早崎夏衞『白彩』Ⅲ (モダニズム短歌)


・冬の季節の花の香氣の満つる室(へや)にわが血液の濁(にご)れるを知る 

・血液の濁れるを呪ふわれとなりて眞夜(まよ)のひびきをわが胸に聴く 

・いまわれは阿呆の果實(このみ)たべあいて木登りあそぶかなしさを知る 

・まつしろにひかる疾風にとびのつて子とあそびをりこれでいいと思ふ 

・ぬれぞらににほふ桃花(たうくわ)にちかくをればかくうつくしいかなしみをしる 

・街は街にバラを音樂をまきちらしわれはさくさくと果實を嚙る

・妻つれて花園にあれば透きとほり散る光あり春あたらしき 

・あけがたのほのぼのとさす薔薇いろのひかりのなかに妻をさそひぬ 

・七彩の片脚虹の截(き)るるところ花籬(かき)の秘密にけふもわが觸(ふ)る 

・手の甲に蟻を這はせてじつとみるいつしかわれは泣いてゐにけり 

・額(ぬか)よりも遠いところに組まれゐるわが憂欝にふるる薔薇あり 

・どこをむいてもわがいちまいの影ありて鏡底のやうにつめたかりけり

・窓を透(す)く黄薔薇(スウブニイル)の花家畜らは築牆(ついぢ)の霖雨(あめ)をあるいてかへりぬ 

・陰影が濡紙のやうに觸れてきぬ讀みさしの本をいそいでふせる 

・鶺鴒の羽にもまさる雲の片(ひら)のかかりゐる空はいつち美し 

・壁面の隈(くま)ひきはがせアマリリスの斑朱花(むらあけばな)はすでにかれたり 

・十二月の牡蠣のごとくも慄へつつさからふ妻は愛すべきなり 

・この室と距離ある靑いバスにのりし妻のシルエツトを掌(て)にいつくしむ 

・てり映えるあらくさもみぢいちめんのわが家の庭にこの犬死ねり 

・枝に咲いて枝にはなれて地に咲いて地にあざやかな紅い花かも 

・風ばかり流れる夏の草原にわが影をおいてこれをながむる 

・うすやみの底に皺み寄る密林のしろいうごきに片目なくしぬ 

・葡萄液(グレープジユース)を萎(しぼ)んだ腸に含ませて明日(あす)の昨夜(ゆうべ)の死に仕度する 

・横ざまに死せし花室の蝶蝶を古時計に入れ眞夜をみつむる  

・すれ行きし雜花奔車(あらばなぐるま)の映り香のゆれていつまでもそこらあかるし 

・晴晴と澄む空うつしほがらかな妻のひとみにうたがひもなし 

・この庭に落葉の音のたかくたつ日曜の午(ひる)を子を抱いてをり 

・薄闇にほのぼのしろき妻の顔に匂ひほど指のぬくみあたへぬ  

・與謝野寛の歌を考へてゐる朝(あした)碧空(あをぞら)を裂いて飛行機きたれり

・花園に埋めてひさしい戀ひごころまばたきにうつる秋となりたり  

・空と地に音樂ひびく夜の更けを廢れた夢をわれは追ひゐる 

・ひたすらに白い天使に言葉おくる雨暗らき午後の板椽の冷え 

・驛でなげしかれの言葉は友情の距離なり億兆の怡(たの)しさをかさねぬ 

・きみは詩人ラツパ卒なりあはれにも醉つぱらひをりきみはきみなる 

・埼玉の海にあそばんと云ひしとき笑はざりし君を今も忘れず 

・髪のごとく匂ふ叢に花Chalkのことばなき夢が野をかけめぐる

・北風に流離する魚簇のみじめなる目にきよらかな祈りささぐる 

・足もとにむらがる草に幾千のわれのすがたをみるははかなき

・月の芝生に白い素足をおののかせ消ゆる微風をあるときはしたふ 

・闇夜(あんや)にさす焚火(ふんくわ)のあかりほのぼのと太古にわれを象(かた)どりにけり 

・凍氷が牕いちめんを塗りつぶす恢色(けしき)わびしくぬつとたちあがる 

・一室の光線を逐ひ蜥蜴らの天鵞絨の縁にとけゆくもよし

・だまされることのたのしい朝だけはせめてうつとりとだまされるべき 

・コツコツとMINERVA(みねるば)の骨(こつ)たたくおと白梅なんかにたはむれをれぬ

・卓上の淡紫(たんし)の小花(をばな)ヒヤシンスに染(し)みるこころがあはれでならぬ 

・シヤンデリアの落とすわがかげ静かすぎる仕合はけだしあきらめならむ 

・落葉にまつはるまるい風たち廢園に黄な灯のひかりわがこころなり 

・かがやかしき稀書の鞁表紙に手觸(たふ)れつつ白梅林(はくばいりん)を散歩したりけり 

・香水(サイクラメン)の匂ひながれる朝庭に妻ちかくゐて薔薇瓣(ばらびら)をふく

・くらくらになつたたましひは溫室の黄や朱(あけ)の花のかをりぬすみぬ 

・わがたもつあかつきのやうなほがらかさカタロニアの花がつんと咲きをり

・ひつそりと碧空(そら)のしづくにぬれながらたんねんに白い手紙を封する 




早崎夏衞『白彩』Ⅰ
早崎夏衞『白彩』Ⅱ


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早崎夏衞『白彩』Ⅱ (モダニズム短歌)


