海岸線
山中富美子
雲のプロフイルは花かげにかくれた。
手布が落ちた。
誰が空の扉をあけたのか。
路をまがつて行くと石階のあるアトリヱだ。いつもの方角へかたむいて、扉までとゞいた日影が、のびて行く所は昻奮する氣候を吐きだす白い海岸だ。
そこはすつかり空つぽだ。そこで海はおとなしい耳を空へ向けてゐる。
空想の白い虹が消えかゝつてゆく太平洋岸で自動車は夢みた。
靑い影につゝまれて海からくる路のかはいた脈搏がわづかにとだえてゐる地球の肌をマグネシユームがこがす間、焦々する椅子の姿勢をまねて、白い胸を空らにしてゐる沈默、このやうに肉體も化石してしまふのだつた。
そこでは思ひ出すことも戀することも出來なかつた。
ひとり透明な雲が白鳥のやうにゆれ、輕氣球の靑い頸をつゝむ貝殻が生長してゐる。一分ごとの呼吸に燒かれながら。
白鳥の羽毛より輕く、自分の海の方へわづかに出た石像のまだ若くてゐる影が羽ばたく。海洋はすべての方向に自由であつた。
空氣の瞳孔のなかをゆきゝして。
しかし軟風は北方を吹く。菫色の幻想的な自由と逃亡のうちの一つの晝、白い胸の日光がために海岸を白く繃帶したのだ。
日光について空色の花は一つの記念にすぎなかつた。
生きた翼を伏せて空の白い雲より白かつた。
憧れのためにいきくるしい路がとびとびにかける布を、
ひろげる平和な時候だ。
あの路を、あの時、自動車が自由にはしつたのだつた。
赤い唄聲よ、ひらかれたアルバムよ、
同じ眠りを今も眠つてゐるか、海風が明るい縞目をつくつた日傘の向ふに、その自由な姿勢を出すことを好むか、南方の石の道に搖れた雲を思ひ出すか。
薄紫色にたゞれた砂上、熱い餘白をのこした地球の白い肌に、一時的にインクがにじみ出す時….。
『文學』(厚生閣書店 1932-12)