「存在」に就いて
うるんだ眼から指が動いて
靑い水の滴りを掬ひあげる
深い重みが遠い所からやつて來る
微笑(ほゝえ)みながら頁をめくると
掌の上にある桃色の鳩の羽が
落ちぼけた顏をなめるやうに
昔噺の本を案内する
切斷の整理はしかしどんなに努力しても
甘いア・プリオリは猾(ずる)いよ
背廣の背中を柔らかな手で撫でられて
街頭で股は高く切れあがつた
清々しい靴音で若夏花の匂ひを立て
兎に角姿勢は先づ上々
蒼穹の紫の影もまた傳説の鏡か
古い體溫の穴を開けて
深夜の夢を組んでゆく
地球の雜音が時間に映つて
頭の毛を後から引つぱる
美しいものは何所にもある
窓は平面
雨脚をうんと突つ張つて
匂ひの眞實を嬉しがる
美しい椅子に美しい少女の貌
花瓶の葩が窓からの風に散る
少女の指が一寸動くと
空の星の一つが飛ぶ
「存在」は純粹である。
『美術新論』(美術新論社 1933年4月)