CAPRICCIO 冨士原清一 (稲垣足穂の周辺) モダニズム

CAPRICCIO

              冨士原清一

 

Night, such a night, such an affair happens.

 

パレットにねりだされた多彩な繪具族のかなしみと、明暗の花咲く女性(かのひと)の寢室に燈つてゐた小さいLampのさびしさを、外套の釦である紫色のビイドロに覺えながら、私は細い頰を高くたてた襟につつんで、この綠り色の星まばらな夜を歩き續けてゐました。
歡樂は美裝せる一人の士官である。彼の眞紅のサアベルは、つねにそれの數萬倍である憂鬱の雜兵を指揮してゐる。
私はこんなことを考へながら、この街でいち番高い處にある壮麗な大理石(マーブル)の架橋(はし)にさしかかりました。いつも愛してゐるこの陸橋からの眺めとは言へ、まあ!なんて滅法に奇麗な今夜なのでせう。街は黄ろい燈火の海をひろげ、そのあひだに赤・靑・綠などのイルミネエシヨンがちらほらし、まるでカアペツトの上に寶石を薔薇撒いたやうな夜景です。さうして靑いレールの群れがこのなかにサアベルのやうに煌いてゐて、いまにもあの透明體のキラキラしたシンデレラの馬車がこの街からあらはれてきて、古典的なミニユエツトを踊つてゐる星たちのあひだを縫つてゆきさうです。その美しさつたら思はずも唇からモオメントミユウジカルのひとふしがとびでたほどでした。
 このときです、ふと私は古ぼけたイタリア製の帽子の緣から、靑いヒカリが私の全身を捕へたのを氣付いたので思はず立ち止まつて見上げると、頭上にアアク燈が天空に向つて蒼い信號喇叭を吹いてゐました。……で、このボーボーといふ音をぢつと聞いてゐると、いつのまにかあのスクリインを想ひだし、今までこんなにも靑い夜を見たことがないやうに思はれてきました。それでこゝろ秘かにこんな靑いものに耐へられない自分の神經に怯へてゐると、頭のなかになにか漠然とした靑冩眞かフイルムのごときものが次第に大きく不明瞭に現はれてきてなぜか私はコロロホルムにでも作用されたやうにぐつたりと冷たい架橋(はし)によりかゝつてしまひました。……
 折柄ふいに終列車の轟きを聞き、靑いスパアクがパツと飛び散つたので、思はずもはつと架橋(はし)の下をのぞいてみると、ああ!なんといふことでせう!レールの群れが太刀魚のやうにこの架橋(はし)の下を流れはじめたのです。ついでシグナルの燈が流れだし、エメラルドグリイン・アムバア・スカアレツトなどの光りがピカピカと飛び散りはじめたかと思ふと、虹のやうな奇麗なテープや模様がメリイゴウランドの酔ひごこち夢みごこちに走つてゆきます。がついにはこん度は街までが崩壊して恐しい速さで無數の直線や矢になつて流れはじめました。さうしてこのテムポは一瞬毎に急調となり、仕掛花火や色電氣の仕業も及ばない位です。私の知人や友人など、記憾にある総ての人間の顔が黄ろい粒の羅列となり、ついには一条の細い火花となつて消し飛んでゆきます。太陽も、月も星も、停車場も、アンテナも、汽船も、活動写眞館も、街角の花売少女も、バツトの空箱も、ありと凡ゆる私の一切が、ありと凡ゆる世界の一切が、この强烈な未来派の色彩と音響を形成しながら流れてゆくのです。まさに名優が感激の極みに舞臺で卒倒せんとするとき、その一瞬に見る數千の觀客のIMAGEよりも、遥かに複雜な名状しがたいこの彩色光波の洪水が流れてゆくのを、驚きに意識を失つた私は、その閉ざした眼の紫いろの泳いでゐる網膜の上にいつまでも見續けたのです。.........
頭からすつぽりとシルクハツトをかぶせられたやうなほの暗がりの意識のなかに、どこかでぽつかりと白百合がひらくやうな氣配をかんじて、ひよつと私が氣がついたとき、私は高い、タカイ、TAKAIコンクリイトの城壁みたいなものの上で體をL字形にしながらBONYARIしてゐたのでした。

 

 

 

『薔薇魔術學説』1号 昭和2年(1927年)11月 (今回のテクストは西澤書店による1977年6月復刻版)

