不幸な鴉の話 1 丸山清  (稲垣足穂の周辺)

 

 そゝり立つ夏雲の峯を背に負ふた嚴(いか)めしい天守樓の上半身が、鬱蒼とした老松の綠靑(ろくしやう)いろの梢の上に、琥珀いろの天日の光に沐浴し乍ら、恰も世にも巨大な鎧を据えたやうに、魔の如く無邊の天空に懸つてゐた。灰いろの石崖が城を包んだ森をば圍み、一面に煌めく飴いろの陽炎(かげろふ)を其の腹に搖り乍ら、ひたひたと打ち寄せる紺靑(こんじやう)の湖水の浪に、絕え間無く其の苔蒸した裾を洗はれてゐた。又、穏かな湖水の浪は、此の城と其の背にそゝり立つ夏雲の峯との投影を其の眩しい水面に黑々と陰氣に映して、是れも亦絕え間無く手繰り寄せ、たぐり返してゐた。斯やうな眞晝、必ず毎日のやうに、何處からと無く一羽の鴉が墨染めの翼を擴げて翔(ま)ひ來り、此の天守樓の空闊とした上空に、幾重にも緩かな螺線を畫き乍ら、何事か怨めしげに泣き叫び、叫び續けてゐた。其の呪はしい啼き聲が、此の城に棲む大勢の靑侍達の午睡の夢に、譬へば、此の鴉自身の兩の翼のやうに暗い蔭影を投げ落したとしても、其の啼き聲が如何いふ意味であるかを知るものは、恐らく、此の城の好事な城主がいつの日からか登庸した、あの醜い隻眼を靑々と光らせ、三日月のやうに猫背を曲げた妖術師(やうじゆつつかひ)だけであつたに相違ない。鴉は哀しげに、憤ほろしく次のやうに掻き口説いてゐた。

 

 ──(御天守の上空に舞ふ現實の鴉の獨白)わしは今日も亦此處へ翔ふて來た。憤怒が今日も亦、わしを此處へ誘ふて來たのぢや。わしの昔の寵臣共も、現在わしが口にする「鴉の言葉」を解して呉れよう筈はなく、最早や何を言ふとも詮無いことであらうも知れぬが、とは申せ、此の妄執が如何(どう)して此の儘わしの胸から消え去り得ようぞ。何者ぢや、怪訝な法力でわしの姿を鴉に變じ、剰へ此の城と此の城に屬する領土とを奪ふたのは。元々わしは此の國の城主の身分に生れ、多くの武藝に秀でた家臣等に護られ、又、眉目(みめ)よい側女(そばめ)等にかしづかれてゐた。だが、それだのに或る夜のこと、わしは此の城の御殿の奥まつた寢所で深い眠りを貪り乍ら、まことに悲しい哀しい夢を見たのぢや。夢の中では我が身としたことが、此の姿を一羽の鴉に落してゐた。そして、わしは墨染めの翼を擴げて此の天守閣の上空を舞ひ乍ら、不思議なことに、次のやうに呟き始めたのであつた。

 

 ──(夢の中の鴉の獨白) わしは今日も亦、此處へ翔ふて來た。憤怒が今日も亦、わしを此處へ誘ふて來たのぢや。わしの昔の寵臣共も、現在わしが口にする「鴉の言葉」を解して呉れよう筈は無く、最早や何を言ふとも詮無いことであらうも知れぬが、とは申せ、此の妄執が如何して此の儘わしの胸から消え去り得ようぞ。何者ぢや、怪訝な法力でわしの姿を鴉に變じ、剰へ此の城と此の領土とを奪ふたのは。元々わしは此の城の城主の身分に生れ、多くの武藝に秀でた家臣等に護られ、又眉目美い側女等にかしづかれてゐた。だが、それだのに或る夜のこと、わしは此の城の御殿の奥まった寢所で深い眠りを貪り乍ら、まことに悲しい哀しい夢を見たのぢや。夢の中では我が身としたことが、此の姿を一羽の鴉に落してゐた。そして、わしは墨染めの翼を擴げて此の天守閣の上空を翔ひ乍ら、不思議なことに、次のやうに呟き始めたのであつた。

 

 ──(夢の中の鴉が城主であつた時に見た夢の中の鴉の獨白) わしは今日も亦、此處へ翔ふて來た。憤怒が今日も亦、わしを此處へ誘ふて來たのぢや。わしの昔の寵臣共も、現在わしが口にする「鴉の言葉」を解して呉れよう筈は無く、最早や何を言ふとも詮無いことであらうも知れぬが、とは申せ、此の妄執が如何して此の儘わしの胸から消え去り得ようぞ。何者ぢや、怪訝な法力でわしの姿を鴉に變じ、剰へ此の城と此の城に屬する領土とを奪ふたのは。元々わしは此の城の城主の身分に生れ、多くの武藝に秀でた家臣等に護られ、又、眉目美(みめよ)い側女等にかしづかれてゐた。だが、それだのに或る夜のこと、わしは此の城の御殿の奥まった寢所で、まことに悲しい哀しい夢を見たのぢや。夢の中では我が身としたことが、此の姿を一羽の鴉に落してゐた。そして、わしは墨染めの翼を擴げて此の天守閣の上空を翔ひ乍ら、不思議なことに、次のように呟き始めたのであつた。

 

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