鈴木杏村  (モダニズム短歌)

 

『冬の琴:鈴木杏村遺歌集』(昭和35年)より。本来は、筏井嘉一編集『エスプリ』 を閲覧できれば良かったのですが、唯一所在の分かっている図書館が大学または研究機関に属している者にしか閲覧を許さないということで断念。戦前、白秋門下では、兄弟子達が歌集を出していなければ歌集が出せなかったようで、これが戦前の氏の歌をまとめた唯一の歌集ですが、『エスプリ』時代の歌は氏が満足できなかったらしく、全て取られていません。次の『多磨』時代の歌からモダニズム・テイストらしきものを選びました。

 

 

・屋上の出口の玻璃に映りたる青空のなかへのぼりゆくなり

・わが顔が映りならびてひた寂し鏡のなかは幾重ものかがみ

・鏡のなかに映る鏡ありわれの喫(す)ふ煙草のけむり一筋づつあがる

・とほり雨過ぎてすずしき朝の間は化粧鏡の青く冴えたり

・真昼なり合図の音を待ち構ふる少女選手たちの体勢の張

・陽のひかりあまねく明(あか)る舗道(いしみち)に立ち細りたるわが影黒し

・生き悩み切なかりけり歩み来(こ)し岸壁の端(はな)に道は尽きぬる

・オイルガスの紫のいろ顕(た)つ見えてモーター船小さし貨物船とならぶ

秩父丸沖辺をさして向き変へたり南方の航路遙けかるらし

・花かげに眠るをとめの赤き唇(くち)のもの言はむばかりの表情を見き

・閉ぢあへるまぶたの奥に眠りたる敏(さと)きまなざしを我は思はむ

・紅ばらを片手に持ちてわが帰るビルディング街の秋日和しづか

・生き悩むこころ荒(すさ)びて堪へがたしけふもあがなふ冬薔薇の花

・夜寒し白き玻璃戸の灯うつりに内なる花の色さし明(あか)る

・包み来(こ)し花束の香の移りたるパラフィン紙なり燈(あかり)に透(す)かす

・臨時雇(えきすとら)すら勤め果さむ思ひにて一ぱいのこころに余念もあらず

木馬館のジンタ流れて夕ふかし歩き疲れてベンチに憩ふ

・軒竝みの映画館は灯を消しにけりひとり歩を移す暗き甃路(いしみち)

・我がこころ點(とも)さるる灯とも思ほえて花屋の花のむらがりを見ぬ

・ドウラン化粧おとさずに来しこれの子の笑ふとき見ゆる歯竝びの白さ

・映画にて女中役のみ附(ふ)られゐるこの子のことば女中めきて寂し

・夜ひらく銀座十字のとほり雨ネオンの映る舗装路を踏む

・避雷針青ぞらを射して真昼なり弱るこころを堪へて見むとす

・弾(はず)みあるこころ湧き来よアドバルーン萎えくぼみつつ空へ騰(のぼ)らず

・砂の中におのれ埋めて笑ひたる男の顔がまだ眼を離れず

・潮にぬれて肌付く水着ぬぎにけりをとめすらりと我が前に佇(た)つ

・草原みちの青き水たまり飛び飛びて吾が方に来る少女がひとり

・大股に歩む女学生朗らかなり青き水たまりを無雑作に飛ぶ

・岡の空に十字をゑがく赤き風車ここは何処(どこ)のみちか記憶(おぼえ)ともなし

・風車小舎の窓をひらけば草原が見えこちらむきくるわが姿見ゆ

・たちあふぐわれに来むかふ鳥の影黒くはだかりて落ち来るがごとし

・デパートを出でたる少女此方(こちら)向きて赤きパラソルを花のやうに開く

・納屋の奥戸川に開きてただ明るし一銭蒸気白う過ぎゆく

・陸橋の長きに鈍(にぶ)る歩行なり貨物列車の反響を踏む

・灯の點(つ)けばチューリップは花弁を閉ぢ合へり花の持つ機能をあはれに思ふ

・眼は対(むか)ふちまたをぐらし大いなる葬送自動車の花輪が揺れる

・玻璃に映る顔を中心にひらきたる大輪の牡丹朱にかがやく

・鏡面の赤き曇りや焦点をわが合はせつつ丹躑躅の花

・目覚め観る卓のチューリップかかはりなくけさも明るき花弁をひらけり

・みどり黝(くろ)む木の間(ま)縫ひすすむカメラの眼たまゆら光る湖面へ移動す

・風強し草原にあがる飛行機の飛びあえずして直ぐ着陸す

・米穀倉庫の鉄扉記号の白(はく)数字かがよふ見れば夏は来にけり

・ひらき切りて大き菖蒲の花びらや反(そ)りまくれたる縁(ふち)を寂しむ

・むらさきに明る絞りぞうつくしき日ざし照り沁む菖蒲の花びら

・ほのかなる寂しさなれや菖蒲田の陽は翳(かげ)りつつ溶けあふ花いろ

・はなあやめの白き花弁が湛へたる気品豊かなり我が眼に愛す

・草原に紙風船つく女の童空気充ちたる音のよろしさ

・切なかりけり仰ぎつつゐるビルディングの白き稜線が切り囲む青空

・日盛りの直線舗装路を花持ちて女事務員がただひとり来(く)る

・時計店の朝のひととき鳴り出づる音色(ねいろ)まちまちなりかさなりかさなる

・高山の花野とほり来し村の娘(こ)は秋草花の匂ひするなり

・あらはなるこずゑは寒し柿の実の一つ一つがひとつひとつ見ゆ

・山の家に六角時計とまりをり訪(おとな)ひて来て聴く村しぐれ

・家人らと雑煮を祝ふいとまもなし元日早々エキストラにゆく

・朝澄む池の面(も)見れば子のマントの赤より赤き影ぞうつれる

・夢うつつの境に通(かよ)ふ物音の貨車の響となりて醒めしかな

・異邦人(エトランゼ)の老夫婦なりつくづくと高原の秋に親しむらしき

・冬枯れし鉄路のはての黒き点電気機関車となりつつ近づく

・飛行機と飛行機がとぶ冬空の群青の距離を眼に測りゐる

・朝の縁にわが抱きゐるみどり児の瞳(ひとみ)のなかに青空がある

・歩きつつひらき読みゐる本の上(へ)に二粒三粒雨こぼれ来ぬ

省線電車とまるすなはち車輪の間(あひ)向ふ側の雞頭が揺れつつ赤し

・トラックの窓に流るる夜の闇はをりをり水の音を響かす

 

 

 

 『冬の琴:鈴木杏村遺歌集』銀杏会 昭和35年(1960年)より

 

 

 

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