早野臺氣(二郎)『海への會話』Ⅰ (モダニズム短歌)

 
・夏なれば朝の砂濱にましかくにガラスたておく拔けとほりゆけ

・覗きをる日覆(ひおひ)の裂け目へうみのなみの横たひらかなみどりがながる

・KIRA KIRAと硝子かついで泳ぐなるせなかのうみは午后なり波あり

・海にむけ飛ばされおちし日覆ありぱつとひろがる赤と白との潮(しほ)

・風船に鼻あててゐる草のなか秋ふかしこころも破裂へちかし

・しよんぼりと霧に飢ゑをるえんとつのまるみなり日暮れはこころも猫なり

・けぶりなきえんとつのうへ天國の會社はやすみと雲ながらふる

・しら雲へ眼のゆくこころもあいすべしたのしい土曜を箱に腰かけ

・うみへ向ふこころに日あたる坂があり鯛も暢氣(のんき)に山にハネをり

・薔薇墻(ばらがき)からわれの半身いだすときえんとつにちかく月のぼりてあり

・並木若葉のまつさをなおくへ追ひたれば象のからだの輪廓のこる

・山したの竹藪はわれの少年をもいちどふわりと風に縦(たて)にす

・谷のなかで五月の楓はBAVARIAのあをいえんぴつの隣りへたふる

・スリイ・キヤツスルの丸鑵靑紙(まるくわんあをがみ)みてたのしこころいつしか日本にはあらぬ

・BOUTONNIERE(ブトニエエル)に薔薇植ゑこめば胸のうへ世界のえんとつをかんじくるなり

・なんとこの素敵な日よりの薔薇墻(ばらがき)へピストルおとし手のやりばなき

・スカアルをはしらすあたり鯛鱧(たひはも)のうみの家具ならびいつもたのしき

・鐵の手すりの魅力はうつくしい白なればあなたと距離ありうみのうへなり

・しだり櫻の尖にはさくらさきおもり芝さへ裂かるつちに針生え

・谷のあをい空氣でふらつく木のまへにフランスよりこしカメラマンがあり

・樹からこし蝸牛をゆびにははせをればにじるじかんが谷のふかさになる

・まつさをな楓をしたへさしとほるひかりの妹ネムの花あり

・樹さへ草さへともだちなれば兎にも旅行以來の時間表を貸す

・かたはらの樹のなかに樂器を隠しつつあなたにあげるといふは恥(やさ)しき

キートンがひよつとでてきて愛してる映寫機のなかへかくれいりたし

・素裸(すはだか)で桃さく空氣にふれてゆけ雲なんてさかんに足もとながる

・棕櫚(しゆろ)の木に柔らかく天使のかげありて樂器ヴアイオリンじかんにながる

・ペエヴメントに歩をはこぶ靴の黒がみえ白みえ黒がみえうごくあひるみえ

・街路樹は枝なまじろく尖(さき)濡らしそらなる肉へひかりしたたり

・美しいリボンをこころに結びをれば萩のはな靡(なび)く關(かかは)りのあり

・やまがだんだん日暮れはあつまりくるゆゑに靑さにおされて塔ぞひくまる

・五重の塔をちかくの萩がうづめ去ればはなふかくなりぐるりに手をだす

・まつさをな風船も肩からはなれゐてガルボのかほにみなとのひるあり

・出船カラノビタルテエプガテヲハナレひらひらナビクトサビシクナルデス

・えんとつの尖(さき)はえんぴつのシンなれば海に鯛ちぢみひる零時なり

・靑じろくふるるえんとつ月よなれば猫の永遠なやはらかさあり 

 

 

早野臺氣の研究者 藤本朋世さんによるサイト

タンキスト早野臺氣の軌跡

 藤本朋世さん自身のサイト

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加藤克巳『螺旋階段』Ⅱ (モダニズム短歌)

 