 

冨士原清一 Salutation
冨士原清一 BAISER OU TUER
冨士原清一 マダム・ブランシュ

 

稲垣足穂の周辺 目次

 

 

稲垣足穂の周辺

 

稲垣足穂の周辺の人々がどのような詩や文章を書いていたか知って戴きたくて、それらを少し集めてみたいと思います。

 

 

石野重道   赤い作曲
石野重道   キヤツピイと北斗七星
石野重道   聳ゆる宮殿
石野重道   廃墟

稲垣足穂   香炉の煙

上田保   白痴ある寶石

上田敏雄   裂かれた森の貝殻の腦髄が梳いた

上田敏雄   LOGIQUE DU OBJET

遠藤忠剛    海生動物 1

     海生動物 2

        海生動物 3

                    海生動物 4

衣巻省三    グウルモンにささぐ

衣巻省三    毀れた街

衣巻省三    春日

近藤正治    アスフアルト・スクリーン

近藤正治    銀座の若いキリスト

近藤正治    ココアの夢

高木春夫 虛無主義者の猫・・・

高木春夫 幻想W

高木春夫 ダダの空音

高木春夫 眠り男A氏の發狂行列

高木春夫 星の転生

高木春夫 水の無い景色

竹村英郎    金魚

竹村英郎    長靴

田中啓介    月夜とTABACO

田中啓介    分離以後の恒等式

田中啓介    星色の街

冨士原清一    CAPRICCIO

冨士原清一    Salutation

冨士原清一    BAISER OU TUER

冨士原清一    マダム・ブランシュ

星村銀一郎    水夫とマルセイユの太陽

星村銀一郎    PARE SSEUX MERITE (怠惰な偉勲) 

丸山清    秋と病める少年

丸山清    鷹

丸山清    ノツク・バツト型「のぞき器械」

 丸山清    不幸な鴉の話 1

    不幸な鴉の話 2

    不幸な鴉の話 3

    不幸な鴉の話 4

山田一彦    惡魔の影

山田一彦    海たち

山田一彦    寛大の喜劇

山田一彦    CINEMATOGRAPHE BLEU

山田一彦    天国への通路

山田一彦    二重の白痴 ou Double Buste

山田一彦    花占ひ

 山田一彦    Poesie d'OBJET d'OBJET

山田一彦    PHONO DE CIRQUE

山田一彦    無限の弓

山田一彦    桃色の湖の紙幣

山田一彦    Mon cinematographe bleu

山中散生    Pensee et Revolution des Danseurs en Ciel

 

 

このブログ作成に関してオーテピア図書館(県立図書館や市民図書館だった頃から)の若くて優秀な司書さん達に御協力戴きました。司書さん達の適切なアドバイスやインスピレーションのおかげでこのブログが出来た、というより、その方達がいなければこのブログは生まれていなかったと痛感しています。感謝。

 

 

 

 

 著者についての情報やご意見を戴ける方はこちらまで。
nostrocalvino@gmail.com

 

モダニズム短歌 目次
モダニズム俳句 目次

詩ランダム

 

坂野健   (モダニズム短歌)

 

 

