月夜とTABACO 田中啓介 (稲垣足穂の周辺)

 

 

──どうして今夜はこんなに靑いの。
 通りすがりの女がそつとささやいた。
 白い横文字の看板もコンクリイトの壁面もシヨーウインドの花園もさてはトレイドマークの赤旗もみんな水族館のハリのかなたにある。
 ガス燈のマントルのうちがはにはりつけられた街。
 アスハルトはブリキ板である。
 靑い街の上空に、アルミニユームのうすつぺらな目がぶらさげてある。

 彼ははグリインとイエローのふとい斜線のはいつたネクタイを蝶にむすび、ステツキをプロペラのやうにふりながら、六月のくれがたの街をブルタールなおさかなのやうにあるいてゐたが、みへすいた月のペテンがあんまりいやらしいのではらをたてゝひきかへしてしまつた。
 家にかへつて部屋にはいるとテーブルの上にノートがひき出されて、ひろげたまゝのつけてあつた。
 何氣なく手にしてみるとこんなことがかいてある。
 さても月のペテン師めと電柱のかげに身をひそめてピストルのひきかねに手をかけた
──GACHAN
 たしかに手ごたへがあつて月は二つにわれた
──SPON
 そこから空へひかつたものが飛びあがつた。
 そらにはゴールデン・バツトが二疋もつれてガチヤン・ガチヤンと飛んでゐたのである。

 彼はそれをみるとあをくなつてくはへてゐたシガレツトをあらあらしく灰皿にほをりこんでしまつた。

 

         2

 近道をするつもりでまよひこんでしまつたところは、倉庫のやうの洋館にそうたひろつぱである。
 月光が銀紙なので、あたりにしげつた洋館はまるみこまれて輕金属のやうにさらにさくら紙のやうにうすぺらになつて、窓だけがあやしくひかつてゐた。
 どの道をとほつて行つてもまたいちどまよひこんだこゝへかへつてくるのであつた。
 彼はどうすればこゝがぬけ出せるかといろいろ地理をかんがへてみた。
 こゝはたしかに圖のA点にあたつてゐるらしかつた
 こいつは月のペテンにちがひないと、そんなことをかんがえながらふと足もとをみると黒い箱がおちてゐた。
 ひろひあげてみると箱の中からシガレツトのやうなものが一本だけ出てきた。
 なにしろこゝは貿易港の街だ。おうかた異人さんのおとした奴だらうとかんがへながらそのシガレツトのマークをすかしてみて、ネームらしい字をMAGNESIUとまでよんだ、ときとつぜん頭の上で聲がした。
──うまいぞ・・・・・・・
 みるときれいな煙を輪にしながらお月さんがシガレツトをくはへてゐた。
 まんまとつりこまれてそいつにマツチをすつた。
──Shu。
 音がしてはつと思ふまにこつぴどく横面をやられて飛びあがつてかけ出した。
 はしつてゐるうちにとうとうそこをぬけ出してしまつたのである。

 

 




 田中啓介 分離以後の恒等式

 田中啓介 星色の街


 

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