・意識さへカメラにくれしたまゆらは空に樹氷のきらめきぞあり 

白薔薇のなかにわれあり霜に霑(ぬ)るる軟地(やはら)をふみて散歩しければ

・華やかに咲く飾燈のひかりうけ酒のみつぎてきはまりもなし 

・壁のすそにうづくまりゐる少女なり手をさしのべればまたたきをする 

・目をつむり眞夜なかの街(まち)を歩くなればでこぼこの地面がかなしまれくる 

・眞夜(まよ)の街にふいと停(と)まりし一瞬を魔もののやうにわが影を怖る

・ああかくもうるはしの花を胸にさし地獄おちなどたまらざるなり 

・喧嘩してわかれた友の奇妙なる鼻のかたちをスケツチにする  

・Prismeで覗かれてゐるわれなればマラスキノのみ身を粧ふべき 

・ひとすぢのながれ胸(むな)ぞこにMARASCHlNO泌みて物たちはゆめ象(がた)となる

・わが黝(くろ)い心の瑕を照らさんと手燭をともす女にぞある 

・眞夜なかに泪のごはずさびしさをみつめゐるわれはいつち美しき 

・うたがひのゆとりあたへずわれを去りし白い天使をなつかしみゐる 

・空のいろの美しい天使の舞ひざまを崩(く)え崖に立ちわれみつめゐき  

・かなしみを遠い野の果(はて)に埋めおき朝なつかしく花添へてくる 

・うつくしい人間たちのおこなひはわが知らぬ園に花咲かせゐる

・血液で彩られたるひと冬の記録もいまは土に埋むる 

・ひたすらにひとりの命を殺しきていま靑天に裸體をさらす 

・花の匂ひを指に含めて書きためるアドレスの無い葉書のみなり 

・春晝(しゆんちゆう)をあそぶ濱べに貝殻のひとつひとつの紅(べに)のにほひよし

・吾をめぐる蛇性(だしよう)の目からぬけいでてフランス觀光船の白い胸をおりる 

・生きものがきらひでならぬわれなりし小狗をだいて日あたりに出る

・港まちの螺線階段の家にゐて海からきたるなげかひのあり 

・爽やかな空わたりゆきひとりでに足踏みをすることはいなめぬ 

・硝子窓に蝶の羽ひとつ粘りついてわれにかかはらず外の暴風雨(あらし)は 

・靑一彩に匂ふ原ッぱをつらぬいて小徑ばかりがどこまでも冴える 

・この怒りをうからにうつすはかなさにゴンドラにのつて空にあそばん 

・じつに粗いタッチでなすつた海の靑さ白色珊瑚もえたりかしこし

・一月の海に貝殻を追放せしわれのあたまはあをぞらとなりぬ 

・かがやけるシヤンパンのカツプにふれる口唇(くちびる)妖につややかな花はそれなり 

・かがやけるシヤンパンのカツプにすこしかくれフリイジヤの白い花灯(とも)りゐる 

・冬の飢渇にリキユールをたらす孃の眸(め)のつぶら葡萄をかみつぶしやる 

・肘つきのあゐのびろうどにおいた手に白い匂ひが添へかさねらる 

・風がわく廊寂(さ)びくらく顔顔が遠くにちかくにしらじら笑ふ

・薄氷の濁る水面に憂欝な東京の風貌をふと感じたり 

・黝ずめる空の重きにひしがれしわがこの室に電話きたりぬ

・千萬の樹樹の枝枝折れ盡きてわが身をめぐる季節となりたり 

・歪み墜ちた階段にいつか停(た)つてゐて白雲ばかりわれはぬすめり 

・からつぽの靑空に白く浮かびゐる氣球もつひに見てしまひたり 

・空のひかりあつまりて咲く花でありわが影もいまは淋しくはなし
 
・はじめてみつけたやうな空なりき猿(ましら)の顔を彫(ほ)れる白雲(くも)浮き

・ソウフアの下にまがつてかくれきいた靑い聲とこゑをわすれえぬなり

・螺旋階段を踏みはづしたやうな悔もちて寒い泥土(ねいど)の感觸にひたる 

・風のなかにはげしく頽(くづ)るるものおとが暗いみちからひびき馮きくる

・卓燈のshadeにすがれし冬花(ふゆばな)のごとくうごかぬ縞蜂がゐる 

・いつぴきの縞蜂をわれはおひぬいていつしか追はれゐる夢をみし 

・夜の室のこまごまとしたものかげに怯えてつひに街にいでたり 

・汽車の窓に過ぎゆく白や赤の花にわが憂欝を捨てようとする 





早崎夏衞『白彩』Ⅰ
早崎夏衞『白彩』Ⅲ


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前川佐美雄『植物祭』Ⅱ (モダニズム短歌)