・踊る空中人形 風景に墜落してくる螺旋階段 鐘に午後三時の針が映る

・鏡に映つて結ぶ襟飾(ネクタイ) 手振り忙しい 一隅を鰭動かして魚族が過ぎる

・鏡の奥に凝視める瞳をみた 縹渺と 靜かな雲がゆききして絶間ない

・鏡の中に蘚苔類が生える 蝶の粧(すがた)となつて鱗粉を撒き散らしたりする

・旣に齡を見送り 激しい潮騒に洗はれる 右肩の在所(ありか)を手探つてみる

・背を耀かしながら日日の神が過ぎる 漠漠たる穹窿(そら)にゐて ただに空しい

・蝶族のマヅルカがくづれる 年老いた神は 光る背から雲をおろした

・言葉は氣泡となつて噴き上る 露臺(バルコン)の象牙の鳥籠でインコが季節を啄んでゐた

・めくるめきつつ一日の姿を灼き 自畫像かくと自らの坩堝へ燃え落ちる

・自ら身やきてしかも勝利を歌ふものよ 鱗粉の厲しさの中を今沈みゆく

・いちづに傷痕を剖き 爛々たる光塊の わが漂泊の頸垂れし上に停る

・風風 砂塵 白つぽい道に沿ひ 榮光に輝いて太陽の中へ隠れていつた

・再びその太陽に導かれた 蕭絛とした道が續きゆきつき難い距離と思ふ

・逃亡する足跡を追ひかける 精密な地圖の上には煙幕がひかれてある

薄暮のはてるところ頭文字(イニシアル)を刻む しらじらと音のない瀑布が落ちてゐる

・ひたむきに 捉へんとする手すりぬけて ひろき圓周をまためぐりくる

・家族は梢に棲んだ 天明(あけがた)の色にそまり 病のある窓に鮮紅色の歌を隕した

・額緣の中の 海港の匂ひ マドロスの鼻を鷗がしきりに出入してゐる

・空から降りるのは 大きな蜘蛛か キリコの海港では 光る肺が編まれ始める

・白晝のマドロスは甲板にゐる ピカソの重厚な畫布(カンヴアス)に 彼は一ひらの蝶を飼ふ

・光塊の苑を時が立ち去る 道 海に注ぎ・・・・・海島に白い睡眠が下りる

・海を歩くキリコに硝子の犬がはしる・・・・・ピストンの浮彫を よぎるのは忘却の影か

・書きとめる紙に 故郷が翳り 掌の上の風景となつて月光に濡れる

・この丘は 物音もなく 鳥の嘴が土くれをたたき 梢に 白い黄昏が佇つてゐる

・晦澁な日暮れをむかへて 梢は北に靡き 肉體の塔に 一基のランプが灯る

・ほうと叫ぶと 聲はそのまま凍えてしまひ 星となつたが 梢に谺が隕ちてきた

・空ゆくものに叫びをあげ まろぶやうに 息づいて 夜の目に蒼く木靈が走つた

・幾たびか 盲ひし小鳥の訪れて わが心の沼に その眼を洗ふ

・寂寞(しじま)はやどつて 自らへの重みとなり 昏い沼 わが腹底に沈んだ

・飜へる骨牌の 記憶の苑への翳となり もえ殘る骸炭の中にわが姿ある

・波たてて 凩すぐるわが胸に あはれ 瞠(みひら)いて 今宵 魚族ら眼覺めゐる

・反つて來るのは 木靈であつたか 呪文を銜へて 蚊喰鳥が飛んでゐた

・弧となつて 地平は垂れ 黄昏 わが狙ふ銃先の 一絛の火と燃えた

・陰(きた)さしてゆく雲 雁と氷雨をのせた 幾夜さか 極の却は火を放つた

 


モダニズム短歌 目次

 

 

http://twilog.org/azzurro45854864
twilog歌人名または歌集名で検索すると、歌をまとめて見ることができます。

 

逗子八郎   (モダニズム短歌)

 

 

