軍艦茉莉  安西冬衛  (詩ランダム)

 

軍艦茉莉

             安西冬衛

「茉莉」と讀まれた軍艦が北支那の月の出の碇泊場に今夜も錨を投(い)れている。岩鹽のやうにひつそりと白く。

私は艦長で大尉だった。娉嫖(すらり)とした白皙な麒麟のやうな姿態は、われ乍ら麗はしく婦人のやうに思われた。私は艦長公室のモロッコ革のディヷンに、夜となく晝となくうつうつと阿片に憑かれてただ崩れてゐた。さういふ私の裾には一匹の雪白なコリー種の犬が、私を見張りして駐つてゐた。私はいつからかもう起居(たちゐ)の自由をさへ喪つてゐた。私は監禁されてゐた。

 

月の出がかすかに、私に妹のことを憶はせた。私はたつたひとりの妹が、其後どうなつてゐるかといふことをうすうす知つてゐた。妹はノルマンディ產れの質のよくないこの艦の機關長に夙うから犯されてゐた。しかしそれをどうすることも今の私には出來なかつた。それに「茉莉」も今では夜陰から夜陰の港へと錨地を變へてゆく、極惡な黃色賊艦隊の麾下の一隻になつてゐる──悲しいことに、私は又いつか眠りともつかない眠りに、他愛もなくおちてゐた。


夜半、私はいやな滑車の音を耳にして醒めた。ああ又誰かが酷らしく、今夜も水に葬られる──私は陰氣な水面に下りて行く殘忍な木函を幻覺した。一瞬、私は屍體となつて横はる妹を、刃よりもはつきりと象(み)た。私は遽に起とうとした。けれど私の裾には私を張番するコリー種の雪白な犬が、釦のやうに冷酷に私をディヷンに留めている。──「噯喲(ああ)!」私はどうすることも出來ない身體を、空しく悶えさせ乍ら、そして次第にそれから昏倒していつた。

 

月はずるずる巴旦杏のやうに墮ちた。夜蔭がきた。そして「茉莉」がまた錨地を變へるときがきた。「茉莉」は疫病のやうな夜色に、その艦首角(ラム)を廻しはじめた──

 

 

 

 

『軍艦茉莉』(厚生閣書店 昭和4年(1929年))

 

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