中野嘉一 Ⅰ  (モダニズム短歌)

 

・これが薔薇の花であるかといつて雀が一匹垣根を越ゑる

・電子(エレクトロン)ら 春の沿岸を泳いで 白い生物を探検する 眞空の世界は遙かに遠い

・毀れた街の斷面 水族館の硝子扉に石化したははこぐさ達

・好きな幾何學が曇つてゐる 天井の雲雀は靑ざめてゐる

・たんぽぽ色の子供が嗤へば ペーブメントの空気はみるみる稀薄になつた

・肋骨のあひだに大きな鴉が下りた 鴉はさみしい音樂を択ぶ

・肋骨のあひだに暴虐な少年がゐる ひどい近眼鏡を懸けて

・透明な無風の眞空の世界 悪漢の瞳はサフランの花瓣である

・瓣膜をあけると 白い石だたみが傾斜してゐる 遠方に明るい地點

・時計臺の下の細胞組織を ああ美妙な馬鈴薯の花瓣は潜航し始める

・太陽が翼のあかい小鳥らをぶつつけてゐる野つぱらの明るい扁平足

・自記溫度計の内部(なか)を占める純粹理性は電子(エレクトロン)らの優しい獨りの娘

・部厚い手の甲のやうな鉄いろの海、海。一度に私の意識を擴大した

・白い家の屋根に花瓣(はな)を敷き蜜蜂らの墓を經營する少女と僕と

・貧しい午後の蜜蜂ら 可憐な汗を零して花瓣へ墜ちて行つた

・鹿らの角を埋葬しよう白い街の区域に その街は僕の眼球のうちにあるのかしら

・未だ太陽に異常がない 雨滴らと美風な星らと虹晴れの喜劇を夢みる

・墓地經營者の白い沓(くつ)に入つて蟻らの脚らすみれの花瓣ら永遠にたのしみ給へ

・朝つぱらから銀いろの乳母車が白菜の匂ひとレーニンのデッサンを載せてきた

・無線電信塔は神聖な白い掌 開花する蓮の花ら 自働開閉橋

・太陽の掌からシガレットの白い陽炎(カゲロウ)を吸入してゐる、タバコ畠の白い尺度(ハカリ)と少年と僕と

・美風な齒車のために貢献した僕達の隕石らとそして5ミリグラムの蟹の心臓(ヘルツ)達!

・白い地球儀のかげに海べがあれば少女よ日傘をひろげよ

・優美な鮫の血がながれてゐるだらう植物の綠の晴衣よ

・電柱はたんぽぽのやうな月を飾りもう夜あけである事を示す

・夏菊の花白い胸の小鳥みんな物質は軽い衣につゝまれてゐる 

・空に白く燈台のごとくみゆるものそれがはつ秋の太陽であるか

・限局された地球の一部分にのみ桔梗の花をつけた煙突が見える

・希望のない秋草電柱のかげに麗しい女の着物は燃えてゐるか

 

 

 中野嘉一氏の蔵書等は、現代詩歌文学館に寄贈されたとのことである。

 

中野嘉一 Ⅱ

 

 モダニズム短歌 目次

 

 

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廣江ミチ子 Ⅰ  (モダニズム短歌)

 

 

