより光りて出づるうたもなしコルトの胴をみがけりわれは 

・野に捨てた黒い手袋も起きあがり指指に黄な花咲かせだす 

・なまめかしくきよらかな花を瓶にさし胸つまらせて暮らす日もあり 

・窓べには仙人掌(さぼてん)の花日覆(ひおほひ)のだんだら縞やわが夏帽子 


斎藤史『魚歌』Ⅰ
斎藤史『魚歌』Ⅲ




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筏井嘉一『荒栲(あらたへ)』Ⅱ (モダニズム短歌)

 

・天気よく郊外の道をさまよへばRousseau(ルウツソオ)描(か)きし樹(き)や家があり

・やるせなくO.Sole,mio(オ・ソレ・ミオ)はうたへどもわが太陽は今日も照らずも

・映畫にて巴里(パリ)あはれなる戀がたり見てゐしほどはまだ救はれき 

・澤庵を咀嚼する母の脣(くち)もとの微妙なる動きをしまし見にけり

・わが生(よ)昏(くら)くたまらぬときは錢湯に眞裸(まはだか)の人を見にきたりけり

・スウ・キヤロルのほほゑみかけし瞬間がスティイルになりて我に見られし

・慘(みじ)めなる愛つきぬけてModigliani(モヂリアニ)ゑがく淫賣婦(ぢごく)にわが救ひ見ぬ

・母の身にわがやどりける夜(よ)の怨(うら)み生(うま)れざりせばあやまちなきに 

・煤(すす)けくる障子たてこめ紅毛の論じあまさぬ思想に疲る

・道路打つあの勞働もこころひく眞面目になりて考へにけり 

・陰慘な露西亞の小説讀み飽いて萩や桔梗を愛(め)づる秋なり

・魚は魚貝は貝我は我なりけり波寄る巖間(いはま)にうつとりかなしむ

・海はるか水平線を見てあれば彼處(かなた)あてなきあこがれの湧く

・朝船の窓に水夫の顔が見ゆパイプくはへゐて燻(くす)める横顔

・ポストまであゆみきたりて見直せば手紙の宛名いかにも戀し 

・このおもひ彼女の胸へますぐゆけポストに投げし手紙音あり

・一言(ひとこと)のちかひきよらに胸にありいのちにかけて信ぜんとすも

・身ひとつに指彈(しだん)うけとめ晴れやかに笑(ゑ)みては見するわがをとめなり

・身にからむ義理人情のけうとさよわが戀さやに遂げまくぞする 

・逢ふ日また期(ご)しがたくしてSolvejgs(ソルヴエデ)の旋律(ふし)のこころをきみくちずさむ 

・動きそむる汽車の窗よりわれを見し涙とび出さんばかりの眼(め)なりき

・嚙(か)みし飯(いひ)をのみこみしなに閊(つか)へたり身揉(みもめ)にあへる彼女思ひし




筏井嘉一『荒栲』Ⅰ



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筏井嘉一『荒栲(あらたへ)』Ⅰ (モダニズム短歌)


・夢さめてさめたる夢は戀はねども春荒寥(くわうりやう)とわがいのちあり 

・わが内(うち)に神を見ぬ日ぞ焦燥す肉體ひとつおきどころなく

・めざむればラヂオ鳴るあれは春の唄Mendelssohn(メンデルソーン)に朝なごみゆく     (メンデルソーン=メンデルスゾーン) 

・わが冬はさむきこころの糧(かて)としも太陽ひとつ戀しかりけり 

・平凡に在(あ)り澄むといふジイドはや海彼(かいひ)のこころわれをなごます

・うらがなし百貨店(デパート)屋上の網がこひ鶴いろ褪(あ)せて𩛰(あさ)りけるかも 

・兵おくる萬歳のこゑあがるまは悲壮に過ぎて息(いき)のくるしゑ

・戰亂の後(のち)に來(こ)む世のすがしさを或る日はおもふ子を抱きつつ 

・フアンに似る心理を憎む秋睛(あきばれ)や傷兵慰問ひききらずけり

・C(ツエイ)の絃(げん)切れて音せぬ洋琴(ピヤノ)に對(む)き何を彈(ひ)かんとするこころぞも 

・國々の鬩(せめ)ぐ歴史に身は生きて孤高(こかう)の念(おも)ひ烈(はげ)しかるかな

・わが家はがらくたばかりがらくたの一部ぞわれも子も妻もまた

モナ・リザの微笑(びせう)はわれのものならず口(くち)さへあきて妻の居眠る 

・一目(ひとめ)見し舅(ちち)よ眼を灼(や)け土にうまれ土に果てたる野良着(のらぎ)のむくろ

・店(たな)に積む魚類濡れつついろ鮮(あたら)し子に食はす鯛をいつぴきもとむ

・冬の家にのぞみ杳(はる)かなる兒のこゑやサイタサイタサクラガサイタ

・Gauguin(ゴオガン)はタヒチの島に遁(のが)れけり眞實(まこと)たづねてつひに孤(こ)なりき

・炎(ほのほ)なす向日葵(ひまはり)の繪をかかげおき書斎にGogh(ゴツホ)と在(あ)るおもひなり 

・Rousseau(ルウツソオ)のゑがく飛行船にわれ乗りてこの世見おろせばしばらく愉(たの)し 

・見るたびに壓(お)さるるばかりCezanneの畫面の林檎かがやき深む 

・わが室(へや)にちらばる樂譜や繪のたぐひ海のあなたの精神(こころ)にむせぶ 


筏井嘉一『荒栲』Ⅱ



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小玉朝子『黄薔薇』Ⅱ (モダニズム短歌)