・ハンチングのおとすかげから傾きて海面はわれの周囲となる 

・貝殻の旗で装つてしづしづと夜の酒場へぬすびとにゆく  

・はすかひに港の氷雨たへまなくぬれ色あをき石ころをける 

・鋭心 石なげつける 竹だけの 音とんで來る われのまなこへ

・草々にこもる命をふみにじり灰色のわれ風に立つてゐる 

・莨のけむりからまる幹は伸びたちてわれの左手まひのぼりゆく  

アブサンにはしる距離さへにほひだしそこに觸れたるはすみれの花なり 

・はるのよにほひけぶらふ杜ふかくふとい樹幹を抱(だ)きしめにけり

・樹肌刺せば全山の騒(さや)ぎひき拔きてまた斬りつける愉しくなりぬ 

・大木の幹に穴あけしたたりおつるいのちに濡れて狂ほしきかな 

・枝を過ぎ葉に觸れはにふれそしてみなわが眼のなかへ雨おちてくる 

・庭椅子の一脚(いつきやく)折れたり傾きて葉緑素のなかにわが胸つつこむ 

・雲柱の一角くづれて縞馬あらはれ驅けだすかけだすギヤロツプのおと 

・靑いペンキはあをい太陽を反射(かへ)すから犬の耳朶が石に躓く

・雨空へ掌(て)をはりつける指指の方向はしたたる不幸でしかない 

・屋根窓からのぞかれたこの粉飾は西班牙皿にうつされてゐる  

・杜ふかく紅(べに)の茸(きのこ)をふみつぶし氣狂ひにならうとねてもみるなり

・熟(な)りすぎて 樹にのぼる月 たたけかし地から季節はうちくづれゆく

・はづされて額(がく)のない壁眼底をすべり墮ちる星か音の虚(むな)しさ 

・遠くしろくおともないあらそひ雨からまりそつとさがすはわが翳(かげ)のなげき

・うちがはへまはると妙(たへ)なる風景のわれは肋骨をかけのぼるなり 

・夜の底から靑い聲反響(かへ)るすりよつて病犬は井戸へ月を落しき 

・葡萄園、ともる靑い灯、掌(て)の筋をはしる方向へわれはなくなる 

・あやまりて月の光を喪(うしな)ひぬ石ころ徑(みち)の石ころのなか 

・石階を青い魚抱かえ降りてゆくしづしづといまはかなしさもなし 

・闇に濡れて池の花あをく水たたけば背後に月の雲やぶるおと 

・足下に夕潮ひたひた白い石をぢつと握れば動搖もなし 

・黄な月のほつかりと浮く湖(みづうみ)は魚の啾くさへ身に泌みてけり 

・闇いちめんさきほこるなかなよなよと慄えつつ花をしづかに潰す 

・壁、壁、壁しづけさまさりおさへられおさへられつつつかれてゐるも




加藤克巳『螺旋階段』Ⅰ
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早崎夏衞『白彩』Ⅲ (モダニズム短歌)


