航海 その他  瀧口武士  (詩ランダム)

 

航海

           瀧口武士

夜おそく、船長室の窓をあけて、彼らは小さな會話を始める

 

 

Cabinの窓に秋が來た
河岸にある舟舟舟
あの帆柱をかぞへてごらん──猫が居るから

 

 

高臺

三月の高臺は鶯曇りである
坂になつた段々の街で
午前の時計が鳴り合つてゐる
遠い市街に電話をかけると
馬車のひゞきも聞こえてくる
春になつた海邊の街から
汽車が鐘をならしてやつて來る

 

 

 

梨の花
椅子

室の裏に新道がある

 

 

 

『園』(椎の木社 1933)

 

 

 

瀧口武士 古き市街


詩ランダム

 

 

母 その他  吉田一穂  (詩ランダム)

 

           吉田一穂

あゝ麗はしい距離(デスタンス)
常に遠のいてゆく風景………

悲しみの彼方、母への
搜り打つ夜半の最弱音(ピアニシモ)。



彼女にひそむ無言。
夜を行く裸形の群れ
彼等は踊る。

愚かなる野の祭り。


自像

黃金と香気の密かな文字を刻む深夜の薔薇
背後(うしろ)をゆく靜かなる群れの中に影像を呼び
生きながら面と線とに容姿(すがた)を分解(わか)ちて印し
その時劫の鏡に天宮算命圖(ホロスコープ)を畫く舊約の時。

 

 

 

 

『海の聖母』(金星堂 大正15年(1926年))


詩ランダム

軍艦茉莉  安西冬衛  (詩ランダム)

 

軍艦茉莉

             安西冬衛

「茉莉」と讀まれた軍艦が北支那の月の出の碇泊場に今夜も錨を投(い)れている。岩鹽のやうにひつそりと白く。

私は艦長で大尉だった。娉嫖(すらり)とした白皙な麒麟のやうな姿態は、われ乍ら麗はしく婦人のやうに思われた。私は艦長公室のモロッコ革のディヷンに、夜となく晝となくうつうつと阿片に憑かれてただ崩れてゐた。さういふ私の裾には一匹の雪白なコリー種の犬が、私を見張りして駐つてゐた。私はいつからかもう起居(たちゐ)の自由をさへ喪つてゐた。私は監禁されてゐた。

 

月の出がかすかに、私に妹のことを憶はせた。私はたつたひとりの妹が、其後どうなつてゐるかといふことをうすうす知つてゐた。妹はノルマンディ產れの質のよくないこの艦の機關長に夙うから犯されてゐた。しかしそれをどうすることも今の私には出來なかつた。それに「茉莉」も今では夜陰から夜陰の港へと錨地を變へてゆく、極惡な黃色賊艦隊の麾下の一隻になつてゐる──悲しいことに、私は又いつか眠りともつかない眠りに、他愛もなくおちてゐた。


夜半、私はいやな滑車の音を耳にして醒めた。ああ又誰かが酷らしく、今夜も水に葬られる──私は陰氣な水面に下りて行く殘忍な木函を幻覺した。一瞬、私は屍體となつて横はる妹を、刃よりもはつきりと象(み)た。私は遽に起とうとした。けれど私の裾には私を張番するコリー種の雪白な犬が、釦のやうに冷酷に私をディヷンに留めている。──「噯喲(ああ)!」私はどうすることも出來ない身體を、空しく悶えさせ乍ら、そして次第にそれから昏倒していつた。

 

月はずるずる巴旦杏のやうに墮ちた。夜蔭がきた。そして「茉莉」がまた錨地を變へるときがきた。「茉莉」は疫病のやうな夜色に、その艦首角(ラム)を廻しはじめた──

 

 

 

 

『軍艦茉莉』(厚生閣書店 昭和4年(1929年))

 

 詩ランダム

 

ひややつこ  井上多喜三郎  (詩ランダム)

モダニズム詩で冷奴なんですよね。関西風と思った由縁です。

 

 

ひややつこ

           井上多喜三郎

谿水で沐浴をしてゐた豆腐です


豆腐は中までしろい
豆腐は四角ですが
こゝろに骨を持ちません


生薑と醤油が
彼の人格を
僕の舌の上で賞める

 

 

 

 

 

『花粉:井上多喜三郎詩集』(内藤政勝 1942)


井上多喜三郎 言葉
井上多喜三郎 徑
井上多喜三郎 時間
井上多喜三郎 綴れない音信
井上多喜三郎 蜻蛉
井上多喜三郎 日曜 その他
井上多喜三郎 窓

 

 

詩ランダム

 

 

タバコ その他  井上多喜三郎  (詩ランダム)

 

国会図書館デジタル・コレクション『花粉』の落丁頁にあるはずの「タバコ」を全集版をベースにアップしています。あと2つの詩は、他頁のデジタルコレクションから。

 

 

タバコ

            井上多喜三郎

風が吹くたびにシヤツポをとるパイプ

風がくわえてゆくその小さなシヤツポは
こびとの國の 王様のシヤツポでした

 

 

手紙

ポストの巨離に キレイナお月さま


花瓣のやうに むしる手紙でした

 

 

シロホンのやうに竝んでゐる木柵でした


石だたみには打水がしてあつた


リボンのやうに長い夕暮でした

 

 

 


※「驛」詩の「巨離」→「距離」、多分。

 

『花粉:井上多喜三郎詩集』(内藤政勝 1942) 『井上多喜三郎全集』(全集刊行会 2004)

