マダム・ブランシュ 冨士原清一  (稲垣足穂の周辺) モダニズム

 

マダム・ブランシュ

         冨士原清一

 

        1

いまに月があの尖塔の突先に、靑いアルミニウムの旗をあげさうなので、街中のいつさいの色彩は忽ちいち絛の白色瓦斯體となり、慌てて街燈のなかにかくれてしまひました。

 ために花屋の花たちと化粧室の婦人らは衣裳をつけてゐません。さうして街は靑チエスに耽りはじめました。靑蠟色に塗られた高層建築の群れからは、いち様にあはただしく窓が落ち始め、1點2點・・・街にはキラキラと燈火が灯もされました。
 まあ靑い眼玉をぴかぴかさせてなんといふ失敗した靑年紳士のやうな橋の上のLampたちでせう。
 窓玻璃に燈火は仄あかく、シルクハツトのシルエツトある、華麗な、でもなんとなく西班牙の城壁の匂ひがある伯爵夫人(コムテス)の邸宅には、美々しいニツケル製りの自働車の群れは滑りより、集會しては白い蛾となり、そのタイヤアはあきらかに眞白い花を咲かせてゐます。
こん夜は花合戰が催されるさうです。
 ──まあ、素晴らしい私の夜!
 ──いゝえ、そんなことを云つてはいけません。あなたは失禮です。決してけつして、……ええ、むろんあたしたちの夜でございますわ。
 私は伯爵夫人(コムテス)の唇がこんな言葉の形に結ばれてゐることを想像するのに至極容易です。
 突然、ちつぽけな花火が……と、見るまに消えてしまつたその火は、とうとうあの素晴らしい大理石の階段で誰かがうつかりマツチをすつたのです。さうしてその靑い燐光のなかに化粧した女性の裸像を見たので、顔あからめていそぎゆくのです。
 噴水(ふきあげ)の水盤ではPan・Pan・夕靄の音。ポーポーとかなしい笛を吹いてさまよひくるのはかの汽船らです。これは黄昏れいたるまへの街。白いひかりの群れは高い時計臺を指して蝟集し、ケビンのやうな白色船體であるこのなかに、ひとり最も明瞭に鳴らないいつぽんの笛である私です。
 ──とまれ、私はまたいつものやうに、白い花嫁とともにテラスにあらはれるがいいのだ。
 だがこのアイデイアは私をかなしくします。でもかなしみだけにどうしてもかなしまなければならないのです。
 所詮ひらかなければならない扉である扉を、かなしい白色金屬の音とともに、動かうともしない手でひらくと、白い花嫁は榻床(ベツド)の上にやさしく閉ざされた扇のやうに、靜かに石膏の眠り眠つてゐます。
 いつもかくあるこの女性(ひと)を、勞はりいつくしみながらふたりして部屋からでると、またしても私に悲哀のマントは、かの僧正のガウンよりも遙かに重たいのでした。
 私は靜かにこの衣裳のやうな花嫁を抱きながら、華やかな靈魂の祭典に儚(はか)ない夢想を繋ぎつつ、つねのごとく軈て二人は靑塗りのテラスにあらはれ、この薄明のカメラのまへに立てば、ああ!マグネツシヤとともに花嫁は消えてしまひました。
 晝ま私の部屋のやさしい塑像であり、夕べとなればこのひとときの合圖に消えてゆく花嫁、──このいつ瞬のやるせない合圖を、私はいくたび嘆いたことでせう。
 呆然と、燃え盡した銀の燭臺の哀愁に、かなたメタフイジツクスの消えていつた活動寫眞館の空にみいれば、はやいつのまにかサフアイヤの空から街いち面にcharming twilightのフイルムは映寫(うつ)されてしまつてゐるのでした。街にはいくつもいくつもの靑い塔がだんだんふえてゆき、まだ私は鳴らないいつぽんの笛なんです。

 

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『薔薇魔術學説』2号 昭和2年(1927年)12月 (今回のテクストは西澤書店による1977年6月復刻版)

 

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冨士原清一 Salutation
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