・冬の季節の花の香氣の満つる室(へや)にわが血液の濁(にご)れるを知る 

・血液の濁れるを呪ふわれとなりて眞夜(まよ)のひびきをわが胸に聴く 

・いまわれは阿呆の果實(このみ)たべあいて木登りあそぶかなしさを知る 

・まつしろにひかる疾風にとびのつて子とあそびをりこれでいいと思ふ 

・ぬれぞらににほふ桃花(たうくわ)にちかくをればかくうつくしいかなしみをしる 

・街は街にバラを音樂をまきちらしわれはさくさくと果實を嚙る

・妻つれて花園にあれば透きとほり散る光あり春あたらしき 

・あけがたのほのぼのとさす薔薇いろのひかりのなかに妻をさそひぬ 

・七彩の片脚虹の截(き)るるところ花籬(かき)の秘密にけふもわが觸(ふ)る 

・手の甲に蟻を這はせてじつとみるいつしかわれは泣いてゐにけり 

・額(ぬか)よりも遠いところに組まれゐるわが憂欝にふるる薔薇あり 

・どこをむいてもわがいちまいの影ありて鏡底のやうにつめたかりけり

・窓を透(す)く黄薔薇(スウブニイル)の花家畜らは築牆(ついぢ)の霖雨(あめ)をあるいてかへりぬ 

・陰影が濡紙のやうに觸れてきぬ讀みさしの本をいそいでふせる 

・鶺鴒の羽にもまさる雲の片(ひら)のかかりゐる空はいつち美し 

・壁面の隈(くま)ひきはがせアマリリスの斑朱花(むらあけばな)はすでにかれたり 

・十二月の牡蠣のごとくも慄へつつさからふ妻は愛すべきなり 

・この室と距離ある靑いバスにのりし妻のシルエツトを掌(て)にいつくしむ 

・てり映えるあらくさもみぢいちめんのわが家の庭にこの犬死ねり 

・枝に咲いて枝にはなれて地に咲いて地にあざやかな紅い花かも 

・風ばかり流れる夏の草原にわが影をおいてこれをながむる 

・うすやみの底に皺み寄る密林のしろいうごきに片目なくしぬ 

・葡萄液(グレープジユース)を萎(しぼ)んだ腸に含ませて明日(あす)の昨夜(ゆうべ)の死に仕度する 

・横ざまに死せし花室の蝶蝶を古時計に入れ眞夜をみつむる  

・すれ行きし雜花奔車(あらばなぐるま)の映り香のゆれていつまでもそこらあかるし 

・晴晴と澄む空うつしほがらかな妻のひとみにうたがひもなし 

・この庭に落葉の音のたかくたつ日曜の午(ひる)を子を抱いてをり 

・薄闇にほのぼのしろき妻の顔に匂ひほど指のぬくみあたへぬ  

・與謝野寛の歌を考へてゐる朝(あした)碧空(あをぞら)を裂いて飛行機きたれり

・花園に埋めてひさしい戀ひごころまばたきにうつる秋となりたり  

・空と地に音樂ひびく夜の更けを廢れた夢をわれは追ひゐる 

・ひたすらに白い天使に言葉おくる雨暗らき午後の板椽の冷え 

・驛でなげしかれの言葉は友情の距離なり億兆の怡(たの)しさをかさねぬ 

・きみは詩人ラツパ卒なりあはれにも醉つぱらひをりきみはきみなる 

・埼玉の海にあそばんと云ひしとき笑はざりし君を今も忘れず 

・髪のごとく匂ふ叢に花Chalkのことばなき夢が野をかけめぐる

・北風に流離する魚簇のみじめなる目にきよらかな祈りささぐる 

・足もとにむらがる草に幾千のわれのすがたをみるははかなき

・月の芝生に白い素足をおののかせ消ゆる微風をあるときはしたふ 

・闇夜(あんや)にさす焚火(ふんくわ)のあかりほのぼのと太古にわれを象(かた)どりにけり 

・凍氷が牕いちめんを塗りつぶす恢色(けしき)わびしくぬつとたちあがる 

・一室の光線を逐ひ蜥蜴らの天鵞絨の縁にとけゆくもよし

・だまされることのたのしい朝だけはせめてうつとりとだまされるべき 

・コツコツとMINERVA(みねるば)の骨(こつ)たたくおと白梅なんかにたはむれをれぬ

・卓上の淡紫(たんし)の小花(をばな)ヒヤシンスに染(し)みるこころがあはれでならぬ 

・シヤンデリアの落とすわがかげ静かすぎる仕合はけだしあきらめならむ 

・落葉にまつはるまるい風たち廢園に黄な灯のひかりわがこころなり 

・かがやかしき稀書の鞁表紙に手觸(たふ)れつつ白梅林(はくばいりん)を散歩したりけり 

・香水(サイクラメン)の匂ひながれる朝庭に妻ちかくゐて薔薇瓣(ばらびら)をふく

・くらくらになつたたましひは溫室の黄や朱(あけ)の花のかをりぬすみぬ 

・わがたもつあかつきのやうなほがらかさカタロニアの花がつんと咲きをり

・ひつそりと碧空(そら)のしづくにぬれながらたんねんに白い手紙を封する 




早崎夏衞『白彩』Ⅰ
早崎夏衞『白彩』Ⅱ


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早崎夏衞『白彩』Ⅱ (モダニズム短歌)


