藤井千鶴子  (モダニズム短歌)

 

 

・楼下る靑繻子の靴支那の靴は星をふみにしつめたさあり

・紙に透く蛍の靑の匂ひ、つめたい指そへて、憔悴の日をまづしく濯(すす)いでゐる

・花束のような影を落して、春の舗道をゆく、姑娘(くうにやん)のあふれ出た馬車(まあちよ)。

・夏の地球の上を飛んでゐる飛行機の、翼(はね)がねばねばと光る。

・コップにうつるうす靑い遠景を、砂糖とともにまぜる。

・花をふみ潰(つぶ)した様に、赤い長襦袢が、部屋にいっぱいになり。

・私は抱かれるにちがいない 近づけば大きな影 夕日の赤さ

・貝の臓腑に 赤さたまる 剃刀(かみそり)より音たてぬ湾の日のいり

・旅のゆふぐれは おもむろにさびしい 岸に茂(お)うた蒲(がま)の穂(ほ)に 水墨(すいぼく)のにほひ

・山の端(は)にうろこ雲せせらぐ 月の異様(いやう)にはやい村をゆく

・冬ちかう、枯木に 盲(めし)ひの鳥(とり)ら 影さむくとまつてゐる

・月のみちを素足(すあし)でふんでゆく 〈柔かいあしおとね〉といふ。白芥子(しろげし)がてんてん咲いていつて

・黄いろい陽が照りあかる林に まつ脂(やに)のにほひつきとほる 鳥は透明體で啼かせろ

・鏡の面(めん)がしめやかにしぐれてゐる 削刃(そり)をあかりにあてて 磨(と)いでゐたら

・牡丹のつぼみけむりでて みやこのふんゐき濃いあまり むらさきの雨がふる

・明るいそらを うをらつつぬけにとほる 内湾(うちわん)はいま 月ののぼり方(がた)

・艦(かん)ぞこの蠣(かき)がはひでる明るい晩 波戸場(はとば)をみよ 月の陸(りく)あげしてゐる

・覺(さ)めた明りのつき夜で 落葉松(からまつ)のはやし冷(つ)めたし 硝子(がらす)のこはれが落ちる

・垣端(かきばた)の李(すもも)は ほのぼのしろう。熱たかくでた このゆふぐれの華やかないのち

・優しう手のひらにちつた。垣のゆふぐれの花は 靜脈あをく透(す)けてゐる

・ひかりになりつつ 散る花よ。さびしいから 素肌(すはだ)しろくまぶしくて

道家(だうけ)がかくれ戸を細めたら 竹林を黄いな音(おと)で 月がぬける

・竹林(ちくりん)はつめたい夕時雨(ゆふしぐれ) さんざと 銀貨をまぜてふる

・蹠(あしうら) ふりかへるやまべの明(あか)り 無垢(むく)の氣體(きたい)の月見草(ぐさ)は開いた

・それは フランス製の涙 靑空へぽつつりと紙鳶(たこ)がしみついてゐる

・けんび鏡で雌ずゐをみてゐる 管のなかへなかへかけ下りてゆくあし音ら

・明るみ 風をゆつてゐる背戸 鵞鳥
アルミの卵を生む

・邪宗(じやしう)の子が 石を投げてゐる葱畑(ねぎばた)は
錦繪(にしきゑ)の海のいろ

・ほのかに思ふふたりは ゆふぐれの置いたみちを はかないにほひでかへる

・鏡に幽(かす)かにうつつたゆふ星(づつ)の ちろめく水滴(すゐてき)、わが瞳(め)から散(ち)れゐる

・おのづと つき夜の海底(かいてい)は 谺(こだま)あり
一抹(いちまつ)の靑みを 貝肉におとす

・なみ反射(うつ)る星ぞらの冷え 近海にチカチカ燐寸する音(おと)

・藍(あい)のぺえぢめくれてしろい砂うへに 沖から風ふき潮の濃いいながれを相うつす

・秋日(あきび)のうみに間髪(かんぱつ)いれぬ靑 おとなしに結晶(けつしよう)の鹽をゆれる

・しろいしろい線(せん)をひけ 海(うみ)うへの秋日(あきび)のうつくしい密度(みつど)

