小關茂(小関茂) Ⅱ  (モダニズム短歌)

 


・大地は月に傾く斜面となり、壁となり、男一人東に向う

・地の底を河は流れ、ひとつひとつ波はかゞやき、その涯へ月は出る

・月の夜を咲き盛る桃の花、近寄ればどの花にも水のようなかげがあって

・こんな国の、こんな夜を、少年の日と同じ一番鳥がないている

・あかりを消せばトマトひとつ月のひかりのなかにしんと浮びあがる

・白い皿にトマトひとつしんとして、さわられぬうつくしさつめたさ

・遠くきらめく月光の方へ顔を向け、去年知らなかった微笑を

・月に淡いスバルのあたりを音だけが、やはり音だけが過ぎてゆく

・慄えるまで、またゝきもせず、ひとりでにあふれてくるものを河心にみていた

・然し河はたゞ光り、人間の歴史よりもはるかな色にくすんでみえた

・脳味噌の中のきいろい地図、今日もそれをみつめる眼をして蠅をみている

・なんにもない、たゞ春の陽がいちめんに降っているばかりで

・その狭い裂目から私はみた──茫漠として狂おしい思念の世界を

・おおいと呼んでみた。その声は内臓の隅々に反響し、それから一散に戻ってきた

・空を仰ぎ、するどい穹窿の下を通っていた。私であった。私なのであった。

・屋根は青く光り、くらい窓の中にだれかねている。肉体のない眼だけが

・無限の彼方からひゞくどよめきが──宇宙をみたすエネルギーの粒々が──

・橋に立ち、遠く流れる時間をみた。谷に谺する引潮であった

・ナトリウムの光の中にたゞ見渡す限りまっきいろく遠く宇宙の曲率が

・窓の中で、誰かしきりに手を振っている。私にはそのせつない意味がわかっていた

・肉体の衰えの上に楼閣を築く賑かな音が眼をつぶるときこえはじめる

・日毎その下を帰る。なんの樹かその高い樹の下をかえる時うれしかった

・あゝ花が、と雨雲の中に咲きさかるさるすべりの花を見上げた

・疾風のわずかなきれめにも蟬はからだをふるわせて鳴くのだった

・一尺四方ほどの青空が急流のような速さで櫟林を越えていった

・口ではいえない。ずっとずっと少年の頃の、あんな青い山のいろ

・五月。たゞもう生物(せいぶつ)であるだけの眼をしてじいっと坐っている

・仕上台の窓、硝子が一枚ない。空がはがねのような色をしてきた

・鉄棒を切る時空をみた。その気も遠くなるような、青く燐光を放つ空を

・水しぶきの中を終日、ごうごうと天へ昇っている日もある

・雲が団々としてかゝる日には、頰杖をついてその樹にみとれる

・巻積雲へまぎれこむ。ときたま、樹いちめんにどことなく消えている

・山がどっかで崩れ出している──こんな風のおちた日のこと

・首をあげてみると、まるで知らない星座のある夜空がみえた

青い山脈の、刃物のような線の、冬の空よりもきびしい色に

・空よりも青い山々。幾時間もそうして、触れゝば切られるような

・こゝにも、透明な水底に、生きものゝ匐った無数の痕がある

・空に映るものならば、幾つもの歯型が俺の背中にはあるのだろう

・剥いてゆけば、はがねいろした無気味な貌があらわれてくる

・電線うなり、青くスパークするたびに夜空を見上げる

・一枚の葉もないのに、どこにもふしぎさのないうつくしさで立っている

・顔の上にある、枯葦のながいうつくしい線にふと眼をさます

・ふっとしてやはり俺のまわりにある眼にも見えぬ石

・眼をつぶっている間ぢう線路は光り、だれか美しい貌で歩いてくる

・鏡の奥から見上げるものは光らぬ獣人の顔、だれも帰っていない

・あすこへゆく過ぎ去った年月、青葉に吸われゆく後姿

・大熊座傾き、何故ともなく笑いをこらえて夜空を見上げる

・雲もなく、たゞぎらぎらとかゞやく空の中に立ってゐる一本の樹

・出会いがしらにみた眼の中の、実にそれは奇妙な、知らない人のこころ

・花というものを空にみる、花というものは宇宙にむかう

・にんげんの世界から遠く、ことばは地衣類の世界へ洩ってしまった

・背中の上でどの木かゞ光り、おれは運ばれていると叫んでいる。

・鳥も虫も、棲まぬ地帯へきて、のがれられぬ眼に追いすがられる

・夕焼空をちらっとみた男の眼の、なんというそれはつきささるような

・はっとして顔を上げる空に立っているうごかない一本の旗

・それが静かにひろがるとき、裂け目のむこうにも空があるのだ

・空は静かにたたまり、旗は吸われ、そしてまたゆるやかにあらわれてくる

・論理というものを忘れ、人びとの眼と唇としか理解しない