・意識さへカメラにくれしたまゆらは空に樹氷のきらめきぞあり 

白薔薇のなかにわれあり霜に霑(ぬ)るる軟地(やはら)をふみて散歩しければ

・華やかに咲く飾燈のひかりうけ酒のみつぎてきはまりもなし 

・壁のすそにうづくまりゐる少女なり手をさしのべればまたたきをする 

・目をつむり眞夜なかの街(まち)を歩くなればでこぼこの地面がかなしまれくる 

・眞夜(まよ)の街にふいと停(と)まりし一瞬を魔もののやうにわが影を怖る

・ああかくもうるはしの花を胸にさし地獄おちなどたまらざるなり 

・喧嘩してわかれた友の奇妙なる鼻のかたちをスケツチにする  

・Prismeで覗かれてゐるわれなればマラスキノのみ身を粧ふべき 

・ひとすぢのながれ胸(むな)ぞこにMARASCHlNO泌みて物たちはゆめ象(がた)となる

・わが黝(くろ)い心の瑕を照らさんと手燭をともす女にぞある 

・眞夜なかに泪のごはずさびしさをみつめゐるわれはいつち美しき 

・うたがひのゆとりあたへずわれを去りし白い天使をなつかしみゐる 

・空のいろの美しい天使の舞ひざまを崩(く)え崖に立ちわれみつめゐき  

・かなしみを遠い野の果(はて)に埋めおき朝なつかしく花添へてくる 

・うつくしい人間たちのおこなひはわが知らぬ園に花咲かせゐる

・血液で彩られたるひと冬の記録もいまは土に埋むる 

・ひたすらにひとりの命を殺しきていま靑天に裸體をさらす 

・花の匂ひを指に含めて書きためるアドレスの無い葉書のみなり 

・春晝(しゆんちゆう)をあそぶ濱べに貝殻のひとつひとつの紅(べに)のにほひよし

・吾をめぐる蛇性(だしよう)の目からぬけいでてフランス觀光船の白い胸をおりる 

・生きものがきらひでならぬわれなりし小狗をだいて日あたりに出る

・港まちの螺線階段の家にゐて海からきたるなげかひのあり 

・爽やかな空わたりゆきひとりでに足踏みをすることはいなめぬ 

・硝子窓に蝶の羽ひとつ粘りついてわれにかかはらず外の暴風雨(あらし)は 

・靑一彩に匂ふ原ッぱをつらぬいて小徑ばかりがどこまでも冴える 

・この怒りをうからにうつすはかなさにゴンドラにのつて空にあそばん 

・じつに粗いタッチでなすつた海の靑さ白色珊瑚もえたりかしこし

・一月の海に貝殻を追放せしわれのあたまはあをぞらとなりぬ 

・かがやけるシヤンパンのカツプにふれる口唇(くちびる)妖につややかな花はそれなり 

・かがやけるシヤンパンのカツプにすこしかくれフリイジヤの白い花灯(とも)りゐる 

・冬の飢渇にリキユールをたらす孃の眸(め)のつぶら葡萄をかみつぶしやる 

・肘つきのあゐのびろうどにおいた手に白い匂ひが添へかさねらる 

・風がわく廊寂(さ)びくらく顔顔が遠くにちかくにしらじら笑ふ

・薄氷の濁る水面に憂欝な東京の風貌をふと感じたり 

・黝ずめる空の重きにひしがれしわがこの室に電話きたりぬ

・千萬の樹樹の枝枝折れ盡きてわが身をめぐる季節となりたり 

・歪み墜ちた階段にいつか停(た)つてゐて白雲ばかりわれはぬすめり 

・からつぽの靑空に白く浮かびゐる氣球もつひに見てしまひたり 

・空のひかりあつまりて咲く花でありわが影もいまは淋しくはなし
 
・はじめてみつけたやうな空なりき猿(ましら)の顔を彫(ほ)れる白雲(くも)浮き

・ソウフアの下にまがつてかくれきいた靑い聲とこゑをわすれえぬなり

・螺旋階段を踏みはづしたやうな悔もちて寒い泥土(ねいど)の感觸にひたる 

・風のなかにはげしく頽(くづ)るるものおとが暗いみちからひびき馮きくる

・卓燈のshadeにすがれし冬花(ふゆばな)のごとくうごかぬ縞蜂がゐる 

・いつぴきの縞蜂をわれはおひぬいていつしか追はれゐる夢をみし 

・夜の室のこまごまとしたものかげに怯えてつひに街にいでたり 

・汽車の窓に過ぎゆく白や赤の花にわが憂欝を捨てようとする 





早崎夏衞『白彩』Ⅰ
早崎夏衞『白彩』Ⅲ


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前川佐美雄『植物祭』Ⅱ (モダニズム短歌)


