小玉朝子『黄薔薇』Ⅰ (モダニズム短歌)

・いちまいのガラスの魚(さかな)泳ぎゐて透明體となりし海なり

・幾百の川ながれ入り流れ入り魚(いを)のたまごを光らせてゐる

砂丘に濱ひるがほの花咲きて雲は海よりひくゝ沈めり

潮騒は胸に鳴りやまず砂の丘驅け下りてみれどなぐさまぬかな

・鮫の眼にまたゝかれゐるわたつみの生物たちをそつと思へり 

・靑いあの月の破片(かけら)は海に墮ち太古の魚に食べられてゐる

・潮錆のくらき海より這ひ出でゝわが胸を嚙むわにざめのむれ 
 
・れうらんと鐘鳴り出でよ夕ぐれをヴエルレエヌのごとくうたひて見せむ
 
・黄色(わうじき)に入日けぶれる野のはてに聲とほくわれを呼ぶひとりあり
 
こゝろせつなき望郷に居り外國の知らぬ町にも灯がつきてゐむ
 
・明日からはしづかにしぼむ花もあらむ手を組み合せさびしくてゐる

・片すみに半分ほどの眸(め)がありて鏡はあをくわれをうつせり
 
・かたむけし鏡のなかに傾きて四角の空が靑く通れり 

・香水の罎と鏡とよりあひてかもすあかるさは六月の朝 

・わが此處に香水を撒くこの香異國に行きしひとににほはむ 

・壁鏡つめたく澄める朝の室劃(かぎ)られた室に香水を撒く 

・こもりゐてへリオトロオプ嗅ぐときのさびしき幸よ眸をあけしめず

・息吹き(いぶき)うすくガラスに凍るウヰンドにプリムラロオザ咲きさかりあり 

・花のなかで死なうとおもふ幸福(しあはせ)をつひ失(な)くしてはうなだれてゐる 

・もゝ色の踊り子靴を履いて來てさてどこへ行く朝の街なり
 
・うつくしくひとをかなしみ居りしかばわが頬が白き薔薇花になる 

・てのひらにカトレアの花にぎりしめ匂ばかりをひとにかゞしむ
 
・日のたまり黄色く負ひてわが母にお伽話をしてゐたりけり 

・森に來てその大き樹に亡人(ひと)の名の象形文字を彫りつけてゐる 

・亡きひとの名を刻みたる木のもとに孤獨の祝祭(まつり)してゐたりけり 

・身のそこにヴイオロンチェロが鳴りて居り俯し目になりてチヨコレエトむく 

・いちにんのまなこにぢつとみつめられ眩暈(めまい)してゐるわれのあはれに

・行きずりの人のふりむく目を追ひて音もなき街の花火を見たり

・火花ひらき散りて消えゆく瞬間の眸(め)のさびしさは眸(め)を迷はしむ 

・生きものゝみな亡びたる野に殘りひそかにもわが花つくりする 

・華やかにひとかたまりの薔薇をおき薔薇に見らるゝ樂しさに居り

・野うばらの手を刺す針にさゝれては人心地遠い泪ながせり

・情熱をこはしたひとに六月の花束を送る煙草もそへて 

・街角で花束賣るはわれならむ傷つきやすき皮膚の色見る 

・星ばかり散らばつてゐた大空にけさ青々と撫でられてゐる 

・ぶらんこはまつさをにゆれゆられてるこどもの髪が日にかゞやけり 

・遠き日のさいはひばかりおもひ居りこの深き空はわれを泣かしむ

・廣告の風船玉のつなを引きふるへて居りぬむなしごゝろの 

・輪を描きて鳶舞ふ空の静寂(しゞま)ふかく日のありどころ朱ににじめり 

・風船が文字とばしゐる晝さがりちまたをゆるく自動車が行く 

・何とかの頬紅といふ異國品飾窓(まど)にならんでもう夏もなき 

・窓べりの鏡のなかにこちら向き笑はぬ顔のわれが歩めり 

・赤き花になにやらなごむこゝろありモナミの窓は空をうつさず 

・眞白足袋うすくよごれし悲しみをシヨコラの湯氣にうすくかくして 

・借りものゝ氣持でわれの歩む町見知らぬ人の顔ばかり來る 

・歸らうと早く云ひてよ人込みのにほひはわれをみなし兒にする 

・わが室に歸り來てくづす居ずまひに匂ながれて花束があり

・灯をよせてしみじみわれと見對へり鏡のわれは貧しき眉せる 

・窓に凝(こ)る息吹きしづかにうすれ行き目ばかりのわが外(と)にとけて見ゆ 

・睫毛ながき死顔なりきうつしみのつかれのはての美しさなりき 

・春死にし美しきひとの叡智の眸(め)発光體となりて散りたり

・世の中を死にしひとゆゑよりそへば霧のにほひがつめたく立てり 

・春日なた時計のねぢを逆にまはしさてひそやかにまみつぶり居り





小玉朝子『黄薔薇』Ⅱ
小玉朝子『黄薔薇』Ⅲ


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