香炉の煙  稲垣足穂  (稲垣足穂の周辺) モダニズム

香炉の煙  

         稲垣足穂

 

 李白と七星


 或る晩、李白が北斗七星をかぞへると、一つ足りなかつた。それが自分の筆入のなかに入つてゐるやうな氣がしたので、その竹筒を何回もふつてみたが、星は出なかつた。どうもをかしいと思つて、もう一度かぞへてみると、こんどは七つにきつちり合つてゐた。それで、李白は、それたぶん、雁が自分と星の間をさえ切つたせいだらうと人に語つた。

 

 

東坡と春

 

 東坡が春の野を歩いてゐると、むかふに紅い花らしいものがあつた。何だらうとよく見るとそれは花であつた。しばらく行くと、こんどは靑い柳のやうなものが風にゆれてゐた。いぶかしみながら近づくと柳であつた。で、東坡は声をあげてうたつた。
「柳は綠、花は紅……」
 すると、霞がそれを聞いてハハハと笑つた。

 

 

 

黄帝と珠


 黄帝は一日赤水の北に遊び、崑崙の山に登つて南望して下りた。
 この時、黄帝は首にかけた大切な珠を落してしまつた。宮殿に歸つた黄帝は、部下の無象をよび出してその行方を探す事を命じた。無象はおほせかしこまつて、崑崙山におもむき、険しい谷間にころがつてゐた珠を見つけて、喜び勇んではせもどつた。
 大臣や將軍が星のやうに居流れたまへを、得意滿面にのぼつた無象は、珠を入れた箱をかゝへて黄帝のまへに進んで、その蓋をあけた。珠のかはりに大きな鳥がとび出して、羽音高く欄間くゞつて出て行つた。
 無象とその他の家來があつけに取られた時、黄帝は快よげにカラカラと笑つた。なぜなら、黄帝は人も知る哲学者だつたからである。

 

 

盗跖と月

 

盗跖が或る時月を盗みとらうといふ考へを起した。そして夜になつた時、三千の部下をつれて崑崙山の方へ出かけて行つた。
 ところが、明方になつて、彼は大へん打ち沈んで歸つて來た。そのわけは、流石の盗跖もこの寶物を盗むためには、暗い夜を選ぶ必要があつた。しかしその闇のために、肝心の月が見つからなかつたと云ふのである。あの孔子を走らし諸侯をふるはした盗跖の只一つの失敗とは即ちこれである。

 

 

老子と花瓣


 夜中に眼をさました老子は、ふと夕ぐれに城趾をとほつた時、金色の花瓣が落ちてゐたのを思ひ出した。
 老子は起きて城趾へ出かけた。しかしそこには何もなく、只、見たばかりの黄いろい月にてらされた欄干の影が長くのびてゐるだけであつた。たしかこのへんにあつたのだが……と老子は、もう一ぺんガランとした石甃の上をさがしてみた。が、やはり見つからない。老子はなぜあの時ひろはなかつたのだらうと思つた。しかしその時自分が何か考へ事をしてゐたことに氣がついたので、それは一たいどんな事だつたらうと頭をひねつてみたが、どうしてもわからなかつた。おしまひに老子は、金色の花瓣が落ちてゐたのさへどうだかわからなくなつて、石段を下りて來た。

 

 

莊子が壺を見失つた話


莊子が路ばたにころがつてゐる青い壺を見た。それがどこかで見おぼえがあるので立ち止つた。ハテ、これは昔夢のなかで見たのか、それとも、ほんとうの店先にあつたのだらうか……しきりに思ひ出さうとしてゐた時、壺のなかから白い蝶が一つヒラヒラと飛び出して行つた。しばらく立つて莊子がそれに氣付いた時、蝶は勿論、壺もどこへ行つたのか見えなかつた。

 

 

 

稲垣足穂の詩『香炉の煙』より中国風のものを選んでみました。

 

 

稲垣足穂の周辺 目次

 

 

美木行雄 Ⅱ (モダニズム短歌)

  

・斷髪が
 日にぱつと搖れ、
 びるでんぐの角を
  踵で廻る
 洋裝の女。

 

・街はづれの
  暗い坂の上で、
 へつどらいと
 ぢーつと廻り、
 ─女(ひと)を乘してゐる。

 

・ぱつと、
 燭光をうけてあげる
 横顔の、
 鼻筋はきんととほり、
 輝く眼のいろ。(Miss Junea)

