小玉朝子『黄薔薇』Ⅲ  (モダニズム短歌)

 

 

・朝しろく鏡のなかにある花はヴイオラのやうに音をしのばせ

・ここに咲く三味線草のこぬか花はるかに春は充ちにけらしも

・いまをかぎりにふたゝび春の光となるこの朝あけの太陽のいろ

・はだか身でおぼれゆく今朝の靑さなりえにしだの枝も春の呼吸(いき)する 

・土のなかに目をさます虫の羽の音まつ白な虹になる春となり

・美しいわらひちらせて公園の春の草木を早咲きにする 

・熊もゐるゐのしゝもゐる公園の針ゑんじゆさへわすれ咲きして

・うす日にも立つ虹ありき芝生にもわが歩みにも立つ虹ありき 

・花鉢にしづかに朝の水そゝぎいち日のくらしきよらかにする

・山の手のヴイラの庭に春を咲く庚申ばらは火の薔薇(さうび)なり

・海に立つふらんす船の白マストしあはせな朝のすゞ風が吹く

・火の薔薇庚申ばらがひらくゆゑヴイラの窓にはづむ風あり

・春の海うすきらふ潮の靑なぎに白きマストは行きぬしづかに

・みなみ風幸ふかく吹くならむ外人墓地に花の香がする 

・たいくつな黄色の落葉ひゞかせて曇天の公孫樹さゆらぎもせず

・山の肌全きみどりにつゝまれぬ虫などもゐて樂しく居らむ

こゝろとほく草木に遊ぶたまゆらは對へるひとががらくたになる

・わが上を雲通り行く通り行く椅子にゐるわれは光の中なり

・えりもとにいちりんあかるい紅薔薇のかをり放たせてこもる室なり

・食べものゝ味はわかねば身ながらに白き薊の花となりゐる

・たまごむけばくらいみどりによごれたる黄味まるく出でぬうすぐもり空

・燐寸すりて火をうつす火の暈のなか壁のキリストふと笑ひたり

・いそがしく出でゆかむとす室内の隅の暮れいろ靑ずめりけり

・刺枯れて黄薔薇はひかりひらきそめ灯の明暗に美しく居り

・おもかげのふと立ちくるにおどろけり窓ひらく外(と)は風の音ばかり

・バビロンの子にあらねどもこの額(ぬか)に烙印されて家を出て來る

・石がけに苔のはな咲くひとりゐて身はいつしんに日に照らさるゝ

・晝の月すべりて消えぬ野のはてはいまほそぼそと虫のこゑなり

・どこへ行く路かは知らずきよらかに木犀の香のぶつかつて來る

・夜の町しろくぬけたる裏通り吸ひがらの火のまだ消えずあり

・せまき空によりてかゞやくすばる星遠き目に見て襟かきあはす

・行くさきのない町裏にさむくゐてカシオペイアの星を拾ひき 

・屋根の上また屋根の上大空はいびつのまゝに夜ふかく居り

・くるまの燈(ひ)坂の舗石を照らし出しどこへ行く道かひろびろとあり

・なつかしく人類心の甦(かへ)り來る夜ゆゑにあかき灯をともしけり

・灯をともしけふいち日のいとなみの小暗いかげを追ひ出してやる

・蔓ばらの垣根もありて崖上の洋館の庭あたゝかく晴れ

・切札は最後のときまでしまつとき町のテエブルに微笑してゐる

・うすぐらい露天の店に賣られゐるアンゴラ兎紅い目をせり

・一匹の蠅ひそやかに這ひまはり窓のひなたを冬にしてゐる

・み冬づく樹立の冴えにこゝろ嚴し居ずまひかたくひとり居りけり

・冬なれば室のうちらに何ものゝ色彩もつひにゆるさずにゐる

・くびすぢにふれてつめたき髪の毛の梅雨入り頃となりて來にけり

・草花のにほひこもりて灯がつきぬ百千年もねてゐたこゝろ

サクラメントの公園の繪のあかき花まくらべに來てあたゝかく散る 

・果物の露のしとゞを吸ひあまし黄の蝶となりて朝はゐるなり

・うしろかげほそく歩みてひと去りぬ長き廊下になかば射す光(かげ) 

・神々に白きひたひはさゝげたり默(もだ)もきよらに手はとりあひて 

・體温のあがりさがりの線のうへ秋は蜻蛉が來てとまりゐる

・夕光(かげ)のいさゝか靑き庭くまにおほわた小わたとび出でにけり 

・床の間のさびしき壺にきのふから錆朱(さびしゆ)の薔薇が活けられてあり

・欠けし齒のさやりて痛む夕ぐれの海のひゞきはとほくより來る 

 

 


小玉朝子『黄薔薇』Ⅰ 
小玉朝子『黄薔薇』Ⅱ

 

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