渡海
わたしは一つの約束をした
それがすむと そつと甲板へ出ていつた
海は杳(くら)く そのなかに どんな嗟(なげ)きがあるかさへ
みわけがつかないほどだつた
おとがする 何かのおとがする
海の底(そこ)から 海の底(そこ)から
あれは魚の歌だらうか
人たちは何処にゐるのだらう
遠くで眠(ねむ)つてゐるのだらうか
わたしはここにゐるのだらうか
死はやせてわたしのすぐそばにゐた
わたしと睦(むつ)まじげになにかかたらひながら
その夜 海は果てもなくひろがつてゐて限りない不安は親しくさへあつた
こごえた風が宙へのぼり ながい時間がすぎると
星達はたがひになにか叫(さけ)びながら降りはじめた
「台灣日日新報」1938年6月8日
『日曜日式散歩者』(行人文化実験室 2016年9月)より