Echo's Post-mark 乾直恵  (詩ランダム)

 

Echo's Post-mark

           乾直惠

銀鼠色の手袋が、ぼくに强ひる。
──もつとランプの芯をお攪き立て ! と。


光にみちたその芝園で、
ぼくは幾枚もレタア・ペイパアを書きほぐす。


あなたはぼくの脚もとから、
ほろほろ崩(こぼ)れる、砂丘のやうに。


そして、花が咲いても、
櫻の樹の下のポストの唇(くち)は冷たいだけだ !

 

 

 

『花卉』(椎の木社 1935)より

 

 

乾直恵 朝は白い掌を
乾直恵 神の白鳥
乾直恵 菊
乾直恵 極光
乾直恵 睡れる幸福
乾直恵 鮠
乾直恵 光の氷花
乾直恵 村

 

 

 

詩ランダム

長靴  竹村英郎  (稲垣足穂の周辺)

 

足穂の周辺の周辺。

 

長靴       

           竹村英郎


十一月の風は軒並みの旗をゆすつてゐる。
薄雲を透す鈍い光をうけて人々は本棚のやうに默つてゐる。
わたしは聖ヂエームズ街のと或家の石段の下に立ち
ひと度は首すぢをうつ蔦におびえ
煙突の影よりも長いウエリントン公の柩を迎へてゐた。
わたしの傍の小さい女の子が
一匹の白馬の長靴ばかり乗せて守られて行くのを
じつと見つめてゐたが、急にその母の顔を仰いで、
"Mamma,when we die,shall we also be turned into boots?"つてきいたではないか。
わたしはその一瞬、
忘れてゐた遙か東の故國のことを思ひ出したばつかりに、
その子がどんな答に納得したのやらついぞ知らずにしまつたが、
もしもあの時
"Uncle,when we die,shall we also be turned into boots?"つてきかれたら!
今日はまた二月も末の晝下りを、
明るい神戸の下宿の窓に枯れ無花果の風をきき、
千八百五十二年十一月十八日の追憶にふけつてゐる。

 

 

『竹村英郎詩集』(ポエチカ社 1936)

 

竹村英郎 金魚

 

 稲垣足穂の周 辺 目次

思出  山中富美子  (詩ランダム)

 

思出                             

          山中富美子

綠のニグロが石段を下りる時、オリーヴは
空の色に茂つてゐる、そこに伊太利の日光がさす。
一片の明るい雲、時々、天使が浴みする
熱帯地の雨はこはれた石柱にかゝつた。


海で死んで砂をくゞつてきた天然樹の足、若い蛇よ。
月の海岸には泡が佇立している。
秀れた姿勢で、砂漠の空に。
それは匂った。
眠る橄攬の呼吸の波のほとり、優しい遠方に──。


新鮮な思出が、
それだけがあつた。
海のバルコニーの外の樹をながめる時──。

 

 

 

『詩抄』(椎の木社 1933) 『文學』(厚生閣書店 1932-12)

 

 

 

山中富美子 海岸線

山中富美子 姿勢する

山中富美子 睡眠

山中富美子 聖夜

山中富美子 園の中

山中富美子 沈默

山中富美子 夏の一頁

山中富美子 夜のイニシヤル

山中富美子 夜の花

 


詩ランダム

夜の花  山中富美子  (詩ランダム)

 

夜の花

         山中富美子

左右の端麗な決定と悲哀とにかかはらず、
かたはらまでおとづれた夜半は最早豫言を
生命としない       おおこの室内、
すでに意味の無い輝き、沈んだガラスの神話、
或ひは冷酷な無言が、死の床に時計の夢を、
又はかたはな物語を傳へた。
深夜のすぐれた思想、まざまざしい姿態、
紫の大理石、無垢の告白、それらは妖氣と神託を守つてつきることを知らない。
はなやかに重く、かちえた眞實をひらめかす花達に永遠の潔白を名のらせよ。
蠟燭と兩手で不思議な信仰をさぐりあてる魂も微笑と香氣をともなつて洗禮の闇の寢床
にやはらかな黑眼をもつであらう。
だが怖るべき靑銅の夢の眼に見えぬ仕業は、
昔の平和と不幸な天禀とを手にしたことであつた。
愛情を强ひられる花達の純白な氣溫と、荒々しい不滅のささやきに、おかしがたい希望、
絕えざる豫感と太陽の冷艶さを夢みながら、
地上に又とない夜の、稀な神秘の枕元で。