・ヴランダに地圖をひろげてねむりゐぬコンゴの國はすずしさうなり 

・美しいむすめのやうな帯しめてしとやかにをれば我やいかにあらむ 

・風船玉をたくさん腹にのんだやうで身體のかるい五月の旅なり 

・あを草のやまを眺めてをりければ山に目玉をあけてみたくおもふ 

・壁の鏡にまともにうつるあをい繪よマチスの額(がく)をふりかへりみる 

・この室の氣持をあつめて冴えかへる恐ろしい鏡なり室ゆ持ち去れ

・暴風雨(あらし)のすぎたる朝は奥の室(ま)の鏡さへそこなしに靑く澄んでる 

・覗(のぞ)いてゐると掌(て)はだんだんに大きくなり魔もののやうに顔襲(おそ)ひくる

・耳たぶがけもののやうに思へきてどうしやうもない悲しさにゐる 

・このからだうす緑なる水となり山の湖(うみ)より流れたくぞおもふ

・湖(うみ)の底にガラスの家を建てて住まば身體うす靑く透(す)きとほるべし 

・牛馬(うしうま)が若し笑ふものであつたなら生かしおくべきでないかも知れぬ

・ふらふらとうちたふれたる我をめぐり六月の野のくろい蝶のむれ 

・つかれゐるわれの頭のなかに映り太陽のかげかたちのみちの黒さ

・月の夜の野みちにたつて鏡出ししろじろとつづく路うつし見る 

・六月のある日のあさの嵐(あらし)なりレモンをしぼれば露あをく垂る 

・うつくしく店は夜(よる)からひらくからひとり出て來て花などを買ふ 

・カンガルの大好きな少女が今日も來てカンガルは如何如何(いかがいかが)かと聞く 

・壁面にかけられてある世界地圖の靑き海の上に蝶とまりゐる 

・遠い空が何んといふ白い午後なればヒヤシンスの鉢を窗に持ち出す

・草花のにほひみちゐる室(へや)なればすこし華(はな)やかな死をおもひたり 

・今はもう妖花アラウネのさびしさが白薔薇となりて我にこもれり 

・戦争のたのしみはわれらの知らぬこと春のまひるを眠りつづける 

・ひじやうなる白痴の僕は自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる 

・傘(いつさん)の樹陰(じゆいん)にわがねるまつぴるま野の蝶群れて奇(く)しき夜を舞ふ 

・百の陽(ひ)でかざられた世界の饗宴に黄な日傘さしてわれは出掛ける 





前川佐美雄『植物祭』Ⅰ



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前川佐美雄『植物祭』Ⅰ (モダニズム短歌)

