廃墟  石野重道   (稲垣足穂の周辺)

足穂「黄漠奇譚」の元になった作品。

足穂がその構想を話したら石野がこの作品を作り、それをベースにして「黄漠奇譚」が書かれたと云われている。

 (『彩色ある夢』1983年版より)

 

 

 

 

はてしなき砂漠である。 太陽があかく砂から昇つてさうして砂のなかへあかく沈む。── 風が砂を小山にしてはまたその小山を平にして過ぎ去つた。 死の寂寞がそこにたゞひとり住まつてゐた。


その砂漠のはてに、大理石の王城がある。 高い櫓に、青地に黄金の三日月を染めた旗が熱い風のうちに翻つてゐた。 バブルクンドの城と呼ぶ──。
自然が蓄へた総ての美と智識とを借り尽してつくつた王城である。 七つの大理石の門と、一つの金の門があつた。 金の門の扉を開くと、金と鸚鵡緑で作くられた王の居室であつた。
白金と金剛石の玉座が正面にあつて、金と鸚鵡緑の鏡のなかに玉座の影を、鐫めてゐる。 象牙の円柱が立ち竝んだ室である。その円柱には細かく彫刻が施こされて、龍涎香 蘆薈 丁字が薫る。──綾羅の衣を纏つた七人の妖美な侍女と、山野の珍味を夥しく食卓の上に置き陳べ、副卓には様々の美酒の罎の影は、白昼に異らぬ蠟燭のひかりに暗いのであつた。透明な紫水晶で作くられた砂時計のなかには、金剛石の砂がたへまもなく落ちて、蠟燭に煌めいた。
──かくて王は、酒を酌みつゝ夜を明した。 さうしてその美酒と珍味は、日毎異らぬものとてはなかつた。


宮園に、宝物を蓄へた庫がある。
庫のそれぞれの門を押し開くと、金剛石 碧玉 瑪瑙 紅の瑪瑙 黄玉 紫石英 紫玉 黄玉猫兒丸 白金 溢るゝばかりの金塊と銀塊、そのほか見も知らぬかずかずの宝石がある。 薔薇 白百合 白頭翁草が咲き敷かれて、薫り鼻を撲つ園生の中に、青い鳥 紅い鳥 白い鳥が、たへず歌ひつゞけて花から花へ移つてゆく。
名さへ知られぬ四季の果実の、枝に満ち満ちてゐる園に、籠もつ人もないのである。 しかも王城のなかには、あらゆる方面の学術を窮めた学者達が、──日夜新しい発見を為しつゞけるのであつた。


吹く風は、バブルクンドの結構を斯くこそと、つたへて行つた。 赤い帽子に青い服のキヤラバンの群が、駱駝の脊に砂漠を辿つて、四方から宏壯善美の憧れの王城へと、集まるのであつた。


或宵、王は青旗の翻つてゐる櫓に出でゝ、天上の星に勝つて輝やくバブルクンドの権勢と光輝を、心高らかに見まはしつゝ、軽く悦に入つてをると、ほのあかい西空に浮びいでた三日月が瞳に映つた。
さうして王の顔は颯 と変じた。
夜の蒼空の宝石を、総て固め尽したかの如く三日月は、超然として冷やかに、腹立たしくもバブルクンドを見下してゐる──。
短慮な王は、バブルクンドに勝つて輝いてゐる三日月を、怒りの形相すざまじく、焦立たしく凝めてをる。──
さて何らかを思ひ決めたかのやうに、学者達を召しよせた。 学者達は王の前に跪いて、さうしてたゞならぬ王の気色を読んで恐慌として、召し出されたことの由を訊ねた。
王は声音いと荒らかに三日月を指し示して、  
 かの三日月、かの三日月は、バブルクンドの光輝を落す為めに現れた悪魔の変姿である  御身達は、直ちにかの三日月と等しき形と光茫を放つものを創り、そを八方より眺め得るやう青旗に彫み入れ、いや増にバブルクンドの光輝を保たねばならぬ。
学者達は頭を持上げて西の空に見入つた──。
窈窕とした美女の眉にも似かよふ三日月、しかも金色に姿を見せて、──早や果なく遠き地平線に片割れのみを殘して消えかゝつてゆく──。あたかも世になき王のこの怒りから、静かに逃れんとするやうに──。
学者達は、王の平常を知つてはゐるものの霊のぬけ出ずるばかり美しい三日月の姿に、王の此の言葉は、地獄の業風とのみ聞きとられた。さうしてしばし黙してゐた学者達は、王の変つた顔色にやむを得ず、
 仰せ、かしこみ奉る
と、こたへて愴惶と退いた。


