小玉朝子『黄薔薇』Ⅱ (モダニズム短歌)


・くらき空に海蛇(ヒドラ)うねれりひとりごゝろ清しみて窓をとざしけるかも

・掌(て)をあはせ千萬年の星々の地に下りるさまをみつめつゝ居り 

・白き熊空のはたてを横切りたりいきれに立ちて吹きおりる風 

・木に花咲く五月となれりしかすがに花野のなかに墓地つくりあり 

・おくつきにもの言ひかけてふとさびしふりむけば日のなゝめ射す光(かげ)

・青空のひくい傾きをわたる風このまゝにわが野草とならむ

・草しきてまなこつぶればまなうらのひとゝころふかき朱に透き來る

・髪吹かれ立てば目下(ました)の草のなか眞白の蝶が搖られゐにけり

・水たまりのぞけば深い空の中まみはつかれてわが顔があり

・白雲も少しかたむきわが頬に近よつて來る水たまりなり

・湧く水にひと時赤き夕雲の散り來りつゝ散りすぎにけり

・しほたれて歩める影のみちにうつりはつとしてわれのまはり見まはす

・立ち居れば歩み近づくひとの影すこし傾きて草にゆれたり

・月光がわが目を通るたまゆらに涙つめたくあふれ出でたり

・恍(と)けし身の水泡ごゝろに見て居りき谷間となりし月光のそら

・さらさらと銀の小刀(さすが)をみがき居り明日からはちさき魚となるわれ

・兄よ兄よ海はるばると送り來し外國の本にきりぎりすゐる

・伊太利の本をさかさにのぞきゐついち枚の揷繪文字ばかりなり

・空のむかふにアルバイト書く兄のため花々を煮て夕うたげする

・天文の詩にかもあらむ白き紙方程式をうつし出すなり

・顔よせて見ては居りけり異國文字途切(とぎ)れて黒い線の繪があり

・あはれわが何ものにしも代へがたき火花はつひに地に墮ちはてぬ

・病身の眼ばかり青き火になして空翔ける鳥のさびしさとなり

・抱きしめてひとりのわれをいとほしむ病めば影さへ身にひそみ行き

・ろうそくをともして室をせまくする弱々しさがふたゝびかへり

・高窓のあをきばかりの空に行き熱さめぎはの眼は乾きたり

・病み起きの眼に追ふ鳥のはるばると吸はれて白いうす雲があり

・公園のふきあげの水ほそぼそと見かへれば母の目がさびしめり

・大理(なめ)石に遠い記録の殘るときこのわが母よ讃へられてあれ

・黒き潮流るゝなべに北海のさかなきびしく身を守り居らむ

・默(もだ)し居らば壁に汝がかげしみて行かむ都は秋の落葉するなり

・頬紅を送りたり友よこの朝はコスモスも紅く花ひらきそむ

・外に行きて汝が見る空はみ冬づき鳥なども飛ばずさびしくてゐむ

・いのち守りいのちさげすみ明け暮れを汝が通ふみちも落葉してあらむ

・北海の潮につゞく町に來てわが呼ぶ汝が名しんとひゞけり

・ふきあげは遠くに虹を散らしゐて昨日の時を日時計が指(さ)す

・あのことも遠天に散り夏野には菫うつくしく咲きいでむかも 

・花庭の日時計くもる日向なり遠心に光あつまりにけり 

・野べに來て鐵道草のしろじろと風に咲けるを見てかへるなり

・夏野にはわがパラソルも花となり黄の蝶あまた舞ひ立ちにけり

・たけに草たかき秀だちの搖るばかりつかれてわれらもの言はずなる

・花畑にアスタアが咲くひなたなりひなたのなかの始めての記憶

・生れしは金木犀の野なりけりそこから街に下りて來しなり

・虚空(そら)に墮ちるゆめばかり見て育ちたるわれは泣くとき涙ながさぬ

・窓とぢて遠い記憶をあそぶなりみどり兒のわれが青空にゐる

・わが歴史トーン・ポエムにならぬかと五線紙の上に履歴書を書く 

・エヂプトの壁畫模様といふものゝ片眼の魚と笑みかはし居り

・つまさきをまるく照らされてくら暗のふかいボツクスにみちびかれて行く 

・目の馴れに笑顔かけくるひとの手は春の外套たゝみゐるなり

・こゑばかりひゞかせてくるトオキイの銀の斜面に木の影があり

・まつ白なレイスの衣裳きたひとのはればれと歩む春のシネマは

・犬とゐて犬の毛なみに光る風手をのせてわれもひかりて居らむ 

・野の丘はくぬぎ林の銀となりうすむらさきにかげろふが立つ

・かげろふをかきわけて行く犬の脚こまかに白く眼をまぎらせり 



小玉朝子『黄薔薇』Ⅰ 
小玉朝子『黄薔薇』Ⅲ



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