・ヴランダに地圖をひろげてねむりゐぬコンゴの國はすずしさうなり 

・美しいむすめのやうな帯しめてしとやかにをれば我やいかにあらむ 

・風船玉をたくさん腹にのんだやうで身體のかるい五月の旅なり 

・あを草のやまを眺めてをりければ山に目玉をあけてみたくおもふ 

・壁の鏡にまともにうつるあをい繪よマチスの額(がく)をふりかへりみる 

・この室の氣持をあつめて冴えかへる恐ろしい鏡なり室ゆ持ち去れ

・暴風雨(あらし)のすぎたる朝は奥の室(ま)の鏡さへそこなしに靑く澄んでる 

・覗(のぞ)いてゐると掌(て)はだんだんに大きくなり魔もののやうに顔襲(おそ)ひくる

・耳たぶがけもののやうに思へきてどうしやうもない悲しさにゐる 

・このからだうす緑なる水となり山の湖(うみ)より流れたくぞおもふ

・湖(うみ)の底にガラスの家を建てて住まば身體うす靑く透(す)きとほるべし 

・牛馬(うしうま)が若し笑ふものであつたなら生かしおくべきでないかも知れぬ

・ふらふらとうちたふれたる我をめぐり六月の野のくろい蝶のむれ 

・つかれゐるわれの頭のなかに映り太陽のかげかたちのみちの黒さ

・月の夜の野みちにたつて鏡出ししろじろとつづく路うつし見る 

・六月のある日のあさの嵐(あらし)なりレモンをしぼれば露あをく垂る 

・うつくしく店は夜(よる)からひらくからひとり出て來て花などを買ふ 

・カンガルの大好きな少女が今日も來てカンガルは如何如何(いかがいかが)かと聞く 

・壁面にかけられてある世界地圖の靑き海の上に蝶とまりゐる 

・遠い空が何んといふ白い午後なればヒヤシンスの鉢を窗に持ち出す

・草花のにほひみちゐる室(へや)なればすこし華(はな)やかな死をおもひたり 

・今はもう妖花アラウネのさびしさが白薔薇となりて我にこもれり 

・戦争のたのしみはわれらの知らぬこと春のまひるを眠りつづける 

・ひじやうなる白痴の僕は自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる 

・傘(いつさん)の樹陰(じゆいん)にわがねるまつぴるま野の蝶群れて奇(く)しき夜を舞ふ 

・百の陽(ひ)でかざられた世界の饗宴に黄な日傘さしてわれは出掛ける 





前川佐美雄『植物祭』Ⅰ



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前川佐美雄『植物祭』Ⅰ (モダニズム短歌)

