鮠  乾直恵  (詩ランダム)

 


 鮠 

          乾直惠

 透明體の秋氣には何一つ沈殿してゐなかつた。私は収穫後の葡萄畑に枯枝を剪んだ。木鋏の音が空に滲透した。枝の隆起した癌腫狀のところを折るごとに、白蠟性の幼蟲が蠕動してゐた。
 夕暮が私に促した。
 私は蟲を鈎に刺し、絲を裏の小川に垂れた。指先に殘る淡い觸感。冷たい記憶よ ! 蟲は水中を水銀氣泡のやうに光つて消えた。私は緩やかな流れに沿つて浮子(うき)を追ひ、川緣の雜草を飛び越え、飛び越え歩いて行つた。
 四邊に夜が羽搏いた。家畜らは從順な眼を閉ぢた。そして、家家の洋燈の下では、幸福が、鶫の胸毛のやうに顫へてゐるかに思はれた。

 


※「鮠」=はや。日本産のコイ科淡水魚のうち中型で細長い体型のものの総称。

『肋骨と蝶』(椎の木社 1932)より

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