村
乾直惠
村の端れの傾斜した、公衆自働電話。破れた硝子戸に、千切れた夕雲が流れてゐる。水車番の腰のやうな把手が嗄れたその聲のやうな呼鈴の音が、遠い岬の松籟をひびかせる。
悪いことをした覺えはない。
だのに、私は送話器の雲母の
谿間から、この世で一ばん悪
いことを囁いた。神様 それ
をお咎めなされませ! たつ
た孤りが一ばん純しい。たつ
た獨りが一ばん潔い。私はそ
れを知らなかつた。
村の辻の剝げ落ちた、赤塗の公衆自働電話室。私はいつたい、誰を呼んでゐたのでせう ? 壊れたその硝子戸に、丘の雛菊たちが搖れてゐる。
※ 原詩では、「純しい」は「純(ただ)しい」と振り仮名がされているのですが、レイアウトが崩れるので、上の詩では省きました。
『肋骨と蝶』(椎の木社 1932)より
乾直恵 朝は白い掌を
乾直恵 Echo's Post-mark
乾直恵 神の白鳥
乾直恵 菊
乾直恵 極光
乾直恵 睡れる幸福
乾直恵 鮠
乾直恵 光の氷花