・春の夜のしづかに更けてわれのゆく道濡れてあれば虔(つつし)みぞする 

・手の上に手をかさねてもかなしみはつひには拾ひあぐべくもなし

・おもひでは白のシーツの上にある貝殻のやうには鳴り出でぬなり 

・床(とこ)の間(ま)に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いて見てゐし

・眞夜なかの室(へや)に燃えゐるらふそくの火の円(ゑん)をいまは夢とおもへり

・子供にてありしころより夜なか起き鏡のなかを見にゆきにけり

・てんかいに遅遅(ちち)とほろびて行く星の北斗もあればわれのねむりぬ 

・何んとこのふるい都(みやこ)にかへりきてながい歴史をのろふ日もあり

・幾千の鹿がしづかに生きてゐる森のちかくに住まふたのしさ 

・このうへもなき行(おこなひ)のただしさいつか空にゆきて星となりたる  

・百年このかたひと殺しなきわが村が何んで自慢になるとおもへる 

・幾萬の芽がうつぜんと萌えあがる春をおもへば生くるもたのしき 

・千年のつきひはやがてすぎ行かむされども星は地にかへり來(こ)ぬ 

・つひにわれも石にさかなを彫(ほ)りきざみ山上(さんじよう)の沼にふかくしづむる 

・山上(さんじよう)の沼にめくらの魚らゐて夜夜(よよ)みづにうつる星を戀ひにき

・この壁をトレドの緋(ひ)いろで塗りつぶす考へだけは昨日にかはらぬ 

・なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす 

・四角なる室のすみずみの暗がりを恐るるやまひまるき室をつくれ 

・どろ沼の泥底(どろぞこ)ふかくねむりをらむ魚鱗(うろくづ)をおもふ眞夜なかなり 

・眠られぬ夜半におもへば地下(ちか)ふかく眠りゐる蛇のすがたも見ゆる  

・たまきはる生命(いのち)きはまるそのはてに散らつく面(おも)よ母にあらずあれ 

・ほのぐらいわが影のなかにふとひかり土にもぐれる蟲ひとつあり

・掌(てのひら)をじつと見てゐるしたしさよ孤獨(こどく)のなみだつひにあふるる 

・胸のうちいちど空(から)にしてあの靑き水仙の葉をつめこみてみたし 

・北窓のあかりのもとに眼はさめてこほろぎの目のあをき秋なり 

・ねむられぬ夜半(よは)に思へばいつしかに我は影となりかげに生きゐる

・室なかにけむりの如くただよへるわが身の影は摑むこともならず 

・止(と)まつてゐる枕時計のねぢかけるこの眞夜なかの何もないしづかさ 

・この壁のむかふの室(へや)にゐるひとの影(かげ)うすじろくわれにかかはる 

・おとうとがアルコール詰(づめ)にしてゐるは身もちの守宮(やもり)愛(かな)しき眼(め)をせり 

・ふるさとの虚(むな)し風呂にはいまごろは薄朱(うすしゆ)の菌(きのこ)生えゐるとおもふ 

・ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし 

・遠いあの靑くさ野はらを戀ひしがるわがこころいまも窗開けて見る 

・不安でたまらないわれの背後(うしろ)からおもたい靴音がいつまでもする

・何んといふ深いつぶやきをもらしをる闇の夜の底の大寺院なり 

・夭(わか)く死ぬこころがいまも湧いてきぬ薔薇のにほひがどこからかする


前川佐美雄『植物祭』Ⅱ



参考文献
伊藤一彦『前川佐美雄 (鑑賞・現代短歌)』(本阿弥書店 1993)
小高根二郎『歌の鬼・前川佐美雄』(沖積舎 1987)
三枝昻之『前川佐美雄』(五柳書院 1993)
鳴上善治『絢爛たる翼ー前川佐美雄論』(沖積舎 1996)
石原深予編『前川佐美雄編集『日本歌人』目次集(戦前期分)』(2010)

『日本歌人』戦前分を収蔵している図書館
茨木大学図書館 1(6), 2(1, 4-5, 7-12), 3(2-5, 7, 9-11), 4(2, 4-5, 8, 10-12), 5(3-4);新1(2-4, 6)[昭和15年5月-7月,10月], 新2(4, 8)[昭和16年4月,8月]
大阪市立中央図書 1(1-7),2(1-5)
現代詩歌文学館1(1,3,4,7),2 (2,3),新1(7)[昭和15年11月]
国会図書館6(8), 7(1)[昭和15年1月]
さいたま文学館 6(1,2)
昭和女子大学図書館1(1-3,5-6),2(1-5,7-12),5(8),6(1-6,8,11)
日本近代文学館 1(1,6,7),2(2,3,8),3(1,3,5,8,9,10,11,12),4(1,2,3,4,5,7,8,11,12),5(3,5,6,8,9,10,11),6(2,3,5,9),新1(1,2,3,4,5,6)[昭和15年4月-8月,10月],新2(1,8)[昭和16年1月,8月]
立命館大学 1(1-7),2-4,5(1-11),6(1-9,11),7(1-2)[昭和15年1月-2月
カッコ外数字=通巻数、カッコ内数字=号数


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加藤克巳『螺旋階段』Ⅰ (モダニズム短歌)


