苑の周圍
饒 正太郎
あらゆる草木の上に《春の聲》が弱い光の中で激しい喜悦、弦樂のアリア。
アトリエの扉が花の様に開く。
ローズ・ド・コバルトの丘、續いてジヨーヌ・シトロンの丘。
小鳥は樹木の間から靜謐の苑を眺める。この無智の魚達。
神秘の森に獨り殘された黄い墓地。
その中では空と海とが限りなく重合つてゐる。
花 花 花 情熱の緋を摑んで私は昏倒する。額の上では音樂が燐の様に燃えてゐる。
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こゝは思索の起らぬ《室樂の苑》。不協和音を畵く花達の呼吸(いき)。私の髪は逆立つ、海の影で。
《海の生誕》
海邊には今迄知られなかつた美しい貝殻が陽炎の面に透徹つて見える。
若い魚夫達は各々の獲物を求めて情熱の海に沈むのだ。
微風はアダアヂオの小徑を開いて《西の苑》へ。
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無數の香と無數の色彩が今やこの苑の傳統を飾るのだ。凡ての人達はこの秘密を知つてゐる。
ただ花達は靜謐の乳を好むのだ。
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嵐の脈を斷切つて薄暮の丘は海の様に曇つてゆく。
夕暮こそこの苑の凡ての秩序だ。
羽搏きが止む。私は不眠の時を知る。美しいアーチからは絕えず悦樂(よろこび)と歎聲の言葉が聞えて來る。噴水のひゞきと古い記憶。
肖像が燃える。匂が燃える。
霧の海を花瓣が靜かに墜ちてゆく西風のアダアヂオ。