桂信子  (モダニズム俳句)

 

「秋たのし」まで丹羽信子名義、その後嫁いで桂信子となる。


・短日の湯にゐて遠き樂を聽く

・木洩れ日にむらさき深く時雨去る

・梅林を額明るく過ぎ行けり

・沈丁に朝の素顔がよって來る

・「源氏」讀む朧夜の帯かたく締め

・春雷や夕べひとりの食卓に

・ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ

・きりぎりす素顏平らにひるねせる

・短夜の疊に厚きあしのうら

・なまぬるき水を呑み干し忿りつぐ

・秋たのし時計正午の針を揃へ

・柿つやゝか人の憂と向ひゐる

・枯園に人の言葉をかみ碎く

・逝く秋の翳深き顏を撮られたり

・白晝眩し身内に忿り持ち歸る

・霧の夜の鍵穴に鍵深く插す

・廢園に一つの記憶新しき

・朝光(かげ)に紅薔薇愛(かな)し妻となりぬ

・短日の薔薇白々と夫遅き

・晝のをんな遠火事飽かず眺めけり

・一日暮れ風なき街の空やさし

・曇り日のひとりの晝にジヤズ終りぬ

・乙女を地に雲なめらかに行き交ひぬ

・白裝の乙女を置きて昏るゝ野か

・水光り墓石墓石と對き合へり

・風落ちて人語ひそかに樹を巡り

・囁きと梨花のまはりにある夕べ

・たんぽゝの中に笑はぬ乙女も居ぬ

・夕櫻靜かに女(ひと)の醉さむる

・樹々の耀りあざやかに思念(おもひ)詩となりぬ

・霜柱悔なき朝の髪正し

・ピアノ古り人戀情に堪へんとす

・蟹あまた賣れ殘り春陽暮れ初むる

・春深く芋金色(こんじき)に煮上りぬ

・短日の机平凡に影を置く

・春晝の隣家の時計正確なり

・冬ぬくし子なきを望む夫と住む

・激情あり嶺々の黑きを見て椅子に

・雲、山に下り來激情の唇乾く

・困憊のまなこ大蠅飛び立たず

・樹とわれと匂ひ聲なき園昏るゝ

・夕月にゐて人間の聲太し

・櫻花爛漫と夫の洋服古びたり

・蟻殖えてひとみ鋭く夫病みぬ

・毛蟲涼し寢覺の顏を陽にさらす

・朝の素顏かゞやく微塵の中をゆく

・思慕ふかし人の背にバスの影流れ

・花の夕ひとりの視野の中に佇つ

・夫働きわれはもの食み春暮れぬ

・落葉踏みて瞬時の思ひ出あり

・夜の船室(ケビン)靜かにりんご傾きぬ

・海昏れてわれ夕風に匂ひけり

・ボーイ白く船室(ケビン)へ南風と吹かれ入る

・鰐の背は乾き閑寂とあるホテル

・白き部屋白きボーイを立たしむる

・夜のケビン天井に靴步み去る

・廊の靴正し南風吹き通る夜を

・わが聲のまづしく新樹夕映えぬ

・睡蓮に外人の聲ひゞきあへり

・風靑し寢椅子にパイプころがれる

・シユーベルトあまりに美しく夜の新樹

・盛夏晝のむなしさ道は白くつゞき

・蟬時雨夫の靜かな眸にひたる

・夫とゐるやすけさ蟬が昏れてゆく

・漕ぐわれに水のゆたかさばかりなる

・ひとり漕ぐこゝろに重く櫂鳴れり

・月の夜の胸に滿ちくるものいとし

・月あまり清ければ夫をにくみけり

・夫の咳わが身にひゞき落葉ふる

・クリスマス妻のかなしみいつか持ち

・女の心觸れあうてゐて藤垂るる

・鯉の音かそけしセルの香に佇てば

・夫の脊に噴水の音かはりけり

・秋の星嚴しき眞夜を夫は逝けり

・夫逝きぬちちはは遠く知り給はず

・天澄むに孤獨の手足わが垂らす

・秋の夜を笑ふひとなき淋しさよ

・夫戀へば落葉音なくわが前に

・白梅のかゞよひふかくこゝろ病む

・野菊咲き今年も締むる紅き帶

・白菊とわれ月光の底に冴ゆ

 

 

 


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