菊  乾直恵  (詩ランダム)

 

          乾直惠

 彼女が久しく寢てゐた部屋を閉め切つた。僅かに障子に穴を開け、そこから導管を差し込んだ。私は消毒器に火を點じてから戸外に出た。
 私は沼の邊を歩き出した。野霧が籠めてゐた。月──月の中の蒼白い彼女の顔。彼女は絕えず痙攣する口腔から、ぺつぺつ血を吐きかける。夜更が卷煙草を濕らした。
 遠くで鶉が鳴いてゐた。


 翌朝。私は部屋の目張をすつかり剝がした。さつと開け放した障子。闖入する秋冷。私は强烈なフオルマリンの臭氣の中に立つてゐた。刺戟の針の襲撃。充血した私の眼鼻がひりひり痛む。逝つた彼女の駄々が私を擲つのだ。私はもう一度、彼女を口の中で呼んでみた。
 すると、小川のせせらぎと菊の香が、涕泣する愛撫のやうに流れて來た。

 

 

 


『肋骨と蝶』(椎の木社 1932)より

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