不幸な鴉の話 4 丸山清  (稲垣足穂の周辺)

 

 だが、毎日、御天守の上空を翔ひ乍ら、斯うした盡きぬ怨言の縷々を吐き連ねてゐた鴉は、或る日、不圖、或る奇怪な出來事に兩眼を見張つた。と言ふのは、今の今まで自分の眼下に繪巻のやうに靜かに鳴りを潜めてゐた城廓と其の周圍の湖水とが、どうやらメリーゴーラウンドのやうに、(もつと適切に形容するならば蓄音機のレコードのやうに(くるりくるりと迴轉し始めたのであつた。)「まるで獨樂迴しの迴す獨樂のやうぢや。」と、鴉自身は此のやうに呟き乍ら、暫時不審の小首を傾けてゐたが、軈てのことにカラカラと高らかに哄笑したのち、次のやうに喚き始めた。

 

 おお、これは一體、何事の前兆(きざし)であらうか。今に湖水の水が渦巻き溢れて、一早く城廓を呑み盡してしまふたのち、この城に屬する領土の上にも漲るのではあるまいか。さうぢや。迴れ 、迴れ、ぐるぐると迴るがよいぞ。もつともつと速う迴るがよいぞ。呪はれた城め、そして湖水め。これが天の正しい裁きであるかも知れぬのぢや。──


 だが、此の日の眞晝、此の城廓の灰色の石崖に、水際近く洞穴(ほらあな)を穿つて巢喰ふ卑しい非人等の一人が、ちやうど此の刻限に、其の洞穴の入口からそツと杓文字(しやもじ)のやうな首を差し伸べて瑠璃空を仰いでゐたが、その首も亦、如何したことか突然に叫び始めた。

 

 ──(杓文字のやうな首の叫び)ハテ、一體、あの鴉め、如何したといふのであらうか。毎日この御天守の眞上に翔ふて來ることに何の不思議もないけれど、今日としたことに、まるで皿迴しが迴す皿のやうに、ぐるぐると身を迴してゐるではないか、見てゐても、眼がくらんでしまひさうに。──

 

如何にも鴉が喚いた如くに、此の天守樓を針棒として、此の城廓と湖水とが、恰も獨樂迴しが迴す獨樂のやうに旋迴してゐたものか、それとも或ひは、此の城廓の石崖に籠る非人の首が叫んでゐたやうに、天守樓の上空に翔ふ鴉こそ、宛然(さながら)、皿迴しの皿のやうに眼まぐるしく渦巻いてゐたものか。何にしても、鴉の眼には城と湖水とが、非人の眼には其の鴉が 、それぞれ旋風のやうに迴轉してゐるやうに見えたに相違ない。そして、此の數刻の後、高い天守樓の寂として棲む者も無げな絕頂に穿れた銃眼の一つから、誰れが射放つたものか、突然、一本の矢が流れ出て、恰も此の不可解な物語に成る酸鼻を極める結末を與へようとするものの如く、ひやうと風を切る鋭い唸を殘して、雷光のやうな速さで天空へ飛び上つて往つた。

 

第9次『新思潮』18号 大正15年(1926年)9月

 

 

 

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