 

・しようういんどの
 友禪模様の
 明るさ。
 しばらくは、立つて、
 感覺を洗つてゐた。

 

・眼をつむれば、
 搖れる きんぽうげの花。
 幻覺の
 湧くがままに、
 自己を 放任(まか)してゐた。

 

・眼をつむれば、
 きんぽうげ、
 たんぽぽの花、明るく
 日にほほけてゐる
  幻想である。

 

・足、足、足
 赤いふえるとの足 二つ靜止(とま)り、
 古帽子の中へ、
 錢が落ちる。

 

・風、風、風の音、
  雀ちちと鳴き、
 冬の日向の
  かあてんを横ぎる。

 

・一際高く、
 冬空を劃る びるでいんぐの、
 窓に
 うすらな
 日がさしてゐる。

 

・吹き晴れの 寒空をかぎる
 びるでんぐの、
 窓の一つ
 赤く、
 かーてんを ひいてゐる。

 

・ほーる前の、
 ぷらたぬすの影に 身をひそめ、
 すとりーとがある
  人を探してる。

 

・とろりと
 光を湛へた 落日が、
 踏切のぽーるに、押へられてゐる。

 

・ほつり、
 ほつり、
 朝の高架線路に
 人が現はれ、
 靑天の下を一列(れつ)にゆく。

 

・單なるしう恥であらうか。
 裸婦像の
 大膽なぽーずの
  前をはなれる。
 ※長谷川昇氏作「裸婦」をみる

 

・動く街へ!
 近代裝飾の
 明るい街へ、
 爽かな全身感覺を放射してゐる。

 

・汚れたものとは思ふまい。
 ──そくそくと、
  彼女の妖艶な
 肢體が、
 迫つてくる。

 

・白堊館の屋上にかへる鳩ら 窓一ぱいの海 畑の菜つ葉に農夫が人肥(こえ)をかけてゐる

 

・時計臺の白い雲 白い柩を石でうつ。うなだれてゐるから 骨透くほどさみしうなる

 

・一日船のとほらぬ窓の海 それから灯がともり 少女が机で讀書してゐる

 

・白い柩に釘をうつ 白い顔でなければ黑い顔が障子に映つてゐる

 

・ほてるの窓をすぎる鷗ら すたいる・ぶつくを繰(く)つてゐるムスメと母 雲と麻雀牌

 

・どあをのつくする 麻雀牌とぱいぷ 外人の横顔とぴすとる 港外をすぎてゆくよつとがある

 

・燈臺を掠める きれぎれの霧 馬車が消える 海底のマンモス象の骨片(こつぺん)を魚らがこえる

 

・水平線にきえてゆくますとをみうしなふ 眼鏡をよぎる雲は 眼鏡をくもらす 鷗らの群

 

・母の背に 枯葉のおと、骨きざむ時計のおと、すぎてゆく風に怖れよ

 

・いつまでも坐つてゐる影、木の葉がちる、蟲がきて死ぬ 土のひえ

 

 ・結婚式にはモーニング 實(じつ)に氣どつて歌(うた)も詠(うた)へば なかなか私も役者である

 

・時としてなかなか私は喜劇役者。親から小遣(こづかひ)せしめたとき 莞爾(くわんじ)と笑(わら)うて戸外(そと)に出る

 

・氣取屋(きどりや)のなかなか私は千兩役者 街に出ては乞食(こじき)の唄に仔細(しさい)ありげな容子(ようす)ぶり

 

・なかなか私は隅(すみ)におけない千兩役者 人がゐるから 死人の床(とこ)に泪(なみだ)をおとす

 

・心なく母を欺(あざむ)くは この子。今日とても 金は大いに儲かると告げた

 

・小遣錢(こづかひ)は充分あり 今更結婚は望(のぞ)まぬ等(など)と母への嘘だつた

 

・あざむいて歸すとは 母よ思ふな。これが世の わが眞實なら──

 

・腦病院へ友を拉(と)られて その子らとみる庭の 草木(くさぎ)も 泪(なみだ)ながる

 

 ・ああ血統(けつとう)の黝(くろ)い壁(かべ) 十方(じつぽう)かくれなし 目をやる方(かた)もなし

 

・肉親(にくしん)の黝(くろ)い壁に 消えた 形もない あのうしろ姿(すがた)