・のばす手にからまる白い雨のおと北むきの心午(ひる)を眩みぬ 

・うすじろいあさの思念になにをみし机の上にめくられてあはれ 

・書籍のかさなりくぐるむらさきの烟(けむり)たゆたふ梅雨の重たさ 

・暗い雨するりぬけて蛇の背のひかりかきくれ雨のひびかひ 

・靑き雨かぶさりてせまる窗ちかくみだらなる感覚に花をつぶしぬ 

・縞蘭の尖(とがり)つめたし暗い雨をここにあつめて紙嚙んでゐる 

・柱の傷に黒い花さく曇日(どんじつ)は襤褸(らんる)の下(かげ)で身をくねらせる 

・磁器の白に水のごとほつかり花が割れけさの生理をゆすぶつてゐる 

・雨にけさのあふれる體溫のとける色の鏡の中のアヂサヰの花 

・雨に疲れこもる身ちかく百合の花魂(たま)ゆするほどの香を發しゐる 

・桔梗のむらさきのいたさ病む胸をすりよせて石の墜つる音きく 

・ゆがんだ顔のしづしづと眼の高さまで雨は裏むきの音さへもなく

・緑蔭(ミドリノカゲ)夢かたむけてのそりのそり風のながれへ白猫(ハクビヨウ)のあゆみ 

・葩にふれ 飛行するあさ 海の淡淡(あはあは) とほいもはや搖れの輪となれ

・星隕つる闌春のふかみしのびやかにまつはる霧は胸を透しぬ 

・霧にながれる纎(ほそ)い影 しらじらと顯ち來るは誰の われの掌(てのひら) 

・じつとり濡れてうすぐらい晝病室にペシペシ花を折り花花を潰す 

・旗ばかり人ばかりの驛高い雲に彈丸(たま)の速度を見送つてゐる

・朱薔薇を翦れば庭いつぱいに風ひかり號外へおとすけさの水滴 

・浴衣にしみつく花火の夜の街スパイの臭ひを意識に追ふ 

・靑き月砲身みがけ呉淞(ウースン)のにほひ鼻つく八月の夜半 

・花の芯飛行高度へなよなよと喚聲らしき窓の靑さは

・しろい月横ぎるながさ越界路(エキステンシヨン)傾斜はすでにたへがたくある 

氷雨にただすぎゆくは喪章の列鹽のごとくわれはくたびれはてぬ

・まつ白い腕が空からのびてくる拔かれゆく脳髄のけさの快感 

・港のおと靄のなかよりちかくとほしこころぬらしつつわれはあゆみぬ 

・もやのなかにあをい體臭をうるませて埠頭にダミアの唄聲を拾ふ 

・提燈(らんたん)のいつまでも黄な匂ひけぶる靴音は距離を海にのばせり




加藤克巳『螺旋階段』Ⅱ
http://azzurro.hatenablog.jp/entry/2017/04/13/202808

加藤克巳氏の蔵書等は、さいたま文学館に寄贈された。
國學院大学時代のものを中心にノート類90点が、國學院大学折口博士記念古代研究所に寄贈された。



参考文献
加藤克巳研究刊行委員会編『加藤克巳研究』個性叢書 75 (短歌新聞社 1983)
菊地富美『加藤克巳作品鑑賞ーその幻想性と抽象表現』個性叢書249 (短歌新聞社 1999)
個性の会編『加藤克巳作品研究』個性叢書284 (風心社 2003)
個性の会、加藤克巳アルバム編纂委員会編『加藤克巳アルバム』(風心社 1993) 
さいたま文学館編『加藤克巳の世界ー伝統と革新の歌人』(さいたま文学館 1998)
佐藤信弘『加藤克巳の世界』(潮汐社 1976)
篠弘『加藤克巳―その詩精神
(戦中派から戦後世代の歌人)』(明治神宮社務所 2015)
関根明子『加藤克巳と「善の研究」』個性叢書 254 (砂子屋書房 2000) 
筒井富栄『加藤克巳の歌ー現代歌人の世界2』(雁書館 1992)
長澤洋子『庭のソクラテス ー記憶の中の父 加藤克巳 』(短歌研究社 2018)
光栄堯夫『加藤克巳論』(沖積舎 1990)
山崎孝編『抽象の雲ー加藤克巳作品鑑賞』個性叢書 37(風心社 1976)
吉村康『歌壇のピカソー孤高の歌人 加藤克巳の航跡』(沖積舎 1997) 

山歩きロングトレイルの第一人者だった加藤則芳は長男。

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