簇劉一郎 Ⅰ  (モダニズム短歌)

 

歌人としては簇劉一郎または会田毅(本名:あいだたけし)、推理作家としては北町一郎。簇劉一郎は「そうりゅういちろう」と読むらしい(『論創ミステリ叢書 北町一郎探偵小説選Ⅰ』解説)。


・東南風曇後晴 測候所横のグランドで 失策の多い試合が始まる 梅雨ばれ

・華麗に硝子の割れる音 ボールが轉がつて 紅くカンナの午さがり やがて少年の聲

・萬國旗つらねた中華料理店の 朝顔鉢は見事に咲いて 單色に菜單をとりかへる

・五圓の昇給に五圓の月賦、一夜ホテルの情熱の夢、彼女は通俗小説(ロマン)の讀者であつた

・廢帝がひそかに國境を通過する 霧の夜の薔薇に むづがる巴里娘(むすめ)の聲がする

・彼女が鼻をつまらせて 冷たい鼻をよせてくる、ポチよ、と呼んで その鼻撫でる

・經済圖表に珈琲をのせ ふりむく右手の小切手帖へ 地形圖なども持ち添へてやる

・金輸出再禁止案に議會が拍手する この日、受胎の講議が生徒を赭らめさせて

・赤新聞の演藝記者が 赤襟孃の手玉にとられて眼をさます 記事解禁の呼賣がくる

・銀價暴落が ふと 失戀の大統領の署名を誘つた、條件附婦人參政權認可法案

・ツウドア式のオースチン 外國公館の紋章があり 開いて抱かれた犬が出てくる

・雜誌社が轉居して「貸室あり」「溫いサンドイッチ」のちらしなど ひそませてくる

・褐色の葬儀車を追跡する 鶴が舞ふ公園で 大衆作家がステッキを忘れた

・「世界人文誌」滿載の三輪車(オート)が檢束される サテン好みの襞のない空の下で

・ESCAMILLOと足で描き 室内樂と管弦樂の距離などを訊く男

・洋玉蘭の密生してゐる平原だつた 一團の兵匪がまたも 部落を凌辱してゆく

・婦は臥てゐる……………戯劇を 子らがまた木蔭で繰返す 父の銃殺された

・兵に銃聲 武裝した一群が 汗をふきふき殺到する 視野で捕へた食餌の家に

・お玉杓子に似た顔だつた 汗くさく魚くさく……………………歸つて行つた 男

・充された珈琲杯(こをひいかつぷ)を空にして 男の長い革靴だつた モルモン經典も飾られた部屋で

貞操を疑はれ 妻は典型的な自殺を遂げる 縊死 窓の外の高い高梁の月

・金本位離脱の吉報が私を悲しませる その午前 街は祭禮にはじける向日葵であつた

・一人の不幸が二人を不幸にした 岬の沖の船の船首の 赤い旗など振られてゐる

・ナポレオンの像をきざむ 白いレニンの墓碑などきざむ 雲が流れて 夜業が終る

・Dairyと書いてDahliaと誤植される 甘い珈琲のあとで 戴冠式映畫などあり

・受け損つた黑いゴルフ・ボール 瞬とコツプに消えるお砂糖 それから續きの千一夜

・廢帝の水泳ぶりなど聞えてあり 葡萄園 竹田の山水が萬を呼ぶ

・米蘭交渉委員が眼鏡を忘れた ホテルのヂヤズの葉牡丹で 國際會議の窓に倚るライカ

・代理公使が招電のベルを押す 曇りある六月 花賣りの聲

・一つの經驗が貴重する 一つの歴史が回想する あはれ 資本家は年老いにけり

・過去に跪いて薔薇を差しだした 流行歌手がサインにはにかんで圖書館司書がひそかに欠伸する

・批評の無智を嗤ふ──屋上庭園夜の體操──錢湯がへりの靴ずれのあと

・再び條約の不可侵を論じあひ 再び國旗がある星條旗 この清潔な畸形兒を見給へ

・商船の紋章 千綱の家紋 漕艇コースの測量ある日──三番登記の使者が發つ

・オリムピツクが氾濫する 喫茶店模様の代辯者たち 競馬ありて 増發される省線電車

・まぶしい垣をまはつて 大臣秘書が躊躇した 古い戀愛アルバムではないのだが

・街に人を呼ぶ 黄昏れて 空に風あり 少年ら 汗ばみ群がつてゐる

・杏の葉 いたづらに汚れて 午さがり 童子ら 痴語をかさねてゐる

・曇天の 視野のみ蒼くやせてゐる この備忘録の扉の重さ

・確なるたよりを信じてゐるといふ 病者へ果汁をすすめてゐる 邪教禁止の その朝であつたが

・茶器のよい茶室の そんな二人の營みであつたが、──この朝、神われに童兒を賜ふ

・君を海峽に見送る日 空が曇つて 風が出てゐる 汽笛に遠く凧が鳴つてゐる(白井尚子に)

・信ずる事の難しさと君はいふ 信ずることの容易さと僕のいふ 信ずる事の貴さを知らぬ世界故に

・白い封筒が落ちてゐる 航空機が一つの記錄を作りたがる やがて大學の臨床講義が始められる

 

『新短歌 年刊歌集 1937年』『新短歌 年刊歌集 1938年』

 

 

簇劉一郎 Ⅱ

 

 

 

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