 

・人の世(よ)の泪涸(なみだか)れ果(は)て 笑顔(ゑがほ)も變(かは)つた ぞんと窶(やつ)れたこの人妻

 

・人も新聞も來なくなり それでも人の子人の妻なら 待つてゐた

 

・血統の血の消えるまで いつまで待てど 暗(くら)いこの屋根(やね)の下 

 

・珍らしく裁縫などしてゐると 父が死んだとの電報がきた

 

・街では萬歳々々と兵を送つてゐた。袱紗(ふくさ)を抱(かか)へ 譯(わけ)もなく泪ぐむで走る

 

・嗚呼 黝(くろ)い血統の家(いへ)の壁 梅暦(うめごよみ)やうの繪の消えのこる

 

・落魄(らくはく)のロシア人波止場へ船を見にいつた。灰色の空に鳶が舞うてゐる

 

・パラグワイへ百七名の移民船(いみんせん)は 恰もさんざん雨にぬれ 踏み躙(にぢ)られた波止場のテープ

 

・黑い雨だ。パラグワイへ移民を送る 波止場の 傘の 侘(わび)しい賑やかさ

 

 

※「結婚式にはモーニング」以下、美木清一名義。

 

『現代短歌全集』(改造社)、『日本歌人協会年刊歌集 昭和10年』、『新短歌年刊歌集 1938年』より

 

美木行雄 Ⅰ

 

モダニズム短歌 目次

 

 

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マダム・ブランシュ 冨士原清一  (稲垣足穂の周辺) モダニズム

 

マダム・ブランシュ

         冨士原清一

 

        1

いまに月があの尖塔の突先に、靑いアルミニウムの旗をあげさうなので、街中のいつさいの色彩は忽ちいち絛の白色瓦斯體となり、慌てて街燈のなかにかくれてしまひました。

 ために花屋の花たちと化粧室の婦人らは衣裳をつけてゐません。さうして街は靑チエスに耽りはじめました。靑蠟色に塗られた高層建築の群れからは、いち様にあはただしく窓が落ち始め、1點2點・・・街にはキラキラと燈火が灯もされました。
 まあ靑い眼玉をぴかぴかさせてなんといふ失敗した靑年紳士のやうな橋の上のLampたちでせう。
 窓玻璃に燈火は仄あかく、シルクハツトのシルエツトある、華麗な、でもなんとなく西班牙の城壁の匂ひがある伯爵夫人(コムテス)の邸宅には、美々しいニツケル製りの自働車の群れは滑りより、集會しては白い蛾となり、そのタイヤアはあきらかに眞白い花を咲かせてゐます。
こん夜は花合戰が催されるさうです。
 ──まあ、素晴らしい私の夜!
 ──いゝえ、そんなことを云つてはいけません。あなたは失禮です。決してけつして、……ええ、むろんあたしたちの夜でございますわ。
 私は伯爵夫人(コムテス)の唇がこんな言葉の形に結ばれてゐることを想像するのに至極容易です。
 突然、ちつぽけな花火が……と、見るまに消えてしまつたその火は、とうとうあの素晴らしい大理石の階段で誰かがうつかりマツチをすつたのです。さうしてその靑い燐光のなかに化粧した女性の裸像を見たので、顔あからめていそぎゆくのです。
 噴水(ふきあげ)の水盤ではPan・Pan・夕靄の音。ポーポーとかなしい笛を吹いてさまよひくるのはかの汽船らです。これは黄昏れいたるまへの街。白いひかりの群れは高い時計臺を指して蝟集し、ケビンのやうな白色船體であるこのなかに、ひとり最も明瞭に鳴らないいつぽんの笛である私です。
 ──とまれ、私はまたいつものやうに、白い花嫁とともにテラスにあらはれるがいいのだ。
 だがこのアイデイアは私をかなしくします。でもかなしみだけにどうしてもかなしまなければならないのです。
 所詮ひらかなければならない扉である扉を、かなしい白色金屬の音とともに、動かうともしない手でひらくと、白い花嫁は榻床(ベツド)の上にやさしく閉ざされた扇のやうに、靜かに石膏の眠り眠つてゐます。
 いつもかくあるこの女性(ひと)を、勞はりいつくしみながらふたりして部屋からでると、またしても私に悲哀のマントは、かの僧正のガウンよりも遙かに重たいのでした。
 私は靜かにこの衣裳のやうな花嫁を抱きながら、華やかな靈魂の祭典に儚(はか)ない夢想を繋ぎつつ、つねのごとく軈て二人は靑塗りのテラスにあらはれ、この薄明のカメラのまへに立てば、ああ!マグネツシヤとともに花嫁は消えてしまひました。
 晝ま私の部屋のやさしい塑像であり、夕べとなればこのひとときの合圖に消えてゆく花嫁、──このいつ瞬のやるせない合圖を、私はいくたび嘆いたことでせう。
 呆然と、燃え盡した銀の燭臺の哀愁に、かなたメタフイジツクスの消えていつた活動寫眞館の空にみいれば、はやいつのまにかサフアイヤの空から街いち面にcharming twilightのフイルムは映寫(うつ)されてしまつてゐるのでした。街にはいくつもいくつもの靑い塔がだんだんふえてゆき、まだ私は鳴らないいつぽんの笛なんです。

