飯田兼治郎  (モダニズム短歌)

 近いうちに増補する予定ですが、余り長く休み過ぎたので、挙げておきます。

 

 

・飢えたものの目が
 行衞のない己の旅を急ぎたてるのではないか

・飢えたものたちが日夜あるいてゐる跫音がする露支國境地圖

・狹い巢のなかで生長した己に
 茫漠たる大陸地圖の示唆 !

・地圖を塗りわけて
 貧乏な邪魔者が訪れるのをはばみあつてゐるのだ

・長い間の闇から光りを喚びもどして
 地圖が一色に塗りあげられてゆくぞ

・思想を載せた列車が闇の中をはしりつづけてゐる音をきくのだ
 地圖の黑い線路

・母國を亡つた若いパパが
 土の上に座つて子供にキスをしてゐる

・絞首臺を下りて來た白系ロシア人の靑色の目がもつ革命期の憂愁

・建設のうしろに亡びてゆく人々
 子供は草に話しかける言葉をおぼえて

・大陸の日が沈む地平線は
 海のやうに傾いてゐる

・靑いペンキで塗られたポストの口から
 ほつかり妻の手紙がくるではないか

・船體を空にまきあげられたジャンクは
 破れたメーデーの旗をたてたまま

・國際都市の大空を支配する
 起重機の鐵柱が放射する力 !

・がつしりした起重機の膂(て)に己の傷ついた心を抱かせるのだ

・いきなり刺し殺される
 ヒステリカルな感激を抱いてゆく支那

・愛を亡うた體に突き刺つてくる
 まつ赤な支那ナイフの興奮

支那人の顏、支那人の顏、己を殺してくれる奴があると思ふのがなつかしいのだ

・誰も知らない支那人街の底で
 殺されてゆく自分を考えてゐるのだ

・阿片の切れた支那人の體をはつきり感じてゐる愛を亡うた心 (碧山莊阿片窟)

・生命を安々と賭けた阿片隠者のまへを革命は通過した

・おそらく發見(みつ)かることのない阿片窟でひとりの魂を抱いて死ぬのだ

・ああ・人生の空間を急速度でつい落する自分を茫然と意識してゐる

・腹の底から話しあいたくて
 支那の靑年に頭を下げた !

・新しい生活を築きあげた
 同志のがつしりした手をに握つてゐる靑年

・まつしぐら行動に移つていつた
 靑年支那の激情があふれた大陸

・同志のおほかたは
 理論と歴史の洪水におぼれて轉落した

・線香花火のやうな理論を机の上ではじらせてゐた同志の脱落 !

・生命をすてた無鐵砲さが
やたらに人を愛したくなるのだ

・水夫(マドロス)と淫賣(ヤーチ)と苦力(クリーン)の飢ゑた目が
 己の飢ゑた目とかち合うのだ

・心臓が破烈して死ぬ空想を抱いてロシアの汽車にのつてゐる
 深夜 !

・燈火を消した苦力列車のひびきが
 頭のなかを通過してならない

・密併(みつぺい)した寢臺車の鏡にうつる
 己の飢えた目をおそれる

・萬國寢臺車の窓に思想の匂ひがぷんぷんする赤い花束 !

・新しいロシアを横ぎつてきた尨大(ぼうだい)な機關車が己の體を敷いて通つた

・ロシア文字のスローガンをかかげた
 列車が放射するモスクワの激情

赤旗をかざりたてて驀進する機關車!
 五ケ年計劃の巨大な面貌だ

・まつ赤な帽子をかむつた少女が萬國寢臺車から下りて來た・朝

・ロシア語のアクセントで東洋の言葉をなげつけてくる・フラツパーな彼女

・赤い五月に突撃する彼女の
いのちをなげだしたフラツパーな風貌

貞操を認識しない彼女のあけはなたれた
 體、體、ああ斷崖だ

貞操は思想と國籍をこえて
まつ赤な花瓣をなげつけてくる

・危險地帯を侵してゐる少女の體にあふれた一九三一年の情熱

・危險にふれてゐる生命の躍動が
 國籍を無視してせまるのだ

・思想を胎んだスラブガールの
 震憾たる情熱がおしよせてくる

・勞働服を着た若いコンミユニストの
 魅力があふれた工場

・不思議な吸引力をもつ婦人コンミユニストの顏がある 機械 機械

・コンデイシヨンのよい機械が
 彼女達の體を解放してゐる 明るさ

・ソヴエート建設の若々しさをみながらした女體が工場にいつぱいだ

・潑刺とした蒸氣機械とコンミユニスト工場の外は大陸の起伏だ

・若いコンミユニストの衝動した視線
 帶革(ベルト)は急速力で囘轉する

・ながいこと空腹に馴されてきた少女の卓におかれたパン ソヴエートの夜明だ

・パンを燒いてゐる少女の顏 あゝ自分達のパンを燒く日が來たといふ喜び !

・すばらしいパンの燒たてをとりまいた !少女達の幸福さがあふれて

・黑麥の燒パンの匂ひが
 己の空腹をみたしてくる

・ぷんぷん燒パンのこげる匂ひが
 コーカサスの集團農場(コルホズ)をつゝんで

・國籍のないジプシイ女の奔放な顏が
 大陸の朝光を浸して

・生き拔かうとするジプシイ女の認識
 ロシア大陸の十月 !

・いきなり 波の上にシベリア大陸が浮び上がつてくる幻像

・ぴつたり
 封鎖した税關の黑い扉が憂欝な港だ

・失業したロシア貿易港の驟雨だ
 煙を吐かぬ汽罐車

・倉庫の黑い壁に張つた航海圖
 己の立つてゐる海の向うが浦鹽だ

・L L 黑い壁の頭文字(イニシアル)が暗示する
 失業港風景

・危險信號の旗を立てた汽船が
 眞黑い風景の港を朱で浸した

・港は失業の苦悶に喘いでゐる
 うごかない起重機は黑塗だ

・暴風雨の暗い海だ
 トロツキーの顏が溺れてゐる

・波止場に海を見てゐるロシア少女の簪は黑い毛糸である

・先生の眼にウラジオの燈火がうつつてゐるのを感じる夜の別れだ

・思ひきり自由にのびた檳榔樹が
 亞熱帯の空をさゝへてゐる

・びんらう樹のすこやかな樹幹が
 奔放な觸手をのばす朝の蒼空

・びんらう樹の林に赤い天幕はり
 生蕃がおどるまひるの光線

・せい悍な阿里山蕃のはなしたる木製の矢が空をながれる

・巨木を胴伐りにした宿の机に森林帶地圖をひろげてしたしむ

・みやくみやく血が脈うつてゐる感じ
 森林帶地圖の赤い登山線

・新高主峰の尖端までひかれた
 赤い登山線の蠱惑だ

 


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