前川佐美雄『植物祭』Ⅰ (モダニズム短歌)


・春の夜のしづかに更けてわれのゆく道濡れてあれば虔(つつし)みぞする 

・手の上に手をかさねてもかなしみはつひには拾ひあぐべくもなし

・おもひでは白のシーツの上にある貝殻のやうには鳴り出でぬなり 

・床(とこ)の間(ま)に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いて見てゐし

・眞夜なかの室(へや)に燃えゐるらふそくの火の円(ゑん)をいまは夢とおもへり

・子供にてありしころより夜なか起き鏡のなかを見にゆきにけり

・てんかいに遅遅(ちち)とほろびて行く星の北斗もあればわれのねむりぬ 

・何んとこのふるい都(みやこ)にかへりきてながい歴史をのろふ日もあり

・幾千の鹿がしづかに生きてゐる森のちかくに住まふたのしさ 

・このうへもなき行(おこなひ)のただしさいつか空にゆきて星となりたる  

・百年このかたひと殺しなきわが村が何んで自慢になるとおもへる 

・幾萬の芽がうつぜんと萌えあがる春をおもへば生くるもたのしき 

・千年のつきひはやがてすぎ行かむされども星は地にかへり來(こ)ぬ 

・つひにわれも石にさかなを彫(ほ)りきざみ山上(さんじよう)の沼にふかくしづむる 

・山上(さんじよう)の沼にめくらの魚らゐて夜夜(よよ)みづにうつる星を戀ひにき

・この壁をトレドの緋(ひ)いろで塗りつぶす考へだけは昨日にかはらぬ 

・なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす 

・四角なる室のすみずみの暗がりを恐るるやまひまるき室をつくれ 

・どろ沼の泥底(どろぞこ)ふかくねむりをらむ魚鱗(うろくづ)をおもふ眞夜なかなり 

・眠られぬ夜半におもへば地下(ちか)ふかく眠りゐる蛇のすがたも見ゆる  

・たまきはる生命(いのち)きはまるそのはてに散らつく面(おも)よ母にあらずあれ 

・ほのぐらいわが影のなかにふとひかり土にもぐれる蟲ひとつあり

・掌(てのひら)をじつと見てゐるしたしさよ孤獨(こどく)のなみだつひにあふるる 

・胸のうちいちど空(から)にしてあの靑き水仙の葉をつめこみてみたし 

・北窓のあかりのもとに眼はさめてこほろぎの目のあをき秋なり 

・ねむられぬ夜半(よは)に思へばいつしかに我は影となりかげに生きゐる

・室なかにけむりの如くただよへるわが身の影は摑むこともならず 

・止(と)まつてゐる枕時計のねぢかけるこの眞夜なかの何もないしづかさ 

・この壁のむかふの室(へや)にゐるひとの影(かげ)うすじろくわれにかかはる 

・おとうとがアルコール詰(づめ)にしてゐるは身もちの守宮(やもり)愛(かな)しき眼(め)をせり 

・ふるさとの虚(むな)し風呂にはいまごろは薄朱(うすしゆ)の菌(きのこ)生えゐるとおもふ 

・ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし 

・遠いあの靑くさ野はらを戀ひしがるわがこころいまも窗開けて見る 

・不安でたまらないわれの背後(うしろ)からおもたい靴音がいつまでもする

・何んといふ深いつぶやきをもらしをる闇の夜の底の大寺院なり 

・夭(わか)く死ぬこころがいまも湧いてきぬ薔薇のにほひがどこからかする


前川佐美雄『植物祭』Ⅱ



参考文献
伊藤一彦『前川佐美雄 (鑑賞・現代短歌)』(本阿弥書店 1993)
小高根二郎『歌の鬼・前川佐美雄』(沖積舎 1987)
三枝昻之『前川佐美雄』(五柳書院 1993)
鳴上善治『絢爛たる翼ー前川佐美雄論』(沖積舎 1996)
石原深予編『前川佐美雄編集『日本歌人』目次集(戦前期分)』(2010)



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