学者達は、空しきことゝは知つてはゐたが、若しや三日月に等しきものが創られないであらうかと、見えない糸の望みに王の厳命黙し得ず、頭を搾つた。
程経て、総ての研究が成り立つた時、彼等は王の焦望と、研究の結果を引き比べて太息を吐きつゞけた。如何に学者達の力の結晶でも、進歩せる科学の力とはいへ、天空の三日月に等しきものは決して創ることが出來なかつたから。
まして八方から眺め得る三日月を青旗に輝かすことは、更に空しき火の如き望みに過ぎなかつた。
学者達は、そのことの由を細かく王に告げねばならないのではあつたが、短心一徹な王に、そのやうな答へをするならば──と、心を病むのであつた。或は身の生存をさへも疑はれて、身を縮ませてことの運びの行先を憂へた。


西のはてに、蒼い空に、黄金の小舟が浮ぶ、王は、異様な目付きに凝めつくすのである。世に、求むることのなきまでの王は、──蒼空から三日月を抜き取ることは適はないことであらうか、さうして青い旗の中に入れることは、為し得ぬものなのであらうか、と、焦燥と激怒のあかく燃え立つとともに思ひつゞける──。
学者達は三日月に等しきものを創つたであらう、またその三日月は、八方に輝いて、蒼空の三日月は恥ぢてその姿をかくすであらう、と僅かに心を止めて、彼らの來ることを待つた。 期してゐることではあつたが、底知られぬ怖に、青白く戦慄く学者達は、召しに応じて王の前に頭を垂れた。
 やよ 御身達は、最早や三日月に等しきものを創つたであらう、──

と、学者達を見まはしつゝ、激く言葉を吐いた。
あはれな学者達は、ひたすらに頭を垂れて云ひよどむだ。
さうしてそれとなく互の横顔を見合せては、王に答ふることを、譲り合ふのであつた。
その有様を不思議に見守る王は  
 何故 かくも云ひ躊躇ふのであるか、御身達の学識は、吾も疾くより信じて疑はぬに、
──三日月は如何致したるか、して八方より眺め得る──。
と 云ひ寄つた。
──今は逃れられぬ所と諦めて、ひとりは、自ら、身を限りなき苦悩の淵深く入るゝ思ひに、死人の如く進みよつた。  

 王よ、日輪よりも輝く王よ、その名をたたへぬ草木とてもなき王よ、  
こひねがはくばあはれとおぼしめせ、
王の僕どもは、王の命によりて日となく夜となく三日月と等しき三日月を創ることについて考へ、焦り、頭脳もために失せんばかりに研究を爲しつゞけたのではありました。──  
しかも如何なる科学力を用ひるとても、バブルクンドの財宝を覆すとても、──  
それは、秘めたる深い嘆息を疾風に向かつて洩すに、異らないことでありました──。
王よ、わが王よ、  
ひとへにその烈しき御こころを戻し給ひ、浩大の御慈悲をもつて宥させ給へ、


さて、身もあらぬ思ひに王の面を伺つた。──
その面は見る見るうちに変つて行つた。短慮の王者は、絶望より生じた激しき心に、自己を忘れはてゝ憤怒の外は胸になく、直ちに部下に命じて学者達の命を断つてしまつた。さうして、このうえは三日月と等しきものは創れないのであると考へた王は、かの三日月をとりはずしてバブルクンドの青旗に彫み入れたひとの念が、沸きかへつてその念は刻々勢を加へるのみであつた。


一夜 バブルクンドの王は、麾下三千を率ゐ砂塵を蹴立てゝ、とりはづしてもちかへるために、三日月に向かつて突き進んだ。──西の山の上には、ぼんやりと黄金の筆に画かれたるが如くあつた。──
山の上には、軍馬に跨つた武者の影が黒い怒濤のやうに動いて、三日月の光りに影のなかは時として甲冑が強く煌いた。
さうして、黄金の櫛を差し向けたに同じく、数々の槍が三日月の真下にあつた。 王は、馬の脊に鐙を踏んで立ちのびつゝ片手に槍を高く 高く差し挙げて──、三日月をとりはずした──。
──満足に打ち慄へる両手に、近従の捧げてゐる、青い凾の中に三日月を納める。


王と三千の麾下は砂漠に入つた。踏み残しておいた馬足を、風がもち去つてしまつた。白く睛れた空と、はてしない砂原が目に映るのみである。幾日も 幾日も、王は砂のなかにさまよつた。
あてもない砂と、白い空の地平線の上に、遠く吹き送られる砂のあひま あひまに、僅かに蒼い空が見えた──。


 それは丈高き大理石の廃墟である。
時の流れに変りはてたバブルクンドの城址であつた。
半ば砂に埋れて、苔の生ふる大理石の円柱が物凄く竝び、古びた象牙の円柱に、細かにも美麗な彫刻が残つて──曾ての宏壮華美を物語つてゐる。
王は、その前に力なく跪いた、
さうして蒼い函を開くと、三日月の形に殘こつたキイロイ細かな砂が……その形を毀して、王の手に、バラ バラ と音もなくこぼれた

 

 

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