・沼澤地方の習慣で 發育した肢體のまま 取引所の走狗となつた

山麓地帯の花盛りを過ぎてから あれは砲兵の儀禮ですと眼鏡を拭つた

・屋上庭園(ルーフ・ガーデン)。白鷺が並び美しい脚でタイプライターの擬音を立ててゐる

・林のなかの夕日。ウビガンの匂ひ。分讓地の美學は複雜な數式をもつ

・矢車草のやうな形態。朝の商業區のリズミカルな蠕動が葉柄を動かしてゐる

アテネ丘を越えて疲れた鶴 藝術院よ 養老院よ 揃つた

・愛國切手。美しい思考の角度。巨大な歩みに就て君もしらない

・ヒユームよ アポリネールよ 鉛の彈道の美學を次章にのこしたまま

・蜩に昏れ入る馬込の谷 このうるはしい祖國の顔をしばし見守つてゐた

・騒々しい靴音は捨てておけ 俺は俺の花園のなかの花のなかに沈む

・冷然と扉(どあ)をしめた 内側の構造は誰もしらない扉(どあ)のなかにかくれた

・私の愛する窓を寂かに澄ましめよ そしてその日のその時まで

・冷い感覺の魚が戰車から迸り あの近づいてくる 故山の修身講堂を

・手巾(はんかち)をふりつつひとは墜ちてゆくとも若者達よ より高い精神の輝きを君達の手で

・激しい磁場のなかで君の言葉をきいたけれど花卉も飛行帽も皆赤くぬれてゐた

・向日葵がある意識を刺戟する 遠い雲のなかにヂュラルミンが光つてゐる

・公債艦隊。人絹のシュミーズ。この流域は徒渉しやすい

・茫漠たる収支よ。芽吹かぬ新樹の上を つぎつぎに美しい馬具が流れる

・或朝短劍が垣の蔓薔薇に刺さつてゐた 私はひつそり穹窿(そら)の内側に坐つた

・樂器のやうにひゞいて來る肉叉(フオーク)の音 旣に蛾は無數の思想を産みつけて去つた

・月に翅の透く昆蟲 美しい衣裳につゝまれた肉體の見える夜となる

・鏡の前に立つて笑ふ植物性の知性 衣裳が散りおちるとあたり一面の月光であつた

・玻璃器(ガラス)から咽喉(のど)に溢(こぼ)れる水 月光が美しく人體に侵入してゆくのが見える

・やがて氷河をわたるものならば せめて明るくこの月に屍(しかばね)となつてゆかう

・落葉の底に潜む記憶 莨の銀紙を光らせながら朝の林間をゆかう

・落葉の底を流れる水 一本の立木を搖(ゆす)ると 眼窩に深い瑠璃空がたまる

・林の外れの草屋根 生活の波長が眼に見えぬ速度で午後の背戸を洗つてゐる

・夕潮は金星のひゞきを持つ 硝子戸のなかで靑く植物の葉が烟となる

・葉巻をくゆらす夕暮の海 硝子の内側で象牙がしづかな音を立てゝゐた

・金色(こんじき)に燃える海 暗い硝子のなかで乳房がいつまでも燃えてゐる

・この部屋を洗ふ濃い時間の流れ 人間ほど人間を悲しくさせるものはない

・椎の葉陰に更けて駐(とま)る儀裝馬車 白い墓より半ば身を起し窓帷(カアテン)を挑(かゝ)げる

・裸婦の繪の下で啜る錫蘭(セイロン)の花 やがてその馬車は光る海に下つてゆくだろう

・功名の蔭に木深く眠る幾多の夢 長劍微かに鳴つて石階を下る

・常春藤(きづた)の壁に添ふ道徳的の遁走 嬌然と夜半の月光に刺される

・月光に浮き彫りにされる微笑 やがて僧院の奥ふかく浄衣が畳まれる

 

 

モダニズム短歌 目次

 

 

http://twilog.org/azzurro45854864
twilog歌人名または歌集名で検索すると、歌をまとめて見ることができます。

 

六條篤   (モダニズム短歌)

 

 

・はろばろと あかつき白きわが夢に 點々と汚れたる 神の足跡

・この白きけものの肌を撫でさすり 木枯のたえまに とほき神々の跫音をきく

・凍りたる土に吐く嘔吐の 鬼畜となりて なほ 人を 神を憎めり

・わが背におびえて降りる 坂路の どこまでもつづく この 言葉の傾斜

・幸うすき二月よと わが祈る手の越えてゆく 神々の嶺(みね)

