海と女体  恩地孝四郎  (詩ランダム)

 

海と女體        

        恩地孝四郎

光は 激しく海をおしつけ
海は いよいよ靑く
ひとびとはあけひろげられた遊びに
原始の魂を蘇生する
波をくぐり 波をくぐり
さらに熱砂に身を放つ
一群の生物

    ⚫

新らしい膚は烈しい太陽にをののく
皮を射る赤外線
足にまつはるは さざなみ ニードル レース
爪は貝殻 軀幹は珊瑚 唇は朱きポリプ體
さては岩間のいそぎんちやく
波はひるがへる
ひるがへる靑い翼
女體は魚となり 水を切る
雲は空にあり 魚は水をくぐる
海いよいよ靑く

    ⚫

烈しい沈默 そこにうごく世界外の實在
擴げられた キノ
夏の日の尨大な白日夢
あかるく あかるく
空へつらぬく虛無

 

女身はつひに溶けて一片のくらげである

 

 

 

 『海の童話:詩を伴ふ版画連作』(版画荘 1934)より

 

 

恩地孝四郎 形なきもの

 

詩ランダム

 

形なきもの  恩地孝四郎  (詩ランダム)

 

形なきもの

         恩地孝四郎


ふり敷いた雪に散る光
室のうちはまだ冷えびえとしてゐるに
どこか幸福なものが心に芽ぐんでゐる
瓶のヒアシンスに凝つてゐる蕾、
ひえびえと冷氣のしみる肩に私は飢を感じながら、
何か幸福なものを身にする

もの捉へるものは形なきものであるが、

     ⚫

美しい孤線を虛空にひく、
空は靑さが消え、一面の白紙、
誰がこの美しさを描いたか、
はるかに愛するの泛ぶ。
誰としもない愛する人

 

 

 

 恩地孝四郎 海と女體

 

 

詩ランダム

画布に塗られた陰について 酒井正平 (詩ランダム)

 

 

畫布に塗られた陰について

           酒井正平

 繪を探すには月の無い窓を必要とする様に裝ほへる鏡の中の碧さにかたつむりの舌を意識する 畫くのは何時も人の姿 歩くのは何時もさがない美しさから 寢室に招(よ)ばれたさゝやかな饗宴の中から綠色の落雁の扉を開くと 猫の持つ月が石の上に咲いて居る かたつむりの中に忘れられた風景 つまさきで立ち上つた夕日の夕日の持つ横顏への愛撫 白い窓 手をつないで下りて來る鷗ら 遊ぶとき頰にうつす子供達子供達の中で遊ばれる時間を 椅子の様に壁の一部を占めさせながら 緣飾る鏡が僕等にそれを示差(おし)へる 鳩の中で動いてる月が晝の月をはづかしめる 手を座(つ)いた逃亡者へその影までも美しく畫かれる。

 

 

 『文學』(厚生閣書店 1933-03)

 


酒井正平 航海術
酒井正平 天文
酒井正平 窓

 

 

詩ランダム

天文  酒井正平  (詩ランダム)

 

天文       

           酒井正平

 小鳥の花は咲かない事になつてゐる。そして無數の天使の叱言が足跡を付ける。
 窓に盗んだ、それ故その叱言は衣裳をきてゐた、私は昔からそれを認めて居た、以前私は塋の中にゐた、つゞめられた聲を立てゝも彼等は笑はなかつた、失笑は私が覺えておいた、殘して來たのは天使の饒舌でもあつた、それなら手をだしたのは私であるか ! 私は笹の中に居た、私は少なくとも多くの音を愛した、つゞめられた掌を誰も見はしなかつた、私は塔の先へ彼等の手がそびえ始めるのを見た、彼等も又明らかに塋の中にあるのだと感じ、私は私に付いた小鳥と花をとばした、叱言は私をつれてゆかうとしてゐる、私は顏の中でそれをつかみとつた、私は肩をなぜた、人の肩羸い足がとめてあつた、ピンは足よりましであると思ふ前に私は私の咲かない小鳥の花を思はないわけにはいかなかつた。

 

 

 

 

 

 

『文學』(厚生閣書店 1933-03)

 

 

 酒井正平 画布に塗られた陰について
酒井正平 航海術
酒井正平 窓

 

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夢  小方又星  (詩ランダム)

 

         小方又星

かの女は、銀の涙をはらはらと流した。


わたしは かの女の名を知らない。姿も顔も憶えてゐない。ただ、いまも何處かで あの銀の涙だけが美しく光つてゐる !


わたしは見た、處女の眸からはらはらと星のやうな涙が夜の闇に散つたのを。
あゝ 不思議なる記憶よ。夢よ。
その日は赤い太陽が灼け爛れてゐた。綠の葉は眞夏の酒に醉ひどれてゐた。蝸牛(かたつむり)は乾ききつた貝殻(から)の重さにも喘いでゐた。
わたしは 宛かもその蝸牛のごとき息苦しさを感じる、正體の分らぬ焦燥と矛盾との幻影を追ひながら……..


わたしはかの女の姿を鏡にうつるわたしの姿のうへに描く。
わたしはかの女の眸をわたしの眸のうちに想像する。
わたしはかの女の涙をわたしの涙のうちに見る。

 

 


詩ランダム

菊  乾直恵  (詩ランダム)

 

          乾直惠

 彼女が久しく寢てゐた部屋を閉め切つた。僅かに障子に穴を開け、そこから導管を差し込んだ。私は消毒器に火を點じてから戸外に出た。
 私は沼の邊を歩き出した。野霧が籠めてゐた。月──月の中の蒼白い彼女の顔。彼女は絕えず痙攣する口腔から、ぺつぺつ血を吐きかける。夜更が卷煙草を濕らした。
 遠くで鶉が鳴いてゐた。


 翌朝。私は部屋の目張をすつかり剝がした。さつと開け放した障子。闖入する秋冷。私は强烈なフオルマリンの臭氣の中に立つてゐた。刺戟の針の襲撃。充血した私の眼鼻がひりひり痛む。逝つた彼女の駄々が私を擲つのだ。私はもう一度、彼女を口の中で呼んでみた。
 すると、小川のせせらぎと菊の香が、涕泣する愛撫のやうに流れて來た。

 

 

 


『肋骨と蝶』(椎の木社 1932)より

乾直恵  Echo's Post-mark
乾直恵 神の白鳥
乾直恵 睡れる幸福
乾直恵 鮠

詩ランダム

 

 

鮠  乾直恵  (詩ランダム)

 


 鮠 

          乾直惠

 透明體の秋氣には何一つ沈殿してゐなかつた。私は収穫後の葡萄畑に枯枝を剪んだ。木鋏の音が空に滲透した。枝の隆起した癌腫狀のところを折るごとに、白蠟性の幼蟲が蠕動してゐた。
 夕暮が私に促した。
 私は蟲を鈎に刺し、絲を裏の小川に垂れた。指先に殘る淡い觸感。冷たい記憶よ ! 蟲は水中を水銀氣泡のやうに光つて消えた。私は緩やかな流れに沿つて浮子(うき)を追ひ、川緣の雜草を飛び越え、飛び越え歩いて行つた。
 四邊に夜が羽搏いた。家畜らは從順な眼を閉ぢた。そして、家家の洋燈の下では、幸福が、鶫の胸毛のやうに顫へてゐるかに思はれた。

 


※「鮠」=はや。日本産のコイ科淡水魚のうち中型で細長い体型のものの総称。

『肋骨と蝶』(椎の木社 1932)より

乾直恵  Echo's Post-mark
乾直恵 神の白鳥

乾直恵 菊

乾直恵 睡れる幸福


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