井上多喜三郎  (モダニズム短歌)

 

近江のモダニズム詩人井上多喜三郎の短歌作品です。専門の歌人の作品のみをモダニズム短歌とするなら、番外編かも。


・馬橇の鈴の匂ひが豐です曠野いつぱい春の雪、雪

・アツプルが銀のお盆へ綠色の夢を投げてる初夏の宵

・曇天のくさつた腸をつきさしたマストのやうな葱の靑さだ

・まつしろなイチゴの花が空を硏ぐはつなつの朝をオームと話す

・月の手がタイプライターで戀を打つベツドに宿れ鈴虫の歌

・大鳶小鳶空に硏きをかけてます汽車のけむりが雲となる晴

・居酒屋の小町娘は十七よおしやれ燕が酒買ひに來る

・沸きかへる歡聲よそにみなし兒は花火みてゐたいてふの樹に倚り(運動會)

・太陽と襁褓襁褓とこひのぼり若葉の中でかくれんぼする

・麥の穂に月のあゆみがきこえますだまつて手をとるふたありのこころに

・ひとり身には小鳥が朝の時計ですアスパラガスにふかす寢莨

・輪になつて軍歌演習だ手を叩く營庭に高く產れ出る月

・朝光を斜に切つておとづれた封筒に菜の花がつきゐる

・木柵を越えくる春の微笑ですスイトピーがこゝろ捕へた

・マーブルのポーチ訪(おと)なふゴム靴の郵便脚夫がふめるステツプ

・びろうどの帽にさゝやく春の風兒は口笛で羊追ゐる

駅馬車の窓から游ぐカアテンのレースは花の香にそまりゐる

・カツフエは機械マツチだよサンポのタバコの火一寸貸りに寄る (「貸り」ママ)

・ともつたり消えたりしてゐるとき色の窓の灯(ほ)かげは花の香がする

・ポケツトが花の雫でぬれまする窓の薔薇の優しいことづけ

・娘(こ)がくれた百合の花ですだまり娘(こ)のこゝろ聽えるラヂオのラツパ

・夕ぐれにかるいうたまく自轉車よ垣根にさいた白粉(おしろい)の花

・苫船にほそぼそゆれてゐるけむり棧橋からころ月と步いた

・どこからか歌のきこえてくるめざめ窓からのぞくコスモスの花

・露おいたコスモス畠の窓の瞳(め)がサンポのコースに花粉をちらす

・二人乘の自轉車がゆくコスモスの花かげで一寸羨んでゐるトンボ

・唇(くち)つぼめ鸚鵡と話すオカツパさんの指先ひろいそばの花ばたけ

・荒れ狂ふ吹雪の夜を床屋から玉子のやうな顏で出て來た

・あかときを竹藪小徑(みち)そぞろゆく仰げば顏にこぼれるひかり

・どの竹もすらりのびをりどの竹もしづかに秋晴れよろこびあつてる

・紺絣の紺のにほひがながれくる朝(あした)間曳菜(まびきな)賣りに來た娘

・半白の髭でうもれた顏をあげほほゑむだけの朝の挨拶

・はるかなもののなつかしさ秋空のちり雲一つ胸かすめゆく

・死んだらどうなるんだらうわかりきつたことがさみしくてねられぬ夜が來た

・午前六時のサイレンはなるいちやうにゆれる櫟(くぬぎ)の梢の光

・さみどりの鉢の蕗(ふき)の薹(とう)窓におき置きこゝろ明るし君に手紙出す

・新刊の雜誌の匂ひしたしめる窓に氷柱(つらら)の折れ落つる音

 

 

 

 

 『現代口語歌集』(花岡謙二編 紅玉堂書店1928)

『井上多喜三郎全集』(全集刊行会 2004)

 

同著者の詩作品は
井上多喜三郎 花粉
井上多喜三郎 言葉
井上多喜三郎 徑
井上多喜三郎 時間
井上多喜三郎 綴れない音信
井上多喜三郎 蜻蛉
井上多喜三郎 日曜 その他
井上多喜三郎 窓

 

 

 


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