・あるなしの 鏡の中を吹く微風(かぜ)に ひねもす わが像(すがた)さへ捕へかねたる

・にし ひがし この空漠のさすらひに 梨花も眠れよと わが子守唄

・ふと つき當りたる わが背を撫でさすり 碑文字にふかき黄昏のかげを讀む

・音もなく梢に降りる 神々の 夜々のたはむれも われには重し

・百千の わがいつはりを嚙みくだき 神々の面に にがきつば吐く

・日日は辛く 僞の身にかへる刺 わがこの舌の裏表ある

・見つむれば わが影の底知らず ひたすらに合す掌のその隙を墜ちてゆく

・黄昏は わが掌(てのひら)の手に重し いと高き神の眸よ ゆく雲の背

・蒼穹(あをぞら)で 鳥は鳥の形に ねむる梨李(すもも)辛夷の花や夢は梢に

・空かよふ夢の翳よりも とほききのふよ 地の果に 母はまたその母の名を呼ぶ

・墜ちし夢の翳 地に淡く 空渡る季節(とき)の聲あり

・あかときを唄ふ梢の 松の花しろじろと また けふの日がはじまる

・歌ひ終れば背景の白き梢よ 風はどこまでも 喜劇の空を流れる

・燃えつくし わが掌の灰となり なほ禱る掌の形ある

・日毎 わが生きの身に打つ 釘の音の 冬空に響き應へるは何の笑ひぞ

・なんぞ ときに 白き笑ひの身に刺さる 石に彫る魚の眼に はてしなく冬空は澄み

・啼く鳥の啼かぬ日暮よ 掌に親しく 虫の歩む手ざはり

・小鳥の居ない鳥籠があり 山寺に訪ねた春は留守でした

・黄昏は 過去の垣根にそうてくる この道をゆきくれて また 自らの背を見送る

・暮れ殘る黄昏の道 しろく 自らの言葉を嚙めば 記憶に混る砂もあり

・母の背に 指で書く文字の いつしかに黄昏れて わが旅の ゆくへうしなふ

・翳重き わが日々のたはむれ 手をたたけばきのふの空に ふりしきる花

・花花は すべて 南へ傾いて もの言はぬ村落のうへ いつぱいの夜

・手をたたけば いくたりもの侏儒がとび出して 廢園の闇に 花花はくづれる

・はるかなる玻璃器の底の 靑空に わが血を 滴らし 祖(おや)を憎みてやまず

・夜明 わたしがつまづいて倒れたのは わたしの忘れた白影(かげ)。

・新しい頁を切り開いて 索めてゐるものはたつた一人のわたし。

・夢は掌にこわれた 風の行邊を追つてあなたは魚の眼をする。

・その美しさは何ものをも强いない たゞ少女は夢の重さをかこつのである。

・ひとすぢに爪は月夜をぬけ出でゝ 白いグラスのひゞわれを這ふ。

・天地のけじめさだかに陽の照ればわが身の傷も透けて見ゆなり

・樹々の幹透けてはるけし地に卵生みゐる虫のひそかなるかも

・山深みゆるく這ひゆく朝霧に苔の肌(はだへ)のぬれて光れる

・星と星の間の深き夜空を流れゆく聲ありよごと眠らしめざる

・夜々の星かぞへ疲れてなほ仰ぐわが身に痛き空のとげかや

・地球ハドコヘ墜チルノデアラウ 黄昏ノ尾ヲヒイテ 誰レモガ母ノ名ヲ呼ビツゞケル

・風ヲ呼ビ 雲ヲ呼ブ巨大ナ手ノ翳二 人間ノ骨ヲ寄セ集メ 褐色ノ情熱ヲ燃シタ

・絡驛トツゞク人馬 黑キ血ノ記憶ノ闇ヲ走ケ巡ル白キ花 人ヤ馬

・不透明ナ時間 老イタル新聞紙二唄フ 肋骨アア花ヤ花

・地球ガ呼吸ヲヒソメル 夜ハ夜ノ重サ二沈ム

銃口ノ深イ闇ヲ切ツテ 又モヤ肉體ノ底二星ガ墜チル

・朔風二耳ヲ澄セバ 肩カラハ又新シク片腕ガ墜ル

・全ク月ガ熟レタ 地球ノ斷面 東洋ノ食卓ニハ茶ノ葉ガ浮ンデヰル

・全テノ葉ハ落チツクシテ 皹破レタ記憶ノ空 ハルカナル地平二白キ墓標ガアル

・サツスーン ソレハ一陣ノ風デアル 熟レツゞク麥ノ穂二地球ノ髪ハユレテヰル

・地球ノ裂傷二沿フテ流レル雨ガヤガテ新ラシイ河ヲ作ツタ

・ひとすぢに しろく流れる空の河 おもひ渇くままに 醒めて眠れり

・空の上 幾重にもまた空があり 日毎 われには重き 家郷の山河

・手にふれる樹々の幹みな透きとほり わがふる里はかくも間近き

・十重二十重(とへはたへ) いつはりの雲を踏み なほわが舌にあらぬ重さよ 

・海の藻草も つひに空しく枯れしといふ 魚の血潮も渇きてあるべし

 

 


モダニズム短歌 目次

 

 

http://twilog.org/azzurro45854864
twilog歌人名または歌集名で検索すると、歌をまとめて見ることができます。

 

太田靜子  (モダニズム短歌)

 

 

モダニズム短歌補遺ともいうべき歌群。
太宰治『斜陽』の原作者太田靜子が、戦前短歌におけるモダニズム表現の集積地だった新短歌でどんな歌を詠んでいたかということで、ここに挙げておきます。