・春の夜のしづかに更けてわれのゆく道濡れてあれば虔(つつし)みぞする 

・手の上に手をかさねてもかなしみはつひには拾ひあぐべくもなし

・おもひでは白のシーツの上にある貝殻のやうには鳴り出でぬなり 

・床(とこ)の間(ま)に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いて見てゐし

・眞夜なかの室(へや)に燃えゐるらふそくの火の円(ゑん)をいまは夢とおもへり

・子供にてありしころより夜なか起き鏡のなかを見にゆきにけり

・てんかいに遅遅(ちち)とほろびて行く星の北斗もあればわれのねむりぬ 

・何んとこのふるい都(みやこ)にかへりきてながい歴史をのろふ日もあり

・幾千の鹿がしづかに生きてゐる森のちかくに住まふたのしさ 

・このうへもなき行(おこなひ)のただしさいつか空にゆきて星となりたる  

・百年このかたひと殺しなきわが村が何んで自慢になるとおもへる 

・幾萬の芽がうつぜんと萌えあがる春をおもへば生くるもたのしき 

・千年のつきひはやがてすぎ行かむされども星は地にかへり來(こ)ぬ 

・つひにわれも石にさかなを彫(ほ)りきざみ山上(さんじよう)の沼にふかくしづむる 

・山上(さんじよう)の沼にめくらの魚らゐて夜夜(よよ)みづにうつる星を戀ひにき

・この壁をトレドの緋(ひ)いろで塗りつぶす考へだけは昨日にかはらぬ 

・なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす 

・四角なる室のすみずみの暗がりを恐るるやまひまるき室をつくれ 

・どろ沼の泥底(どろぞこ)ふかくねむりをらむ魚鱗(うろくづ)をおもふ眞夜なかなり 

・眠られぬ夜半におもへば地下(ちか)ふかく眠りゐる蛇のすがたも見ゆる  

・たまきはる生命(いのち)きはまるそのはてに散らつく面(おも)よ母にあらずあれ 

・ほのぐらいわが影のなかにふとひかり土にもぐれる蟲ひとつあり

・掌(てのひら)をじつと見てゐるしたしさよ孤獨(こどく)のなみだつひにあふるる 

・胸のうちいちど空(から)にしてあの靑き水仙の葉をつめこみてみたし 

・北窓のあかりのもとに眼はさめてこほろぎの目のあをき秋なり 

・ねむられぬ夜半(よは)に思へばいつしかに我は影となりかげに生きゐる

・室なかにけむりの如くただよへるわが身の影は摑むこともならず 

・止(と)まつてゐる枕時計のねぢかけるこの眞夜なかの何もないしづかさ 

・この壁のむかふの室(へや)にゐるひとの影(かげ)うすじろくわれにかかはる 

・おとうとがアルコール詰(づめ)にしてゐるは身もちの守宮(やもり)愛(かな)しき眼(め)をせり 

・ふるさとの虚(むな)し風呂にはいまごろは薄朱(うすしゆ)の菌(きのこ)生えゐるとおもふ 

・ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし 

・遠いあの靑くさ野はらを戀ひしがるわがこころいまも窗開けて見る 

・不安でたまらないわれの背後(うしろ)からおもたい靴音がいつまでもする

・何んといふ深いつぶやきをもらしをる闇の夜の底の大寺院なり 