 

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『薔薇魔術學説』2号 昭和2年(1927年)12月 (今回のテクストは西澤書店による1977年6月復刻版)

 

 冨士原清一 CAPRICCIO
冨士原清一 Salutation
冨士原清一 BAISER OU TUER

 

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白痴ある寶石  上田保  (稲垣足穂の周辺) モダニズム

 

白痴ある寶石

          上田保

 

女神の光を喞へた饗宴への嵐の光 海のパラソルをくだく憂鬱なる人魚 軟風を防禦する白痴のパラソル光る ひかる蜜臘の雲に接吻する優美なる雲母の幻想 海の宮殿に喞へた魔女の生命
宇宙の魔術の園をのぼる雲母の樂園 燃ゆる人魚を飾る女優のまなこ 砂礫の襟に向ふ白痴の襟飾 嵐におこる白痴の夢
    白痴の夢
    惡魔の襟の女皇
    白痴の夢

 

 

 

 

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惡魔の影  山田一彦  (稲垣足穂の周辺) モダニズム

 

惡魔 の影

           山田一

 

       OU ESPACE SANS HYPOTHÈSE

 空を絞めて絨毯の血を毟る人類の憂鬱を見上げる
 剃刀を嵌めた寢臺
 彼女はもつと象眼の蓋の裏を撫でた
 習慣の環を懸けた腿の外をひとつの雨の帆が馳せめぐる 他の雨の帆たちは明確に足をしめす 彼女は耳朶の麗らかな順環をほどいた
 私は猫の首をのせた鏡から凝視を避けやうとしての凝視を續ける 彼女は麥酒を挟む夢どもを舐めた
 ひとつの玲瓏なる卵のために永遠に失ひきれぬ玲瓏の卵 彼女はその雛鳥が噴水の蠟蠋を燃やさうとするのを辛らうじてとめた 彼女は占の函を與へた あるひは机を窓の絹へおし當てる 私はその寢臺の上へ卵を投げた 私は薔薇の絲のことに就いても忘れては居なかつた 水をとり圍む灰ども あるひはその幕の間をのぼる所のオブラアトの綱に夢の頸をくるむ
 彼女の華麗なる勞働は腦膸を狭まくする黑い太陽の棘をさへみせない 私は鉛の翼を持つ馬の齒を洗ふために金字塔に攀る まだ鍵穴の艶やかなる髭に化粧を
ほどこしては居なかつた 長靴の産毛どもは灰を吸うてあるひは溜息する 淡淡たる迷信の環が城壁の周圍を間斷なくゆれつづける

 

 ※「蠋」→「燭」か。

 『薔薇魔術學説』第2巻第2号(昭和3年2月)

 

 

山田一彦 海たち
山田一彦 寛大の喜劇
山田一彦 CINEMATOGRAPHE BLEU
山田一彦 二重の白痴 ou Double Buste
山田一彦 花占ひ
山田一彦 Poesie d'OBJET d'OBJET
山田一彦 PHONO DE CIRQUE
山田一彦 無限の弓
山田一彦 桃色の湖の紙幣
山田一彦 Mon cinematographe bleu

 

 

 

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海たち  山田一彦  (稲垣足穂の周辺) モダニズム

 

海たち         

          山田一

 