 

 

『詩抄』(椎の木社 1933)

 


山中富美子 思出

山中富美子 海岸線

山中富美子 姿勢する

山中富美子 睡眠

山中富美子 聖夜

山中富美子 園の中

山中富美子 沈默

山中富美子 夏の一頁

山中富美子 夜のイニシヤル



詩ランダム

海岸線  山中富美子  (詩ランダム)

 

海岸線

                                 山中富美子

雲のプロフイルは花かげにかくれた。
手布が落ちた。
誰が空の扉をあけたのか。

路をまがつて行くと石階のあるアトリヱだ。いつもの方角へかたむいて、扉までとゞいた日影が、のびて行く所は昻奮する氣候を吐きだす白い海岸だ。
そこはすつかり空つぽだ。そこで海はおとなしい耳を空へ向けてゐる。
空想の白い虹が消えかゝつてゆく太平洋岸で自動車は夢みた。
靑い影につゝまれて海からくる路のかはいた脈搏がわづかにとだえてゐる地球の肌をマグネシユームがこがす間、焦々する椅子の姿勢をまねて、白い胸を空らにしてゐる沈默、このやうに肉體も化石してしまふのだつた。
そこでは思ひ出すことも戀することも出來なかつた。
ひとり透明な雲が白鳥のやうにゆれ、輕氣球の靑い頸をつゝむ貝殻が生長してゐる。一分ごとの呼吸に燒かれながら。


白鳥の羽毛より輕く、自分の海の方へわづかに出た石像のまだ若くてゐる影が羽ばたく。海洋はすべての方向に自由であつた。
空氣の瞳孔のなかをゆきゝして。


しかし軟風は北方を吹く。菫色の幻想的な自由と逃亡のうちの一つの晝、白い胸の日光がために海岸を白く繃帶したのだ。


日光について空色の花は一つの記念にすぎなかつた。
生きた翼を伏せて空の白い雲より白かつた。
憧れのためにいきくるしい路がとびとびにかける布を、
ひろげる平和な時候だ。
あの路を、あの時、自動車が自由にはしつたのだつた。
赤い唄聲よ、ひらかれたアルバムよ、
同じ眠りを今も眠つてゐるか、海風が明るい縞目をつくつた日傘の向ふに、その自由な姿勢を出すことを好むか、南方の石の道に搖れた雲を思ひ出すか。

薄紫色にたゞれた砂上、熱い餘白をのこした地球の白い肌に、一時的にインクがにじみ出す時….。

 

 

『文學』(厚生閣書店 1932-12)

 

山中富美子 思出

山中富美子 姿勢する

山中富美子 睡眠

山中富美子 聖夜

山中富美子 園の中

山中富美子 沈默

山中富美子 夏の一頁

山中富美子 夜のイニシヤル

山中富美子 夜の花

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朝のトレエニング 中村千尾  (詩ランダム)

 
朝のトレエニング

          中村千尾

ガラス窓に卵形の雲が浮んでゐる
それは白いお皿の上のパンよりも美しい
スプンの中でころがしてゐると
やがてクリイムの様に溶けてしまつた


おしやれなチユウリツプの鉢は
赤いマンキイハツトをかぶり
風に吹かれながら
コロラチユラで春の挨拶をする


四角いエンベロツプのドアを開け
クリヤアな友の手紙を讀む
ピンク色の切手の様に
私は小さな友情を愉快に思ふ

 

 

 

『現代女流詩人集』(山雅房 1940)より

 

中村千尾 ガラスの肖像

 


詩ランダム

睡れる幸福  乾直恵  (詩ランダム)

 

睡れる幸福

          乾直惠

黎明(あけがた)、あなたはきつと、機織音でぼくの夢を搖ぶる。
あなたの震はす指先に、露に濡れそぼつたスワン・リヴァ・デイジイが咲いてゐる。

筬(おさ)の中で、
幻の星條が消えたり燈つたりする。

ぼくは渺かに、織りかけの薄絹(うすもの)を見る。
淡彩のシヨールが極の方へ靡いてゐる。

あなたは何時の日か、黙つてぼくに指ざした。
──幸福はあすこに睡つてゐる。と……

 

 

『花卉』(椎の木社 1935)より

 

 

 

乾直恵 朝は白い掌を
乾直恵  Echo's Post-mark
乾直恵 神の白鳥
乾直恵 菊
乾直恵 極光
乾直恵 鮠
乾直恵 光の氷花
乾直恵 村


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