・天使のダンテルがふるへ 悶えが續き、繪皿の夢に眠りたかつた

・愛の移ろひ、聖き血のいえぬ迷ひで 菩提樹の風を待ち侘びる

・告別の踊のころ森はざわめいた わびしき悶えに消えのこる光だつた

・愁はうつとりと キラキラする星を歌ふ 婚禮に囚はれて 眠りの精が消えてゐる

・あのやうな光にも 燃えたつたミルテの夢、いま星に冴えて思い出はやさしい

・天使は消えて菫がうごめく 地上に嘆きはすべての夢に秘めてあつた

・歎きにうつる俤(おもかげ)もなく菫をつんだ 遠いしあはせに眠りたかつた

・天にちらばる貝殻星 今晩は(ボンニユイ) 綠色リボンの侘しいことを知つてゐる?

・噴水の光芒に 游いでゐるやさしい夜曲、不幸なベーゼの悲しみよ消えよ

・消えかかる虹のしあはせ しあはせ 私のリボンは黄色になつてゐる

・假睡(ねむ)る貝殻の古い夢はやさしい ごらん愛する者が 星のやうに小さく見える

・おもひ泛(うか)んでは吹かれる明け方 靑しみて わが生誕の遙かな愁ひよ

・白百合の移ろうところ 明け方よ 樹々はローソクを消してまはる

・星まばたけば 野ばらの夢しなだれかかる わが歌よ湖をさまよひ行け

・樹液の流れに 上衣が失はれはじめた いま動けば 美しい攪亂がくる

・匂ひと色に埋れて 假眠(ねむ)る あれは風かしら《私が可愛いい》

・羊齒の下でレエスをあんだ 波がきこえるあれは蝸牛を呼ぶのだらう

ローソクの明りを 湖に投げる 祝婚歌も南の風を待つてゐる

・タンブール喪(うし)なひ 菩提樹によりそふ 眉の上に さらに 靑い湖が見える

・ヴエヌスの肌に こぼるる月光(つき) さびしい虫のゐると思ふか

・首失へるヴエヌス 風と虫 たのしい舟のたつころよ

・素足でふめば 水滲みて來て 虫の生れる草の中

・潮流の靑い匂ひ 戸が動き 碎けるものがあらはに見える

・水色の空に染まり おいしい泉よ ぬらしてゐる白襦子の肌

・あでやかな女達 眼(まなこ)ひらき 呼び合ふ 墓は沈んでうめいてゐたが

・横たはる石より 薔薇色のけむり立ち 影とものうさの身はくずるる

・踊子は古ながらのあでやかさ 運ばれてきて 私はこんなに靜かな様子

・墓地の靑い影繪の下 笑つて通れば あなたよ紅薔薇が咲いてゐる

・はだしの足で 海へ下りる 俯向いた天鵞絨姿 枯草の絶間なき接吻の後

・波頭 ヴエヌスの妹 貝の桃色ただ西風の吹くばかりに

・ここらこのあたり 黒い月 落葉はすれど 來るあてのあるあで姿

・夜鶯やさしげに 黒い月のうつけきに あだ姿と身にしみる

・つめたい霧に 落ちてゐる柊の花 影繪となつて搖れる胸にも

・ペパーミントは細めになり 喘ぐ息よ 追ひながら逃げねばならず

・霧にぬれ やすやすとくず折るる ペパーミントをのませて貰ふ

・靄に立てば 頰にかかるあなたの手よ 濡れて來たと思ふばかり

 

13番目「白百合の移ろうところ」と16番目「匂ひと色に埋れて」の歌を修正しました。私のうっかりで書き間違えていたようです。

終わりから3番目の「ペパーミントは細めになり」の歌を追加しました。上記の歌は下記の書籍から採ったものですが、近いうちに太田靜子の第一歌集『衣裳の冬』を確認して、出来れば歌数を増やしたと思っています。

 

『新短歌:年刊歌集1937年』『新短歌:年刊歌集1938年』から。
モダニズム短歌 目次

 

 

http://twilog.org/azzurro45854864
twilog歌人名または歌集名で検索すると、歌をまとめて見ることができます。

 

草飼稔 Ⅱ  (モダニズム短歌)

 