・夭(わか)く死ぬこころがいまも湧いてきぬ薔薇のにほひがどこからかする


前川佐美雄『植物祭』Ⅱ



参考文献
伊藤一彦『前川佐美雄 (鑑賞・現代短歌)』(本阿弥書店 1993)
小高根二郎『歌の鬼・前川佐美雄』(沖積舎 1987)
三枝昻之『前川佐美雄』(五柳書院 1993)
鳴上善治『絢爛たる翼ー前川佐美雄論』(沖積舎 1996)
石原深予編『前川佐美雄編集『日本歌人』目次集(戦前期分)』(2010)

『日本歌人』戦前分を収蔵している図書館
茨木大学図書館 1(6), 2(1, 4-5, 7-12), 3(2-5, 7, 9-11), 4(2, 4-5, 8, 10-12), 5(3-4);新1(2-4, 6)[昭和15年5月-7月,10月], 新2(4, 8)[昭和16年4月,8月]
大阪市立中央図書 1(1-7),2(1-5)
現代詩歌文学館1(1,3,4,7),2 (2,3),新1(7)[昭和15年11月]
国会図書館6(8), 7(1)[昭和15年1月]
さいたま文学館 6(1,2)
昭和女子大学図書館1(1-3,5-6),2(1-5,7-12),5(8),6(1-6,8,11)
日本近代文学館 1(1,6,7),2(2,3,8),3(1,3,5,8,9,10,11,12),4(1,2,3,4,5,7,8,11,12),5(3,5,6,8,9,10,11),6(2,3,5,9),新1(1,2,3,4,5,6)[昭和15年4月-8月,10月],新2(1,8)[昭和16年1月,8月]
立命館大学 1(1-7),2-4,5(1-11),6(1-9,11),7(1-2)[昭和15年1月-2月
カッコ外数字=通巻数、カッコ内数字=号数


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加藤克巳『螺旋階段』Ⅰ (モダニズム短歌)


・のばす手にからまる白い雨のおと北むきの心午(ひる)を眩みぬ 

・うすじろいあさの思念になにをみし机の上にめくられてあはれ 

・書籍のかさなりくぐるむらさきの烟(けむり)たゆたふ梅雨の重たさ 

・暗い雨するりぬけて蛇の背のひかりかきくれ雨のひびかひ 

・靑き雨かぶさりてせまる窗ちかくみだらなる感覚に花をつぶしぬ 

・縞蘭の尖(とがり)つめたし暗い雨をここにあつめて紙嚙んでゐる 

・柱の傷に黒い花さく曇日(どんじつ)は襤褸(らんる)の下(かげ)で身をくねらせる 

・磁器の白に水のごとほつかり花が割れけさの生理をゆすぶつてゐる 

・雨にけさのあふれる體溫のとける色の鏡の中のアヂサヰの花 

・雨に疲れこもる身ちかく百合の花魂(たま)ゆするほどの香を發しゐる 

・桔梗のむらさきのいたさ病む胸をすりよせて石の墜つる音きく 

・ゆがんだ顔のしづしづと眼の高さまで雨は裏むきの音さへもなく

・緑蔭(ミドリノカゲ)夢かたむけてのそりのそり風のながれへ白猫(ハクビヨウ)のあゆみ 

・葩にふれ 飛行するあさ 海の淡淡(あはあは) とほいもはや搖れの輪となれ

・星隕つる闌春のふかみしのびやかにまつはる霧は胸を透しぬ 

・霧にながれる纎(ほそ)い影 しらじらと顯ち來るは誰の われの掌(てのひら) 

