日野草城  (モダニズム俳句)

 

「ミヤコ・ホテル」十句

・けふよりの妻(め)と來て泊(は)つる宵の春

・春の宵なほをとめなる妻と居り

・枕邊の春の灯(ともし)は妻が消しぬ

・をみなとはかゝるものかも春の闇

・薔薇匂ふはじめての夜のしらみつつ

・妻の額(ぬか)に春の曙はやかりき

・うららかな朝の燒麵麭(トースト)はづかしく

・湯あがりの素顔したしく春の晝

・永き日や相觸れし手は觸れしまま

・うしなひしものを憶(おも)へり花ぐもり

   ★  ★  ★

・春の夜や檸檬(レモン)に觸るる鼻のさき

・春の月ふけしともなくかがやけり

・春の灯や女は持たぬのどぼとけ

・蠅一つ夜深き薔薇に逡巡す

・新涼や女に習ふマンドリン

・船の名の月に讀まるる港かな

・二三點雨の乾かぬセルの肩

・冬薔薇の咲いてしをれて人遠き

・春の蚊のひとたび過ぎし眉の上

・老孃の看護婦長の四月馬鹿

・をさなごのひとさしゆびにかかる虹

・灯を消せば靑い月夜がのぞく窓

・重ね着の中に女のはだかあり

夕映のしりぞく卓布眞白にぞ

・みづみづしセロリを嚙めば夏匂ふ

・七月の冷たきスウプ澄み透り

・水差にかちんかちんと夏氷

・伊勢えびにしろがねの刃のすずしさよ

・マカロニが舌を焦がしぬ風涼し

・靑メロン運ばるるより香に立ちぬ

・珈琲(コーヒー)や夏のゆふぐれながかりき

・靑楡(あをにれ)の森の奥處(おくど)へ自動車疾(くるまと)く

・わが原始風に觸れつつかくれなし

・ころぶして地球の膚に觸れたりき

・アダムめきイヴめき林檎嚙めるあり

・仰向(あおのけ)に神の眠りをねむりたり

マンドリンやさしき膝に載りそろふ

・うごかんとして靜かなる銀の指揮棒(タクト)

コントラバス白き腕(かいな)を纏(ま)きて彈く

・男(を)の指にギターつぶやきためいきす

マンドリン哭きつむせびつ女(め)の指に

・ひしひしと樂を鞭(むちう)つ銀のタクト

・彈きこぞる音のたかぶりのそのきはみ

・陋巷の裏へ夏野が來て靑し

・ひと拗(す)ねてものいはず白き薔薇となる

・飇天(へうてん)に孤獨なる月よ照るほかなし

・夕雲の熱きに觸るる傳書鳩

 

 

 

 

 ※「春の宵なほをとめなる妻と居り」には「夜半の春なほ處女(をとめ)なる妻と居りぬ」のヴァリアントもあるような。

 

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