・氷の下に空の映りだすのはいつだらう、川はどちらへも流れてゐない

・空にも雪が降つてゐて つひ 食卓に後姿でのこされ隣の人のナイフを握る

・どこからくる切なさであらう、松の花ほどの姿勢で ひたすら剃刀をみせてゐた

・もはや日數はうごかない、林のつきる空に たそがれの瀧がおちてゐた

・歌ひのこした空に 傷つきやすい言葉をおとして 少年は波のやうに花の身振をくりかへす

・そこにも雪崩があつた、昔の肩をさぐりながら 鋭い刃の 流れをつかむ

・いたましく 睡りからさめてゐた、わたしも毀れやすい空をシイツにしてゐた

・本をひろげる もう雪は降りませぬ シヨベルの音が冴え 斷崖だけが見えてくる

・十年──すでに松の花に歩を移した、川を身につけて劇しい波頭に近づいてゐた

・身を託す情(こころ)はない、五厘の凧をあげて空を圖り 風のとりまくところへ 灯をともす

・プログラムのやうに果無かつた、さむい挨拶をくりかへし けふも盃をさしのべたまゝだ

・さぐりあふ空は花に似た、明るく雲が來て坐り 蝶のやうないでたちをする

・汲めどもつきぬ空があり、ものさびた樹の枝々笛を鳴らして いきづいてゐる

・狙はれてゐる瞳をした、砂の行方を看まもつて 明るく 背部の海へ歩いてゆく

・どこかで噴水の音がする 門だけが殘つてゐる石の上で よろめきながら 胸をさがす

・とほくでベルが鳴り 寒い時が經つ また 川のやうに切ない手紙を書く

・霧に話しかけてゐる、波が來て消す沙の上で 耳鳴りのほどの わびしさであつた

・あてどなく空に戯むれる、噴水のやうに 咳きこみながら 私からすべてを奪ふ姿勢で

・たれが私を呼んだのか、みあぐれば明るい瀧がおちて この若い気構へが 空にのぼつてゆく

・ランプに類した集り、何と象徴的な夜であらう、荒地からは合唱がきこえてくる

・手袋を忘れてきた、いたるところで劍の音がする。硝子のやうに笑つてみせる。

・越えるものがない 地平線はいくつも國旗をかくしてゐる。鶯はもう鳴かない。

・肩をはづすと 白鳥がとび去る 寢臺に散る李の花にも 火藥の匂ひがのこる。

・空が無い。逞しい左手だけが 靑い苹果(りんご)を握つたまま 花のやうに走つてゆく。

・新聞紙の上に 雪が降りしきる。何かを待たねばならないやうに 照準をする。

・氷の下で眠りからさめる。いくつものカメラを向けられ 絶望から立ちあがらない。

・人々はめいめいの河を武器に移した。若い計畫は 慌しく生涯を追うのであつた。

・靑年らは砂漠をひきづつてゐた。明方の食事にはユマニストにラツパ吹かせた。

・黄昏はどこであらう。また新らしい山脈がみえて フライパンの底に雪がのこる。

・國境は霧のなかにあつた。昨日のコンミユニケは寂しく 傷痕は花のやうにゆれてゐた。

タンポポの下で歌つた。すべての機械にとりまかれて 日本の石たちも搖れてゐた。

・花粉が頰に吹きすぎる、海と肩をならべながら はかない武器の位置をなほした。

・體操をぬけ出るために 虚しく海をうつす義眼も ときには國旗のやうに輝きだす。

・睡つてゐる間に 多くの庭をすぎて 空にすてられた花束のやうに 切ない沐浴をした。

・歌ひながら すべてが空へおちてゆく、女は野茨の藪で 汚れた羽をかくした。

・だれも歸らない徑で あてどなくめざめてゐて、噴水のある明方であつたね。

・約束はをはつたね。だれの夢がさめたのか、どの空も地球儀のやうに侘しいね。

・あさい夢であつた 古い本のきざはしで、物語りのなかばで 寒い河が流れはじめた。

・五線紙の上に霜が降りてゐた。石のやうに侘しいピアノ、指のありかをさがしてゐる。

 

 

 

草飼稔 Ⅰ


モダニズム短歌 目次

 

 

http://twilog.org/azzurro45854864
twilog歌人名または歌集名で検索すると、歌をまとめて見ることができます。