俊一郎は岬の突端に建てられた赤い屋根の家で、哀れにも夢み勝ちな腹膜炎を患ひつゞけてゐたのです。そしてそのゆへに此の不幸な少年の心の悲しみは、もう長い年月、水色でありました。病室の窓のほとりに其の涯は空の極みと相寄る海を眺めながら、早く秋が來ればいゝのにと、俊一郎は恰も未知の戀人をでも待つかの如くでありました。──秋になると水中の海草と雖も亦紅葉するものかしら──。すると一夜、物凄い颱風が彼の住む岬の突端へ襲來したのです。恐ろしい風雨の叫びと浪の轟きとに心をふるはせながらも、これは秋の來る前觸れなのだと夜どほしまんじりともせずに其の夜が果して自分の願ふやうに爽々として秋らしく明け放たれるのを待ち兼ねてをりました。そして明け方近くあたりが稍鎭つた頃に、うとうととして眠りといふ悲しい淵へ底深く身をも心をも沈めてしまつたのです。
──島が流れる、島が流れる──人々の斯うした奇異な呼び聲に俊一郎の夢は破られました。──お母さん島が流れるのですつて?──母親と二人の召使達とは俊一郎が未だ眼を覺さないうちから窓のところ集つて海の方角を指さしてゐたのです。それは昨夜の暴風雨に吹きちぎられたいづこかのかずかずの小さい島々が海流に乗せられて行衞も知られず押流されてゆくといふ不思議な出來事でありました。そして又、すでに人の世が靜澄な秋の朝であつたことは俊一郎の昨夜の想像の如くでありました。
藻屑のおびたゞしく打ちあげられた波打際に集つた大勢の村人達は口々に聲高く──島が流れる、島が流れる──と呼び交はして、秋の最初の朝、俊一郎の夢をも搖り覺ましたのです。母親に手傳つて貰つて漸く床を離れた彼は、窓のほとりの籐椅子に腰をおろして一わたり海の上を眺めわたしました。或る三角形の島は埃及のピラミツトに似てをり、又駱駝の背に似た二つの瘤を持つ奇妙な島もあつたのです。月のやうにまんまるい島、星のやうに尖つた島、それ等の島々は雁行してあとからあとからと無數に俊一郎の眼の前を流れ過ぎてゆきました。
──お母さん、今日は海の水がまるで河のやうに早く北から南へ流れてゆくのですね──。さうね、妾も先程からそれを不思議に思つてをりました──。又、岸邊で今日の出來事に關して村人達の取り交はす様々な會話をも手に取る如くはつきりと耳にすることが出來ました。年老いた第一の漁夫は言ひました。あれ等の島々は彼れ自身もつと若つた日に捕鯨船に乗つて眺めたことのある千島列島に違ひない、と。すると年老いた第二の物識が此の説に返對したのです。千島列島の島々があのやうに小さい筈はない、あれ等の島々はきつと陸前の松島の附近に在つたものに違ひない、と其の老人は言ひました。
まことに今こそそれ等の島々に住む人々も其の家も見當りませんでしたが、それは恐らく昨夜吹きあれた颱風の際に怒濤のために洗ひ去られてしまったのではなかつたでしやうか。
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物ごとに倦き易い人々は斯うした珍らかな出來事にまもなく退屈を感じたものらしく一人去り二人去り、やがて岸邊には獨り物靜かな秋の日が傾てゐたのです。しかしながら俊一郎は猶ほも窓のほとりの籐椅子に腰をおろしたまゝ、流れてゆく島々の行列を眺めつくしてをりました。するといよいよ黄昏の時刻が迫つて來て、今將に水平線に沈まうとする太陽は其の朱の豪華な姿をば三倍ほどにも大きくしたのです。そして岬の突端からちやうど其の太陽が沈まうとするほとりへかけて、流れてゆく島々は恰も庭におかれたかずかずの飛石の如く行儀よく並んで動いてゆきました。又、それ等の島々は赫灼とした太陽の光線を浴びて恰も皆一勢に火炎をおこしたものの如く、──あゝ美しいな──と病弱な俊一郎も思はず感嘆の聲を洩らしたほどであつたのです。さて、其ののちどれ程の時刻を經てからであつたか、ふと彼が我れにかへつた時に、まアどうであつたでありましやう。今の今まで彼自身が眺めてゐた其處に沈まうとする眞紅の太陽は、いつのまにやら今將に其處から中天へ登ろうとするそれこそ萎れた花のやうに色蒼ざめた滿月であつたではありませんか。もちろん、あたりもすでに仄暗く空にはまばらな星屑さへも瞬き始めてをりました。そして此の時、その蒼ざめた滿月の紫の光は、かずかずの島々の上を恰も物哀しい笛の音の如く流れ渡つて、或る怪しい言葉を俊一郎の心に傳へたのではなかつたでしやうか。
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或る夜、俊一郎は彼の住む岬が陸から離れて海の沖へ流れ出した夢をも見たのでした。そして數ヶ月ののちに、彼は病氣が急に重くなつて此の世を去つてゆきました。
第九次『新思潮』9号 大正14年(1925年)10月
丸山清 鷹
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