・今朝はまたなんというさんらんたる空に旗は立っていることか

・時間は失われ、幾たびも其処をめぐり、いつも同じ一瞬に寝ている

・物象も歴史も既に失われ、一瞬にして永遠なものが領している

・時は過ぎ、かえらない。だがいつどの時間になんのしるしがあったろう

・永劫というもの、一瞬というもの、いついかなる時も同じ時間ではなかったか

・生命は、男の黒い眼に宿り、そして永劫へと落ちてゆく宇宙の時間

・少年は空気銃を手にして梢をみる。私も梢をみる

・高いホームから見える空には、溶けかゝった雲が幾つも幾つも並んでいる

・生命は宇宙をみたす音楽のような、美しく無限なものなんだね

・またしても、俺は内へと眼を向ける苦しい春の日々がはじまるのか

・空は霞み、微生物がながれ、丘にサクラが咲いている

・遠くに雪のある空へ、楊柳は幸福そうな若葉をさしあげる

・ひと群きんいろにかゞやく草むらが、水門の向うにさっとみえた

・靴の下でその石ころはやわらかいへんに生きものゝような感じがした

・はっとして外をみる。どっちも全く同じ意識をその眼の中にみつけてしまう

・ふっとして視力を失わせるこんな混迷の中にも立っていなくてはならぬ

・どの眼の、ひどい無関心の中にも、ひとつづつかたい意識がかくれている

・沢山の意識のずっと端れにある一つの無心なすがたが映ってくる

・あゝ月があったなとすかしてみている。いちめんの麦の穂の上を

・どこまでとも知れない麦の上をうすいうすいひかりがとおっている

・ふいにぎょっとしてそのとき萬有の眼にとりかこまれる自分をみた

・幾日も幾日も思惟を失い、世界崩れる日の空の色

・眼底を見られながら鳥影のようなものにちらりと横切られる

・ごおっと渡る瞬間の、忘れられない、宇宙のように青い逆さまの空 
         (河)

・はっとするような青さの空へ、しんと逆さまに立っていた一本の煙突

・宇宙のあらぬかたを向き、煙突はうごかぬ白い煙の下に

・お前とゆく、ながいながい切通し。幾百層とも知れぬ太古の地層

・雲のずっと上にある、そのずっとずっと上にある、極みない空の色

・空という空すべての雲は、落ちてゆく日輪の方に向っている

・どっかで啼いている澄んだ小鳥のこえ、北半球に十一月がくる

・現象の世界をいつもその眼は通り抜ける。いつも自分の眼を求めている

・眼は悠久を通り過ぎる、眼は宇宙をこえてゆく、それでいて、なんとそれは滑稽な

・それはいつも人間の視線のないところへ──人間の視力の及ばない世界へ

・その眼はいつも少年の日から宇宙の涯や花粉などを映してきた

・光──いつもその眼は宇宙の涯の、くらいつめたい世界を溯る

・望遠鏡を覗くときは、もっとも微光の星を、いつもきまって探し求めた

・少年の日に屋根に登り、深夜の星をみたボール紙の筒もその眼であった

・死神と肩を並べ、黙々としてレンズを、その眼に代る眼をひとりみがいた

・深夜の屋根に星雲を眺め、時間と空間のつくる涯しなき世界をみた

・宇宙の隅にその時計は懸り、歴史を絶した時が刻まれている

 

 

小関茂が亡くなった日に中野嘉一が書いた詩がある。

 

宇宙論者の死の枕辺で
    小關 茂君の霊に捧ぐ──

少年の日から宇宙の涯や花粉などを
映してきた君の眼
望遠鏡をのぞくときは いつもきまって
微光の星を探し求めた君の眼
少年の日に 屋根にのぼり
深夜の星をみた そのボール紙の筒が
天井うらにあるという
ある日 病床で煙草をふかしながら
君と話していたら
茶色の猫がひょっこり枕もとに現われ
話しかけるようにして 通りすぎた
その時 ゴキブリが壁をつたわって
天井からおりてきた
猫も ゴキブリも
宇宙をみたすエネルギーの粒々のひとつである
と言って君は微笑した
枕もとにキノコのはえる話もした
枕もとに
隕石のかけらと称するものがあった
アポロ十三号の発射台の下で拾ったフロリダ半島の貝の化石と
色褪せたむかしの地球儀がころがっていた
「地中海」エーゲ海支部の名簿もあった
それに僕の名もあった

茫洋たる君のコスモロジィは むしろ人生から奇蹟をさけようとしていた 悠々と
天の喇叭を吹き続けた
ある日 君は死を甘受する そして
君は もう まぎれもない 太陽を載せた汽船の一員となった

 


小関茂 Ⅰ

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