・じつとり濡れてうすぐらい晝病室にペシペシ花を折り花花を潰す 

・旗ばかり人ばかりの驛高い雲に彈丸(たま)の速度を見送つてゐる

・朱薔薇を翦れば庭いつぱいに風ひかり號外へおとすけさの水滴 

・浴衣にしみつく花火の夜の街スパイの臭ひを意識に追ふ 

・靑き月砲身みがけ呉淞(ウースン)のにほひ鼻つく八月の夜半 

・花の芯飛行高度へなよなよと喚聲らしき窓の靑さは

・しろい月横ぎるながさ越界路(エキステンシヨン)傾斜はすでにたへがたくある 

氷雨にただすぎゆくは喪章の列鹽のごとくわれはくたびれはてぬ

・まつ白い腕が空からのびてくる拔かれゆく脳髄のけさの快感 

・港のおと靄のなかよりちかくとほしこころぬらしつつわれはあゆみぬ 

・もやのなかにあをい體臭をうるませて埠頭にダミアの唄聲を拾ふ 

・提燈(らんたん)のいつまでも黄な匂ひけぶる靴音は距離を海にのばせり




加藤克巳『螺旋階段』Ⅱ
http://azzurro.hatenablog.jp/entry/2017/04/13/202808

加藤克巳氏の蔵書等は、さいたま文学館に寄贈された。
國學院大学時代のものを中心にノート類90点が、國學院大学折口博士記念古代研究所に寄贈された。



参考文献
加藤克巳研究刊行委員会編『加藤克巳研究』個性叢書 75 (短歌新聞社 1983)
菊地富美『加藤克巳作品鑑賞ーその幻想性と抽象表現』個性叢書249 (短歌新聞社 1999)
個性の会編『加藤克巳作品研究』個性叢書284 (風心社 2003)
個性の会、加藤克巳アルバム編纂委員会編『加藤克巳アルバム』(風心社 1993) 
さいたま文学館編『加藤克巳の世界ー伝統と革新の歌人』(さいたま文学館 1998)
佐藤信弘『加藤克巳の世界』(潮汐社 1976)
篠弘『加藤克巳―その詩精神
(戦中派から戦後世代の歌人)』(明治神宮社務所 2015)
関根明子『加藤克巳と「善の研究」』個性叢書 254 (砂子屋書房 2000) 
筒井富栄『加藤克巳の歌ー現代歌人の世界2』(雁書館 1992)
長澤洋子『庭のソクラテス ー記憶の中の父 加藤克巳 』(短歌研究社 2018)
光栄堯夫『加藤克巳論』(沖積舎 1990)
山崎孝編『抽象の雲ー加藤克巳作品鑑賞』個性叢書 37(風心社 1976)
吉村康『歌壇のピカソー孤高の歌人 加藤克巳の航跡』(沖積舎 1997) 

山歩きロングトレイルの第一人者だった加藤則芳は長男。

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石川信雄『シネマ』Ⅱ (モダニズム短歌)

