石原純  (モダニズム短歌)

 

・線條は面を幾何學的に劃し、風は常に新鮮である。さすがに畫布の上で女は永遠に微笑する。

・ある夜壁面(へきめん)に白い花が開き、心臓が黄いろいふくらみを覺える。さて、心靈學者は徒に神秘を創造する。

・忘れられたやうに朱塗の硯箱が置かれてゐる。かたはの廢人のやうに自由主義がいまいたはられる。

・鵞鳥の翅から曾て鵞ペンがつくられ、黄いろい蠟燭の光りのもとで人々は原始的な科學を愛し始めた。

・橡の嫩葉がひらく。なにかしら粘るやうな感觸。近代的な鋪道にももうゆふぐれの植物生理が始まる。

・ギリシヤ風の鼻が妙に尖つてはゐましたが、でも思想の輪郭にはやはり日本風なまろみが見られるのでした。

・いびつな、ひきちぎれさうな不協和(ふけふくわ)音階、思想轉向はうらさびしい戯畫である。

・機械だけが規律的にはたらく。かくも無秩序な人間社會の機構のもとで。

・水蒸氣は褐色を嫌ふ。彼女のやさしげな頰に、一點のちひさな黑子が生れる日であつた。

・秋は木犀の香がにじんで、唇のあかいのは、こゝではひどく非科學的な思想であつた。

・歳晚の動き、旣に天文歳時記はしろい埃(ほこり)にまみれ鋪道はいたづらに凹凸模様に充ちる。

・およそ くらいものほど ひかる。いましめられる非常時の なにとない おののき。

・怪文書が横行する 世代の心理。相貌を歪めて 機敏な株屋は 煙草のけぶりを 占つてゐる。

・きめうな調子で 流行歌が 群衆の耳を魅する。だから おもい扉も 風に ほろりと仆れるのである。

・オゾンのない空氣、いつも空腹さうな 庶民階級、ビルデイングの壁は どうも そつぽを向き易い。

イベリア半島では あかい旗が 風にちぎられ、ラテン語が 倒さ讀みされる。

・公園の小みちで、市人は 思想をおき忘れてしまつた。ふと北風がふいて、馬がぶるんと 鼻をならした。

オリンピアの 聖火のもとで くにぐにの爭ひが 燃燒する。世界の鎭靜劑に 一塊の臭素が不足するさうな。

・花たばを挿した ちひさな壺、影は まことにふしぎである。こよひ 聲調のたからかな 舞臺の歌のひびき。

・都會人の群の騒々しさ。放水路に 冬の姿がさみしく、毛織ものは 吹きさらされてゐる。


『新短歌 年刊歌集 1937年』『新短歌 年刊歌集 1938年』

 

 

 

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