臨終
利野蒼
寒さに凍えた病院の一室でSは臨終であった。Sは僕に云った。……私は神奈子を愛した……と唇の激しいケイレンを感じて私は椅子から立上った。ドア口で盛装した神奈子が狡く笑ってゐる。その表情を拂ひ退ると私は廊下の窓辺に寄り沿って高価な支那製のシガーをくはへた。Sと神奈子とが私の誕生日に贈って呉れた煙草。私を呼ぶ神奈子の声は悲しみを含まない清朗さ。あの眼がいけない。Sは起き上らうとしたが諦めて唯つぶやいた。……私は誰れをも愛さなかった…。Sは死んだ。私は神奈子を愛するやうになった。
阮文雅「『LE MOULAN』第3輯における李張瑞の作品」より
原文は正漢字、歴史的仮名遣いなのであろうが、現物未見なので阮氏の表記のまま再現させて戴きました。
利野蒼の現在発見されている作品は全20作。その内2つが短編小説、残りは詩、その詩のうち7つが、台湾の研究者によると現在中国語訳しかないようです。
水蔭萍 雄雞と魚 台湾 風車詩社
林修二 喫茶店にて 台湾 風車詩社
丘英二 星のない夜 台湾 風車詩社
戸田房子 遠い国 台湾 風車詩社