・花ひらく この家のフラスコは既に壊(こは)れた 古びたる庭の隅で羊齒は風琴を彈(ひ)いてゐた

・音符の灯がついた あかるい階段を一つ一つのぼつて行くピアニストのてぶくろの影 あれはラヂオです

・いく晩も年りんに月が出た 稚魚の住む みづうみは銀のらつぱである

・海へ流れたヴイオリン だまつて切符をさし出す

・せめて風のすぎるをきかうよ あの音はほら二人でのつたブランコの繪だ

・夕ぐれへ 赤い燐寸の軸をならべあふ 街は つめたい花の土にしみ

まひるの影さした 海はとほく去り 時計台の砂しづかにこぼれてゐる

・あの音だ うみぞこのとほい魚族にまはりどうろうの繪をきりぬいてゐる

・くびわにリボンをはめて過ぎて行つた 船は季節の可愛いい小犬であらう

・いく枚も葉脈に灯をとぼし 顯微鏡はゆれていく聖歌隊であつた

・つめたい葉脈をのぼつて行く あしうらはさびしい 小虫だつて一つづゝ水筒をもつてゐる

・翅をたゝみ そつと脊のびする ボタンの穴に家々夕げをたべてゐる

・コトコトとゆれながら オルゴオルは海をわたつてゐた 言ひつけを 私は忘れてはゐない

・驛に 古びた影繪が停り 火藥さびしう うしろみてゐる

・かいだんにとまる騎馬のひとみ ゆうべの花火であつた 

・木はかすかに耳たてて 往つたほばしらは粉雪に海圖 ぬれてゐる

・傷痕のすあしに椎の木がついばんでゐた 蟲は家に硝子をはめて歸へる 

・明るい 瓦斯にとまる扇の繪 馬にはひとり羽根のばうしだ

・一頁 階段といく 風車の砂をはかる日よ 旗ふる手は袋があつた

・海にいく ゆふぐれのぎん紙に描く 霧たつ少年と鏡面がうつり

・海に花粉が降る 獨り身の羊齒類に病ひがあるから

・ゆるやかな速度で少年は歸へる 灯のついたパセリの中にハガキを書いた

・そつと手を握る貝類の卵の袋 さびしい放浪に月夜は階音である

・のぼつてゆく らんぷの現象に 莢豆は午後を指す近海航路

・泳ぐと あめんぼのなかに汽車が走つた 爽やかな海流に点字を落とす

・森林は瞬間あかるく反射した 蜃氣樓に亞麻の卵はヨツトにのつてゆく

・さうして 彼等は求愛した 網膜にしつかりとつぎをあてて 今度は木綿の袋を散歩に出かける

・合唱のリズム 巧妙に拒否するものがたりを終り海の聖書をはじめた

 

 

廣江ミチ子 Ⅱ

 

モダニズム短歌 目次

 

 

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日比修平『冬蟲夏草』Ⅰ (モダニズム短歌)

 

 

・斯きて花ひらかせし罪ゆゑにひとでとなりて土にひれふす

・溫室の天のガラスに海港のとある場面がさかさまに見え

・御(おん)とのゐ絶えてあらねば球根はにく厚き芽をふきにけるかも

・溫室にぬすびとひそみ居るなれど花瓣がそつてひらく夜となり

・裝束のふくめんいまは脱ぎすてて花の變化(へんげ)を隙間(すきま)見するも

・粘土をばぱんぱんたゝく家の灯が干潟にとどき更けわたるなり

・めろめろと紐やうの蟲這ひゆくは水のたまりをさとりしならむ

・夜をひかる蟲水中に無數ゆゑ下駄や位牌がうちよせられぬ

・軍艦が照らしいだせど貝るゑは夜のいとなみを恥ぢらはぬらし

・猫族が貝がらを嚙むおとかなし干潟のそらに菌絲萌えつゝ

・靑貝のかふすぼたんはしのばせて杏の花のしたにしやがみぬ

・てふてふはとてもしつこいよしなれば伏せの姿勢でやりすごすべし

・なめくぢはまだ棲まねどもとろとろと日のけぶる野は痒くてならぬ

・たなごころに觸るる生毛よ梨の花遠野にうかぶ晩ともなれば

・ももの木をゆすれどこれは樹木にてぜんたいとまれと木靈(こだま)が云ふよ

・花々の瓦斯にやられた鳥が居る赤いまつちをすつてくだされ

・をみなごは帷子(かたびら)あわあわ羽ばたきて茗荷(みようが)畑のそらを過ぎゆき

・貝類はすがたしどなく小波のひそけきままに動かされ居り

・びやうにんの列は音なくさざなみの白きわらひを踏みて行くかも

・らんかんにしてらしやめんが息づけどここにたくさんあるさぼてんなり

・をとめごの寝ほるるころをあららかにはちすの花は開きけるかな

・眼のみえぬかはずとかげはからたちにさまも無礼になげつけられし

・さかな飼ふ館(やかた)のあるじいま眠り靑い魚群にうなされてゐる

・ところてんそのほかへんな臓腑などが枝にまつはり空にもおよぎ 

 