・くらき空に海蛇(ヒドラ)うねれりひとりごゝろ清しみて窓をとざしけるかも

・掌(て)をあはせ千萬年の星々の地に下りるさまをみつめつゝ居り 

・白き熊空のはたてを横切りたりいきれに立ちて吹きおりる風 

・木に花咲く五月となれりしかすがに花野のなかに墓地つくりあり 

・おくつきにもの言ひかけてふとさびしふりむけば日のなゝめ射す光(かげ)

・青空のひくい傾きをわたる風このまゝにわが野草とならむ

・草しきてまなこつぶればまなうらのひとゝころふかき朱に透き來る

・髪吹かれ立てば目下(ました)の草のなか眞白の蝶が搖られゐにけり

・水たまりのぞけば深い空の中まみはつかれてわが顔があり

・白雲も少しかたむきわが頬に近よつて來る水たまりなり

・湧く水にひと時赤き夕雲の散り來りつゝ散りすぎにけり

・しほたれて歩める影のみちにうつりはつとしてわれのまはり見まはす

・立ち居れば歩み近づくひとの影すこし傾きて草にゆれたり

・月光がわが目を通るたまゆらに涙つめたくあふれ出でたり

・恍(と)けし身の水泡ごゝろに見て居りき谷間となりし月光のそら

・さらさらと銀の小刀(さすが)をみがき居り明日からはちさき魚となるわれ

・兄よ兄よ海はるばると送り來し外國の本にきりぎりすゐる

・伊太利の本をさかさにのぞきゐついち枚の揷繪文字ばかりなり

・空のむかふにアルバイト書く兄のため花々を煮て夕うたげする

・天文の詩にかもあらむ白き紙方程式をうつし出すなり

・顔よせて見ては居りけり異國文字途切(とぎ)れて黒い線の繪があり

・あはれわが何ものにしも代へがたき火花はつひに地に墮ちはてぬ

・病身の眼ばかり青き火になして空翔ける鳥のさびしさとなり

・抱きしめてひとりのわれをいとほしむ病めば影さへ身にひそみ行き

・ろうそくをともして室をせまくする弱々しさがふたゝびかへり

・高窓のあをきばかりの空に行き熱さめぎはの眼は乾きたり

・病み起きの眼に追ふ鳥のはるばると吸はれて白いうす雲があり

・公園のふきあげの水ほそぼそと見かへれば母の目がさびしめり

・大理(なめ)石に遠い記録の殘るときこのわが母よ讃へられてあれ

・黒き潮流るゝなべに北海のさかなきびしく身を守り居らむ

・默(もだ)し居らば壁に汝がかげしみて行かむ都は秋の落葉するなり

・頬紅を送りたり友よこの朝はコスモスも紅く花ひらきそむ

・外に行きて汝が見る空はみ冬づき鳥なども飛ばずさびしくてゐむ

・いのち守りいのちさげすみ明け暮れを汝が通ふみちも落葉してあらむ

・北海の潮につゞく町に來てわが呼ぶ汝が名しんとひゞけり

・ふきあげは遠くに虹を散らしゐて昨日の時を日時計が指(さ)す

・あのことも遠天に散り夏野には菫うつくしく咲きいでむかも 

・花庭の日時計くもる日向なり遠心に光あつまりにけり 

・野べに來て鐵道草のしろじろと風に咲けるを見てかへるなり

・夏野にはわがパラソルも花となり黄の蝶あまた舞ひ立ちにけり

・たけに草たかき秀だちの搖るばかりつかれてわれらもの言はずなる

・花畑にアスタアが咲くひなたなりひなたのなかの始めての記憶

・生れしは金木犀の野なりけりそこから街に下りて來しなり

・虚空(そら)に墮ちるゆめばかり見て育ちたるわれは泣くとき涙ながさぬ

・窓とぢて遠い記憶をあそぶなりみどり兒のわれが青空にゐる

・わが歴史トーン・ポエムにならぬかと五線紙の上に履歴書を書く 

・エヂプトの壁畫模様といふものゝ片眼の魚と笑みかはし居り

・つまさきをまるく照らされてくら暗のふかいボツクスにみちびかれて行く 

・目の馴れに笑顔かけくるひとの手は春の外套たゝみゐるなり

・こゑばかりひゞかせてくるトオキイの銀の斜面に木の影があり

・まつ白なレイスの衣裳きたひとのはればれと歩む春のシネマは

・犬とゐて犬の毛なみに光る風手をのせてわれもひかりて居らむ 

・野の丘はくぬぎ林の銀となりうすむらさきにかげろふが立つ

・かげろふをかきわけて行く犬の脚こまかに白く眼をまぎらせり 



小玉朝子『黄薔薇』Ⅰ 
小玉朝子『黄薔薇』Ⅲ



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