・嬰児(みどりご)のわれは追ひつかぬ狼におひかけられる夢ばかり見き 

・黒ん坊の唄うたひながらさまよつた街(まち)の灯(ひ)のくらさ今もおもはる

・すばらしい詩をつくらうと窓あけてシヤツも下着もいま脱(ぬ)ぎすてる 

・あやまちて野豚(のぶた)らのむれに入りてよりいつぴきの豚にまだ追はれゐる

・レエルぞひにゑぞ菊の畑(はたけ)つくられある踏切番人はわれの伯父なり 

・しろい山や飛行船が描(か)かれてある箱のシガレツトなど喫(す)ひてくらせる

・數百のパラシユトにのつて野の空へ白い天使等がまひおりてくる 

・あをい空のしたにまつしろい家建てるどんな花花の咲きめぐりだす

・底知らぬ空のまんなかに飛びおりる快さのほかはわすれはてたる 

・空のなかをしろい火のはしる夢すんで花びらのやうな眠りがのびる 

・てんてんとそこらあたりに散らばれる怖れほど赤き花束はなき 

・パイプをばピストルのごとく覗(ねら)ふとき白き鳩一羽地に舞ひおちぬ

・花苑のやうな合唱の波のなか舌足らぬ聲を探しはじめる 

・新聞よ花道よ靑いドオランよパイプよタイよ遠い合圖よ 

・ギイヨオム・アポリネエルは空色の士官さん達を空の上に見き 

・砲彈に生命(いのち)うしなつたひとびとを悼(いた)むのもやめてチイズを食べる

・テキサスの方言を學びゐたるころ夜もすがら起きて晝をねむりき 

・星といふ名を持つた花のまなざしが十三日ほどわれをくるはせる 

・すはだかにならうと決(き)めた眼の前に街が木が顔が起きあがり來る 

・自らをポケツトのやうに裏返しわが見せし人は今どこをゆく 

・生命(いのち)さへ斷(た)ちてゆかなければならぬときうつくしき野も手にのせて見る 

・鏡取りふとよく見れば木や海やわれならぬしろい笑ひもとほる

・かたはらに白きまぼろしのふと立てるかかるしづけさはいまだかつてなき 

・夜なかごろ窓をあければ眼(ま)なかひの星のおしやべりに取りかこまれぬ

・スポツトで追はれてるやうなはにかみよ今日もあてどない街のさまよひ 

・かうもりのぐるりの雨はまつくらな空いつぱいに音立てて降る



石川信雄『シネマ』Ⅰ



参考文献
岩崎芳秋『石川信夫研究』(短歌新聞社 2004)
忍足ユミ『天にあこがる 石川信雄の生涯と文学』(2017)
塚本邦雄『殘花遺珠─知られざる名作』( 邑書林 1995)
石川信雄『シネマ―短歌集 (日本歌人叢書) 』(ながらみ書房 2013 復刻版)
石川輝子・鈴木ひとみ編『石川信雄著作集』(青磁社 2017)


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斎藤史『魚歌』Ⅲ (モダニズム短歌)


・夜毎(よるごと)に月きらびやかにありしかば唄をうたひてやがて忘れぬ 

・たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも惡事やさしく身に華やぎぬ

・夕霧は捲毛(カール)のやうにほぐれ來てえにしだの藪も馬もかなはぬ 

・定住の家をもたねば朝に夜にシシリイの薔薇やマジヨルカの花

・あかつきのなぎさぬかりて落ち沈みわがかかりたる神神の罠 

・植物は刺をかざせり神神は罠あそびせりわれは素足に

・遠い春湖(うみ)に沈みしみづからに祭りの笛を吹いて逢ひにゆく 

・しなやかな若いけものを馭しゆけり蹄(ひづめ)にかかり花は散るもの

・ひたすらに水底に沈むわれなればあたたかき掌(て)など持ちては居らぬ 

黄道光西にあがれば身にひそむ野生は苦く銅羅うちたたく

・羊齒の林に友ら倒れて幾世經ぬ視界を覆ふしだの葉の色 

・春を斷(き)る白い彈道に飛び乗つて手など振つたがつひにかへらぬ 

・濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ 

・暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた

・あかつきのどよみに答へ嘯(うそぶ)きし天(あめ)のけものら須臾にして消ゆ 

・額(ぬか)の眞中(まなか)に彈丸(たま)をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや

・照り充てる眞日につらぬく道ありてためらはず樹樹も枯れしと思へ 

・いのち斷たるるおのれは云はずことづては虹よりも彩(あや)にやさしかりにき

・まなこさへかすみて云ひしひとことも風に逆らへば聞えざりけむ 

・ほろびたるわがうつそ身をおもふ時くらやみ遠くながれの音す 

・わが頭蓋の罅(ひび)を流るる水がありすでに湖底に寝ねて久しき 

・はつはつと上ぐる額と云はば云へ地を這ひゆきて必ず視むもの

・内海を出でてゆくとき花を投げる手帖もなげるはや流れゆけ 

・手を振つてあの人もこの人もゆくものか我に追ひつけぬ黄なる軍列


斎藤史『魚歌』Ⅰ
斎藤史『魚歌』Ⅱ



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