 

 

 

 

井上多喜三郎 花粉
井上多喜三郎 言葉
井上多喜三郎 徑
井上多喜三郎 時間
井上多喜三郎 綴れない音信
井上多喜三郎 蜻蛉
井上多喜三郎 日曜 その他
井上多喜三郎 窓

 

 


詩ランダム

 

 

井上多喜三郎  (モダニズム短歌)

 

近江のモダニズム詩人井上多喜三郎の短歌作品です。専門の歌人の作品のみをモダニズム短歌とするなら、番外編かも。


・馬橇の鈴の匂ひが豐です曠野いつぱい春の雪、雪

・アツプルが銀のお盆へ綠色の夢を投げてる初夏の宵

・曇天のくさつた腸をつきさしたマストのやうな葱の靑さだ

・まつしろなイチゴの花が空を硏ぐはつなつの朝をオームと話す

・月の手がタイプライターで戀を打つベツドに宿れ鈴虫の歌

・大鳶小鳶空に硏きをかけてます汽車のけむりが雲となる晴

・居酒屋の小町娘は十七よおしやれ燕が酒買ひに來る

・沸きかへる歡聲よそにみなし兒は花火みてゐたいてふの樹に倚り(運動會)

・太陽と襁褓襁褓とこひのぼり若葉の中でかくれんぼする

・麥の穂に月のあゆみがきこえますだまつて手をとるふたありのこころに

・ひとり身には小鳥が朝の時計ですアスパラガスにふかす寢莨

・輪になつて軍歌演習だ手を叩く營庭に高く產れ出る月

・朝光を斜に切つておとづれた封筒に菜の花がつきゐる

・木柵を越えくる春の微笑ですスイトピーがこゝろ捕へた

・マーブルのポーチ訪(おと)なふゴム靴の郵便脚夫がふめるステツプ

・びろうどの帽にさゝやく春の風兒は口笛で羊追ゐる

駅馬車の窓から游ぐカアテンのレースは花の香にそまりゐる

・カツフエは機械マツチだよサンポのタバコの火一寸貸りに寄る (「貸り」ママ)

・ともつたり消えたりしてゐるとき色の窓の灯(ほ)かげは花の香がする

・ポケツトが花の雫でぬれまする窓の薔薇の優しいことづけ

・娘(こ)がくれた百合の花ですだまり娘(こ)のこゝろ聽えるラヂオのラツパ

・夕ぐれにかるいうたまく自轉車よ垣根にさいた白粉(おしろい)の花

・苫船にほそぼそゆれてゐるけむり棧橋からころ月と步いた

・どこからか歌のきこえてくるめざめ窓からのぞくコスモスの花

・露おいたコスモス畠の窓の瞳(め)がサンポのコースに花粉をちらす

・二人乘の自轉車がゆくコスモスの花かげで一寸羨んでゐるトンボ

・唇(くち)つぼめ鸚鵡と話すオカツパさんの指先ひろいそばの花ばたけ

・荒れ狂ふ吹雪の夜を床屋から玉子のやうな顏で出て來た

・あかときを竹藪小徑(みち)そぞろゆく仰げば顏にこぼれるひかり

・どの竹もすらりのびをりどの竹もしづかに秋晴れよろこびあつてる

・紺絣の紺のにほひがながれくる朝(あした)間曳菜(まびきな)賣りに來た娘

・半白の髭でうもれた顏をあげほほゑむだけの朝の挨拶

・はるかなもののなつかしさ秋空のちり雲一つ胸かすめゆく

・死んだらどうなるんだらうわかりきつたことがさみしくてねられぬ夜が來た

・午前六時のサイレンはなるいちやうにゆれる櫟(くぬぎ)の梢の光

・さみどりの鉢の蕗(ふき)の薹(とう)窓におき置きこゝろ明るし君に手紙出す

・新刊の雜誌の匂ひしたしめる窓に氷柱(つらら)の折れ落つる音

 

 

 

 

 『現代口語歌集』(花岡謙二編 紅玉堂書店1928)

『井上多喜三郎全集』(全集刊行会 2004)

 

同著者の詩作品は
井上多喜三郎 花粉
井上多喜三郎 言葉
井上多喜三郎 徑
井上多喜三郎 時間
井上多喜三郎 綴れない音信
井上多喜三郎 蜻蛉
井上多喜三郎 日曜 その他
井上多喜三郎 窓

 

 

 


著者についての情報やご意見を戴ける方はこちらまで。
nostrocalvino@gmail.com


モダニズム短歌 目次


http://twilog.org/azzurro45854864
twilog歌人名または歌集名で検索すると、歌をまとめて見ることができます。

 

花粉  井上多喜三郎  (詩ランダム)

 

花粉

           井上多喜三郎

僕の癖のままに
歪んでゐる自轉車でした


くるつた僕の自轉車に
平氣で乘るひとよ
鷄や犢が遊んでゐる
狭い村道
走りながら
カネエシヨンのやうに手をあげるひとよ

 

 


国会図書館デジタルコレクション版が落丁ありということなので全集版を主にしてアップしています。

 


『花粉:井上多喜三郎詩集』(内藤政勝 1942) 『井上多喜三郎全集』(全集刊行会 2004)

 

井上多喜三郎 言葉
井上多喜三郎 徑
井上多喜三郎 時間
井上多喜三郎 綴れない音信
井上多喜三郎 蜻蛉
井上多喜三郎 日曜 その他
井上多喜三郎 窓

 

 

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