・何時の間にか私を笑はせてゐる爽やかな風、春はうつり氣な花粉をまき散らす
・左様なら、と賑やかに少女達、周章てゝ逃げられた魂を逐ひまわす私
・櫻草のひそやかな喜びが小さな客間のカーテンにやさしい息づきをおくる
・狹い部屋をとほつてゆく風、遠い野にタンポゝのわた毛がとぶ
・今日も亦一つ新しい歌を覺えて、こみ上げて來る喜びを靑空に向つて幾度も幾度もなげかける、晴 !
・何處からか來る花の匂ひをふんで、郊外の夕暮れを悲しまない哀愁とともにゆく私
・窓硝子に微笑ましい彼の人の童心、初夏の草花に盛り上る童心
・女は獨りゐを否定したい氣持でレコードの音譜をよんでゐる
・激流におし流される、月の白さはあまりにひそやか過ぎる
・幼い感傷と共に女はいつまでも虹のやうに消えたいと思ふ
・盛り上り盛り上る赤赤橙黄、新鮮な果物がこんなにも私の食慾をそゝるのです
・掘り下げろ掘り下げろ、素晴らしい寳物は遠い國のものぢあない
・まだ乾かない髪の濕りを風に吹かせて、遠い人の便りをよんでゐる
・そぎとつた月が愛情を失つた色で女に吐息させる五月の眞晝
・さり氣なく口笛を吹く、泪の目は歪んだ月に何のぬくもりさへ感じない私
・肉體を離れた魂が低い雨空に微光をつくり、一瞬時の信仰を生きようとする
・生活意識を失つた人間らの鈍い目の色、雨が自分の弱きを知り盡したやうな降り方をしてゐる
・諧調を失つた哀音を響かせて靜かに降りつゞけてゐる雨だ
・雨の窓を透してほそぼそと流れ入る一筋の光線の中でうたふ頌歌はふさはしい
・魂を脅かす雨、生命を顫はす雨、しかし其處に云ひしれぬ賑かさ
・この陷穽をどうして避けよう、雨空と私の親睦 ! 今日も亦疑惑と焦燥にくれようとするのか
・金色の雲にめざましい夕映え、葉鷄頭の赤、涼風だけが水色
・高々と伸びたダリヤの重さうな花、今日も亦涼しい私の部屋から氣づかひもなく眺める
・今朝咲いた薔薇の花がもう散つてゐる、蜩の聲にふと觸れたい私がある
・一枚の雲母の向ふに鳥のゆるい羽音、明日のユルい溫度がある
・土曜日のテニスコート、おぢさんと中學生の汗をはじくラケツトの音
・あかるい日傘のまぶしさにかくれた女の帶の秋草のしめり
・水にうつゝた小さな花だ──波を潜つて盗んだエクボ
・花粉をすつたネクタイに叙情詩は鍵を忘れた女の似顔をうつす
・降つて來る匂ひの陰影だ──陰影にゐる私の音だ
・眼を閉ぢれば窓々に洋燈が一ぱい、ヒラヒラと蛾が飛んでゐる
・レンズに冷たいネクタイの色、一條に流れる風でありたい
・ツイとゆく白い氣流に乗つて秋をわらつたアモアの花瓣だ
・靑空を走つた笛だ、遠くにチラリと掌に殘つた秋だ
・素速く摑んだボールだが──音は向の掌で、カン透明な晴だつた
・扉をたゝいて逃げた足音──オモチヤの喇叭をふきならす
・秋は翅に乗つて、女の尖つた綠色の呼吸にゐる
・空に鳴る音、音に霽れた兒供等の顔顔がある
・道を歩いても、秋は、空には、あの人の白い顔だけが殘る
・秋だ ! 音だ ! コスモスが一杯、透明にグングンのびたい私だ
・健康やかなまぶしさにゐる私、ボールになりたい──白い呼吸
・秋陽にきゝいる鏡心、歌はない風景がある
・光に光が咲いてゐる、響いてゐる、裂いてゐる、濡れてゐる、私だ !
・暗夜の丘陵にホタリと墜ちた私であつた、妖花の呼吸づきにゐる
・女は銀のスプーンにヒラリとわらつた、莨の吸ひ殻をふみにじる
・男と女と ! 男と女と ! コーヒーのホロ苦い霧の夜
・歪めた唇に壊れた蓄音機は狂想曲の冷たい秋だ
・摑めない──矢張り霧に捲かれたパイプの臭ひだ
・空氣を染めてかへつた聲だ、秋は吸ひ取り紙に殘つた彼女
・あなたから、私から、默つて脱けて行つた溫度のない溫度
・銃口をソツとはづして原色のポーズで染めやうとする母
・鏡に並んだ奇蹟が、やがて悶絕する女の倒影に遊んでゐる
合同歌集『朝の機翼』
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