・指(ゆび)の骨(ほね)しろいほど冷(ひ)える 公園の瓦斯燈の粉(こな)をちらす

・池が 桃色の水を うつとり湛へてゐます。もう春です。

・茫々としてゐる黄河に 亡靈のやうに入つてくる船。

・十二時で止つてゐる塔の時計が 雲の早き流れの中にありて、

・少女は 含(ふく)らんでくる胸を くすぐつたげに 萼のやうな寝巻に押しつゝむ。

・少女の乳房のやうに柔かく 雲が浴槽にうつつてくすぐつたし。

・靈(たましひ)の匂ひのする夕顔が ほの靑く 霧にゆれてゐる垣に沿ひて、

・大きな空をひとり手鏡(てかがみ)に うつしたまま 寒寒(さむざむ)と咳入(せきい)る

・景色から 拔け出さうと 蟬があつちこつちの木へ 走りうつる。

・紺の匂ひさせてゐる雨後の月の町で サイダーを飲む。

・洋館のかげに 智的な翳(かげ)りをしてゐる 葡萄棚。

・太陽が コクリとするたび、花畑の光が薄くなる。

・車の上のブリキの罐が 靑ざめた音をたてて ゆれて行く夏の夕方。

・ほうようより離たれれば 我身から蝶のごとく銀粉がおちる。

・地圖の破れ目にある町を通りかゝる。うす茶けた雨が降つてゐる。

・靑き瞳(め)のふたりして 一行(いちぎやう)のキスを 風のあひまになせし。

・風で動く葉のかたちは あつちこつちの家の鍵のやうである。

・窗ひろければ 靑空よりひらひらと魚のおよぎ入る支那の家。

・薄明のハルピン新京間、汽車の窗は 水のやうにゆれてる。

・雪のふつてる新しい匂ひ、ロシアの家から蓄音機の靑い音(ね)がする。

・車にのせてゆく氷が 靑白い炎となつてゐる夏のまひる

・溶けんとする角砂糖の光の淡さに似て 白いビルが朝霧に透けて、

・夕ぐれ、大通(おほどおり)ゆく支那人は 魚の様な淋しい影をしてゐる。

・夏、ゆれてゐる頁の 私の寫眞のやせやう。

・髪にさしてた花が 鏡にうつる靑空へ ながれていつた 

・霧ふかきなかを 靑きベールをした 海草のやうにロシアの妻よ。

・アメリカの妻よ ソフアから突出てる セロリの様な二本の足。

・光の溜りがポトリポトリ葉上から落ちるのを二人はうなじにうけて 

・夏おそく 花とともに くらき炎となりて 庭にあり。

・日はきらめく、葉かげ行く支那靴は 渓流の音がする。

・景色の屑が汽車みちのところどころに捨ててある國。

・ロシア人の影が 蠟燭のやうにドアにゆらいでゐる。

・夕日赤し。吹きあれる記憶の中(なか)を 走る。

・溶けてくる景色を 匙にうけてゐる鄭夫人の瞳(め)のおだやかに、

・景色はカメラの中へ しぼられ、濃いい液體の様にゆれて、

・鳥の聲も符線にはさまつてる様に 夕べはさみしき。

・硝子戸ごしの朝です、川の水が壜詰のやうな音をたててとほります。

・向日葵どもカタカナの齒車の音をたて 一齊にまわり出した。(生活) 

・夕垣に明るく咲いてゐる月見草の中には 湖がたたへられてある。

・撫肩をして咲いてゐるあやめ 古い雨が髣髴とふつてゐる。

・風のモチーヴで洋傘(こうもり)は吹きはらはれ 中世の町にうき身をやつす大連富士(だるにーふじ)。

・風の裔(すゑ)に かささぎの巢が裁縫箱みたいにひつくりかへつてる。

・飾窓の硝子には つめたい水路があつて うつる影はながされる。

・けつまづいた拍子にこらへてゐた溜息群が 一ぺんにあああああああと出た。

・女の不在に ひろげられてある日記は 白い肌着のごとく。

・花の癖をもつあの娘(こ)は そこら一杯 きものを脱ぎ 匂ひばかり殘してゐない

・靑島(ちんたう)への船のとほる海の一部分を 支那人がバケツに汲んで使つてゐる。

・貯水に 私を大人びさせてうつす、持つてゐるカンナの花が小さい衝突(しようとつ)をしてゐる。

・霧が まつ靑に降る。海の芽(め)のやうにロシア人の影法師よ。

・ぐらぐらと泥波をたて 火の様な川である。

・逆光で 火の粉のやうに咲いてる梅の花

・風の中に踏みこんで、抑(おさ)へてる襦袢の袂へ 花片が入る

・線がながされて 岸の のろい灣曲のなかへうすい光。

・靑白い噴水の折はしみたいなサイダーを 銀盆にのせてボーイがさゝげる。

・アヒル達 がやがやいひつつ 三等の團體切符を買つてゐる。

・光が 水のやうな衣裳をきてゐて、ひえひえとする硝子屋。 (秋) 

・ゆれる木は燃える恰好して 風を次へうつす。

・日は赤い。ふところに時計の音のしてゐる人と草原をゆく。

・雨にぬれた空便の 短かい文句。

・垣にさくけしの花壺に 眞赤い夕日が油をついでゐる。

・靑白いけむりはく日光が マツチすつていらない魂を燃やすのだ。 (死)

・この靜かなゆふぐれの 砂濱に いそぎ足のあとがついてゐる。

・光をはしよつて かくれる春の月。花の牢獄にわれは囚われてゐる。

・南は海が靑々と繁つてをり 月は窗を開けてゐる。

・向ふむいてるそなたの胸へ、打ちよせてゐる波である私。

・船は出て 振つたハンケチを懐にしまつた人の殘つてゐる はとばのさびしさ。

・薄ら雨だ。夕べは擾亂して咲いてゐる花。

・虹の支流を 金魚が袂のきものをきて およいでいつたのです。

・寒氣のきはまる中(なか)を 人は火の様な恰好してはしる。

・辭書の中の字よりこまかく波のたたまつてくる灣が 靴さきにありて

・家の横に しらぬ流がある。木にあつまる風をよくうつしてゐる。

・星の線が細(こまか)かつた。方がん紙のやうないへに、夫人のやうな瞳(め)をして。

・螢はあをい水藥をもつて 病むゆめの こなたかなたに 光(ひ)をともしてゐた。

・輕くこたへよ微風あかるく吹いて。くだものの中に(小さな空椅子がある)。

・酩酊した灯、葦の歌であつた、隊商の のんでゐるラムネの 罎は氷雨のごとく灯(とも)る。

・そして、ともに 聖歌をうたつて、梅の實をとほる汽車の明るさである。

・雲のアルコールで 水水水 手帖につける。にせものの鰯がみんなランプつけてゐる。

 

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