 

 モダニズム短歌 目次

 

 

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水夫とマルセイユの太陽  星村銀一郎  (稲垣足穂の周辺)

 

 

薔薇の化粧をしたマルセイユの太陽は軍艦のマストの上で逆立をしてゐるやうに
水夫は船窓の花の中から桃色のストツキングに包んだ足を出してゐる
水夫の喫つてゐる暖かいコステユームに似た煙草は花屋の煙突である

港に菫色の薄明が盗人のやうに足を運んで來た時には
水夫は旣に午前の睡眠の上に落ちかゝりながら漸く腕を支へてゐた
マルセイユの太陽がパイプを啣へてやつて來た時にはアスパラガスのやうに微笑つてゐた

マルセイユの太陽には水夫は借金がない筈だ
波斯猫が眞珠の目を瞠つて遊戯を眺めてゐる
マルセイユの太陽が再び薔薇の化粧をして
パリアツチのコステユームを着て歸つて行くのを煙草を吸つてゐた水夫は知らない
桃色のストツキングが綠色に變つて其處から足のない海月が顔を出してゐるのも知らずに水夫は頸を振つてゐる

 

関西文藝 第6巻第2号 (関西文藝協会1930年2月)

 

 

星村銀一郎 PARE SSEUX MERITE (怠惰な偉勲)


稲垣足穂の周辺 目次

 

 

モダニズム短歌  目次

 

明石海人『白描』

飯田兼治郎

筏井嘉一『荒栲』Ⅰ

筏井嘉一『荒栲』Ⅱ

石川信雄『シネマ』Ⅰ

石川信雄『シネマ』Ⅱ

石原純

井上多喜三郎

上田穆 Ⅰ

上田穆 Ⅱ

太田靜子

小笠原文夫『交響』Ⅰ

岡松雄『精神窓』Ⅰ

岡松雄『精神窓』Ⅱ

岡松雄 履歴その他

加藤清

加藤克巳『螺旋階段』Ⅰ

加藤克巳『螺旋階段』Ⅱ

神谷徳重

神山裕一

草飼稔 Ⅰ

草飼稔 Ⅱ

下條義雄 Ⅰ (げじょうよしお)

小關茂 Ⅰ

小關茂 Ⅱ

小玉朝子『黄薔薇』Ⅰ 

小玉朝子『黄薔薇』Ⅱ

小玉朝子『黄薔薇』Ⅲ

兒山敬一

斎藤史『魚歌』Ⅰ

斎藤史『魚歌』Ⅱ

斎藤史『魚歌』Ⅲ

坂野健

佐藤登里子

清水信

白井尚子 Ⅰ

逗子八郎

鈴木杏村

簇劉一郎 Ⅰ

簇劉一郎 Ⅱ

高須茂

高群郁

田島とう子

立原道造

田中武彦

田中火紗子 Ⅰ

田中火紗子 Ⅱ

津軽照子『秋・現実』Ⅰ

津軽照子『秋・現実』Ⅱ

出口王仁三郎

中田忠夫

中野嘉一 Ⅰ

中野嘉一 Ⅱ

中村鎭

成川はつ子

沼欣一

橋本甲矢雄

橋本華子

早崎夏衞『白彩』Ⅰ

早崎夏衞『白彩』Ⅱ

早崎夏衞『白彩』Ⅲ

林亞夫

早野臺氣(二郎)『海への會話』Ⅰ

日比修平『冬蟲夏草』Ⅰ

平井乙麿

平田松堂『木苺』

廣江ミチ子 Ⅰ

廣江ミチ子 Ⅱ

廣江ミチ子(新庄祐子名義)

