CAPRICCIO 冨士原清一 (稲垣足穂の周辺) モダニズム

CAPRICCIO

              冨士原清一

 

Night, such a night, such an affair happens.

 

パレットにねりだされた多彩な繪具族のかなしみと、明暗の花咲く女性(かのひと)の寢室に燈つてゐた小さいLampのさびしさを、外套の釦である紫色のビイドロに覺えながら、私は細い頰を高くたてた襟につつんで、この綠り色の星まばらな夜を歩き續けてゐました。
歡樂は美裝せる一人の士官である。彼の眞紅のサアベルは、つねにそれの數萬倍である憂鬱の雜兵を指揮してゐる。
私はこんなことを考へながら、この街でいち番高い處にある壮麗な大理石(マーブル)の架橋(はし)にさしかかりました。いつも愛してゐるこの陸橋からの眺めとは言へ、まあ!なんて滅法に奇麗な今夜なのでせう。街は黄ろい燈火の海をひろげ、そのあひだに赤・靑・綠などのイルミネエシヨンがちらほらし、まるでカアペツトの上に寶石を薔薇撒いたやうな夜景です。さうして靑いレールの群れがこのなかにサアベルのやうに煌いてゐて、いまにもあの透明體のキラキラしたシンデレラの馬車がこの街からあらはれてきて、古典的なミニユエツトを踊つてゐる星たちのあひだを縫つてゆきさうです。その美しさつたら思はずも唇からモオメントミユウジカルのひとふしがとびでたほどでした。
 このときです、ふと私は古ぼけたイタリア製の帽子の緣から、靑いヒカリが私の全身を捕へたのを氣付いたので思はず立ち止まつて見上げると、頭上にアアク燈が天空に向つて蒼い信號喇叭を吹いてゐました。……で、このボーボーといふ音をぢつと聞いてゐると、いつのまにかあのスクリインを想ひだし、今までこんなにも靑い夜を見たことがないやうに思はれてきました。それでこゝろ秘かにこんな靑いものに耐へられない自分の神經に怯へてゐると、頭のなかになにか漠然とした靑冩眞かフイルムのごときものが次第に大きく不明瞭に現はれてきてなぜか私はコロロホルムにでも作用されたやうにぐつたりと冷たい架橋(はし)によりかゝつてしまひました。……
 折柄ふいに終列車の轟きを聞き、靑いスパアクがパツと飛び散つたので、思はずもはつと架橋(はし)の下をのぞいてみると、ああ!なんといふことでせう!レールの群れが太刀魚のやうにこの架橋(はし)の下を流れはじめたのです。ついでシグナルの燈が流れだし、エメラルドグリイン・アムバア・スカアレツトなどの光りがピカピカと飛び散りはじめたかと思ふと、虹のやうな奇麗なテープや模様がメリイゴウランドの酔ひごこち夢みごこちに走つてゆきます。がついにはこん度は街までが崩壊して恐しい速さで無數の直線や矢になつて流れはじめました。さうしてこのテムポは一瞬毎に急調となり、仕掛花火や色電氣の仕業も及ばない位です。私の知人や友人など、記憾にある総ての人間の顔が黄ろい粒の羅列となり、ついには一条の細い火花となつて消し飛んでゆきます。太陽も、月も星も、停車場も、アンテナも、汽船も、活動写眞館も、街角の花売少女も、バツトの空箱も、ありと凡ゆる私の一切が、ありと凡ゆる世界の一切が、この强烈な未来派の色彩と音響を形成しながら流れてゆくのです。まさに名優が感激の極みに舞臺で卒倒せんとするとき、その一瞬に見る數千の觀客のIMAGEよりも、遥かに複雜な名状しがたいこの彩色光波の洪水が流れてゆくのを、驚きに意識を失つた私は、その閉ざした眼の紫いろの泳いでゐる網膜の上にいつまでも見續けたのです。.........
頭からすつぽりとシルクハツトをかぶせられたやうなほの暗がりの意識のなかに、どこかでぽつかりと白百合がひらくやうな氣配をかんじて、ひよつと私が氣がついたとき、私は高い、タカイ、TAKAIコンクリイトの城壁みたいなものの上で體をL字形にしながらBONYARIしてゐたのでした。

 

 

 

『薔薇魔術學説』1号 昭和2年(1927年)11月 (今回のテクストは西澤書店による1977年6月復刻版)

 

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