綠色の詩集と表紙

花たちが ふることができないために 夜は明けることができました
呼吸の反射することのできる額の こまかいヨコ線の多い液體性の帽子
雨のふるのに波のたてることのできない旗は鉛筆にひとしいものでした
劍を吊つた馬と
第5次水泳の行ふことのできる貴婦人たちの美麗
細まかい線のタテにあることのできる洋髪の色
木綿幕にうつる女性の涙の眼鏡へ入ることのできるところ
ガラス性の紳士の病氣治療法
保護色をもつ女性の變色方法
眼球にかげのあることなど 

 

──藝術は滅亡によつてすくはれました

  ボタンのない兵隊の帽子と

  海以外のところに

 

眞空管中にすみ得る魚
眞空管中にすみ得ざる鳥
眞空管ないに音樂し得る液體たち
眞空管ないにおこる影
眞空管ないにおこる波
水中にしかおこり得ざる波
いろいろの波たちがたわむれる波

色たちにとりかこまれたいろ
綠色にうつる綠色のかげ
綠色を透してみた綠色の色
綠色をかさねてみた綠色たち

線を重ねて綠色を作り得る動作

 

全てから海以外のすべてをのぞく時空と海が
のこる
吊り揚げられるDictionaire
發光する波
發光する動物
發光する植物
つやのない白粉
光のない海の夢
移動をゆれる形而上學と
移動をゆれぬ形而下學と
すべりの惡るい波
水と氣體のあり得る波
とざされた化粧室の扉と
愛人の瞳にとざされながらいつの間にか海中を
もぐる私
愛人の瞳をとざしながらいつの間にか空中を
あるく私

     

時間を放射し得る純粹なる主觀
空間を引力し得る純粹なる客觀

記號によつて動かされ得るCirconstance
効果に反比例し得ざる形式

液體の綠色たち
氣體の桃色たち

毛髪の空間を運動する魚たち
貴婦人たちのセピヤ色麥酒瓶内における運動たち

 

第8化粧室における完全な服を身にまとへる Une Femmeが眞裸體の7人のオンナの長い髪たちの運動をみつめながら、手紙を書いては温度計の硝子をみて居たのです、その女は桃色を愛する女でしかないのですが、藥瓶性のセピヤ色の眼鏡に涙をうつした時だけは、完全なる女になりきれないこいことを困つたのです、女の腰の動作をみつめながら考へた、思想が思想であつたか思想でなかつたか思ひなやむ時間に帽子が感情しました、自動車は海へと同じ空間と時間を所有しながら 13 臺だけ並びました、Une Femme は夢の中で夢をみたと思つた夢をみて居て夢だと氣がついた瞬間に、不愉快でないことは愉快であり愉快でないものは不愉快であり、愉快でも不愉快でもないことと、愉快でもあり不愉快でもあることをどう考へたらいいかとその軌道を探し初めました、が數の有限性を無限性にまで肯定しながらも數の鋭角性におどろきました、電氣のついてる地下浴場では數の平凡さ加減には鉛筆をしやぶつて煙突のリボンをみて居る、赤ちやん を持つたことのない不妊性の女です、女はたまらなくなつてきたので綠色の警戒色を着ながら薔薇の花のために接吻させられたことをうれしく思ひました、が原始性を愛して毛絲の帽子をあみはじめました、女は苦しいと思ひ込みたい位苦しみをうらやむ程苦しんで居ました、Une Femme は月經すべきだつたのですが男性の男のそれをみて定期的に大量のそれをみることができなくなつたのです、野蠻人の比較生理學の革命は第8化粧室にピラミツドを建築してしまひました。

 

 ※「眞空管中にすみ得る魚」から「線を重ねて綠色を作り得る動作」までの連と「全てから海以外のすべてを」から「空中をあるく私」までの連は同一頁の上下。

 

『薔薇魔術學説』第1巻第2号(昭和2年11月)

 

 


山田一彦 惡魔の影
山田一彦 寛大の喜劇
山田一彦 CINEMATOGRAPHE BLEU
山田一彦 二重の白痴 ou Double Buste
山田一彦 花占ひ
山田一彦 Poesie d'OBJET d'OBJET
山田一彦 PHONO DE CIRQUE
山田一彦 無限の弓
山田一彦 桃色の湖の紙幣
山田一彦 Mon cinematographe bleu

 

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CAPRICCIO 冨士原清一 (稲垣足穂の周辺) モダニズム

CAPRICCIO

              冨士原清一

 

Night, such a night, such an affair happens.

