花占ひ  山田一彦  (稲垣足穂の周辺)

 

花占ひ

 ou l'amour d'IOKANAAN

              山田一
全世界の軍人さん達が一諸に髭を剃つて机を竝らべて禮服のカウスに戀の詩を書く日であります.シルクハツトを歪めないで冠つたIOKANAANは寢臺の上によこたわりながら:サロメは余を愛して居る・サロメは余を愛して居ない・サロメは余を愛して居ない・サロメは余を愛して居る・サロメは余を愛して居ない:と堅笛(オーボア)を吹きながら GRAND ECART の皿の花辨をいちまいいちまいむしつておられます.皿の聽診器を大きく開いて醫師は大詩人の胸に皿を當てながら・閣下の胸にひそむ機械はひにひに毀われてゆきます。もう少うし毀われてゆきまして藥では癒らなくなりますと 閣下 ! 閣下の胸は藥では癒らなくなるので御座居ます.戀の病は頭の浮袋が戀と手巾の泡で不滿になるので御座居ますから閣下は易者かあるひは占者に SALOME と刺繍のある手巾をみておもらひになりましたら御安心なさいましたらおよろしくなります.避病院の寢臺の上に居る大詩人は IOKANAAN 氏で居らつしやいます・氏は谷間の白百合を主題として雄辯になる演説をなさる曖昧な敎會の音樂の面影のやうなもので居らつしやいます.院長さんは大詩人さま大詩人さまノオトル・ダムの BUSTE にお祈りなさい・靑い錨に腰をおろして居るエルテルになりたい.ロツテと加留多をとつてみたい.余とサロメにエルテルの靑い衣服とマルガレエテのむしつたアステルの花を與へて頂戴.アステルの花を決して皿のやうなものに變へないで頂戴・と心しづかにお祈りあそばせ.しかし大詩人は黄昏に最後の胸のトラゴイデアの毀はれた最後の腦髓のコメデイアはトラゴイデアがイエルサレムの草原で毀はれた後の殆ど面白くなくなつた踵の高い縞靴のやうなものであると演説なさるばかりです.ヨカナアアン氏は蒼めた蠟のやうなシヤトオの洞穴で十年の間・余に詩が書ける・余には詩が書けないと凍つた灰の蕊をむしつて修作した専問的な大詩人さまです.諸君 ! 諸君は禮服を着て机を竝らべて詩を書く軍人とヨカナアアンとどちらがお可笑しいとお思ひになりますか ? よく考へてからお可笑しいとお思ひなさい.可笑しおくないとお思ひなさい・黄色い向日葵を踏んでサロメの編んでくれた眞赤い毛絲の靴下を解いて居るヨカナアアンは春である夏であると遠くつぶやきながら艶のある頭髪をした醫師に眞赤い毛絲を渡して居ます.艶のある髪をした平坦な顏の醫師は赤い毛絲をたぐりまるめながらヨカナアアンのチヨツキのポケツトへ眞赤い毛絲をおさめて居ます.春らしいです.『春』とノオトル・ダムはさうおつしやいます.而し諸君軍人が擧手の禮をする寢臺のの上の皿にある向日葵が紅葉して居るのを見給へ.もう秋が人目をくらましてこつそり來て居るのではないでせうか ? サロメはむしつたアステルの花辨をひとひらひとひらヨカナアアンの胸のチヨツキに入れながら私を愛して下さる私を愛して下さらない私を愛して下さる私を愛して下さらない私を愛して下さるヨカナアアンさまと叫んでヨカナアアンの碧い髪を剃つてから諸君の方へ向いてニツコリ笑ひながら春紅葉でございますことよと言ひながら諸君の前の鵞ペンとインク壺ののつてある机の夢と秘密と戀のしまつてある抽斗の多い机をノオトル・ダムの惠みにはれやかなIOKANAAN の前へ運んでまゐります.

 

 

 


※「.」「:」は、「・」と同じ丸なのですが、当方にその記号がなかったので、上記のようにしています。
※「専問」→「専門」?
※「考へてからお可笑しいとお思ひなさい.可笑しおくないとお思ひなさい」は、「可笑しお」→「お可笑し」で、「考へてからお可笑しいとお思ひなさい.お可笑しくないとお思ひなさい」かと思われますが、それでももう少し文字が抜けているのかも。とりあえず、そのまま再現しました。

 

 


『衣裳の太陽』NO.3 昭和4年(1929年)1月号

 

 

山田一彦 惡魔の影
山田一彦 海たち
山田一彦 寛大の喜劇
山田一彦 CINEMATOGRAPHE BLEU
山田一彦 二重の白痴 ou Double Buste
山田一彦 Poesie d'OBJET d'OBJET
山田一彦 PHONO DE CIRQUE
山田一彦 無限の弓
山田一彦 桃色の湖の紙幣
山田一彦 Mon cinematographe bleu

 

 

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