 

パレットにねりだされた多彩な繪具族のかなしみと、明暗の花咲く女性(かのひと)の寢室に燈つてゐた小さいLampのさびしさを、外套の釦である紫色のビイドロに覺えながら、私は細い頰を高くたてた襟につつんで、この綠り色の星まばらな夜を歩き續けてゐました。
歡樂は美裝せる一人の士官である。彼の眞紅のサアベルは、つねにそれの數萬倍である憂鬱の雜兵を指揮してゐる。
私はこんなことを考へながら、この街でいち番高い處にある壮麗な大理石(マーブル)の架橋(はし)にさしかかりました。いつも愛してゐるこの陸橋からの眺めとは言へ、まあ!なんて滅法に奇麗な今夜なのでせう。街は黄ろい燈火の海をひろげ、そのあひだに赤・靑・綠などのイルミネエシヨンがちらほらし、まるでカアペツトの上に寶石を薔薇撒いたやうな夜景です。さうして靑いレールの群れがこのなかにサアベルのやうに煌いてゐて、いまにもあの透明體のキラキラしたシンデレラの馬車がこの街からあらはれてきて、古典的なミニユエツトを踊つてゐる星たちのあひだを縫つてゆきさうです。その美しさつたら思はずも唇からモオメントミユウジカルのひとふしがとびでたほどでした。
 このときです、ふと私は古ぼけたイタリア製の帽子の緣から、靑いヒカリが私の全身を捕へたのを氣付いたので思はず立ち止まつて見上げると、頭上にアアク燈が天空に向つて蒼い信號喇叭を吹いてゐました。……で、このボーボーといふ音をぢつと聞いてゐると、いつのまにかあのスクリインを想ひだし、今までこんなにも靑い夜を見たことがないやうに思はれてきました。それでこゝろ秘かにこんな靑いものに耐へられない自分の神經に怯へてゐると、頭のなかになにか漠然とした靑冩眞かフイルムのごときものが次第に大きく不明瞭に現はれてきてなぜか私はコロロホルムにでも作用されたやうにぐつたりと冷たい架橋(はし)によりかゝつてしまひました。……
 折柄ふいに終列車の轟きを聞き、靑いスパアクがパツと飛び散つたので、思はずもはつと架橋(はし)の下をのぞいてみると、ああ!なんといふことでせう!レールの群れが太刀魚のやうにこの架橋(はし)の下を流れはじめたのです。ついでシグナルの燈が流れだし、エメラルドグリイン・アムバア・スカアレツトなどの光りがピカピカと飛び散りはじめたかと思ふと、虹のやうな奇麗なテープや模様がメリイゴウランドの酔ひごこち夢みごこちに走つてゆきます。がついにはこん度は街までが崩壊して恐しい速さで無數の直線や矢になつて流れはじめました。さうしてこのテムポは一瞬毎に急調となり、仕掛花火や色電氣の仕業も及ばない位です。私の知人や友人など、記憾にある総ての人間の顔が黄ろい粒の羅列となり、ついには一条の細い火花となつて消し飛んでゆきます。太陽も、月も星も、停車場も、アンテナも、汽船も、活動写眞館も、街角の花売少女も、バツトの空箱も、ありと凡ゆる私の一切が、ありと凡ゆる世界の一切が、この强烈な未来派の色彩と音響を形成しながら流れてゆくのです。まさに名優が感激の極みに舞臺で卒倒せんとするとき、その一瞬に見る數千の觀客のIMAGEよりも、遥かに複雜な名状しがたいこの彩色光波の洪水が流れてゆくのを、驚きに意識を失つた私は、その閉ざした眼の紫いろの泳いでゐる網膜の上にいつまでも見續けたのです。.........
頭からすつぽりとシルクハツトをかぶせられたやうなほの暗がりの意識のなかに、どこかでぽつかりと白百合がひらくやうな氣配をかんじて、ひよつと私が氣がついたとき、私は高い、タカイ、TAKAIコンクリイトの城壁みたいなものの上で體をL字形にしながらBONYARIしてゐたのでした。

 

 

 

『薔薇魔術學説』1号 昭和2年(1927年)11月 (今回のテクストは西澤書店による1977年6月復刻版)

 

冨士原清一 Salutation
冨士原清一 BAISER OU TUER
冨士原清一 マダム・ブランシュ

 

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