藤井千鶴子

本田一楊

前川佐美雄『植物祭』Ⅰ

前川佐美雄『植物祭』Ⅱ

松本良三『飛行毛氈』Ⅰ

松本良三『飛行毛氈』Ⅱ

松本良三『飛行毛氈』Ⅲ

美木行雄 Ⅰ

美木行雄 Ⅱ

水野榮二

三宅史平

宮崎信義

村上新太郎

村田とし子

山田盈一郎

 六條篤

 

このブログ作成に関してオーテピア図書館(県立図書館や市民図書館だった頃から)の若くて優秀な司書さん達に御協力戴きました。司書さん達の適切なアドバイスやインスピレーションのおかげでこのブログが出来た、というより、その方達がいなければこのブログは生まれていなかったと痛感しています。感謝。

 

 著者についての情報やご意見を戴ける方はこちらまで。
nostrocalvino@gmail.com

 

モダニズム短歌を理解する上で、他ジャンルのモダニズム作品も参照すべきだと思い、モダニズム俳句やモダニズム詩(「詩ランダム」は主にモダニズム作品、「稲垣足穂の周辺」もそれに準ずる)のページも設けました。

稲垣足穂の周辺

 詩ランダム

 モダニズム俳句 目次

 

中田忠夫  (モダニズム短歌)

 

・さるにても遠き月日よあまざかるIRANの空に馭者座(カペラ)がまはりし 

・遠くにて銀河のめぐる夜々(よよ)となり魚(うを)の目玉にガラス植ゑらる 

・牛追へば白き月いでぬ郷愁よ樹々を吹く風に言葉はならず

・かぎりなく散るは鱗翅か秋なれば窓に硝子の波紋もみえくる 

・野の果てに石(いは)のごとくに棲みついてもう明け暮れに悔いさへもない 

・十月の空の深さの下ゆけば君の日蝕晝の星でる

・地下室に薔薇花(ばらばな)うゑよひんやりと壁にあなたの溜息かかる 

・驟雨(スコール)は海から襲ふ構へなり國際市場に赤い旗でる 

・世界は今なべて夜なれば嵐ゆく闇のなかなり音のみきこゆ

・遠くから軍馬の列の近づけばすでに地獄のうたごゑあがる

・娘らの微笑はいつも羚羊の跫音(あしおと)のやうに臆病なりき 

 

 

 モダニズム短歌 目次

 

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田島とう子  (モダニズム短歌)

 

・屋上のともしき土に誰(た)が植ゑし鳳仙花のはなこぼれてやまず 

・月にさへかくれまほしくせし秋のいたきおもひはわが影となりぬ 

・逝く秋のひと夜のをごりセロ聞くと好きなる衣(きぬ)をとりいだしたり 

・ひとも無く會場もなく音律のながれにひたりてわれさへもなく 

・さぎりの鋪道のおち葉フイナーレのピニシモなほ耳にのこれる 

・つくづくと汽車にゆられてゆくこころただ秋かぜを聞かむばかりに 

・とんねるは山ひだごとにかかるらしはざまはざまを水のながるる 

・しんしんと落葉松(からまつ)ばやしはてもなしあるとしもなき逕のひとすぢ 

・細川のみなもとのみづ湧きあまりながれなづみて堪へしづもる 

・岩かげにわきてたたふる眞清水をしみらに見れば水泡(みなは)ごもれり

・生れて二日といへばみどりごの熟睡(うまい)かそけくてこの世のものならず

・兄といはれてすこしはにかむをさなごのこころは下にさぶしめるらし 

 

・おそざくらおそく咲きつつうらぐはし陽はみなぎらふ靑ぞらのもと

・植物園とおもふあたりにゐる靄の白き朝靄おほに流るる

・朝の陽はうづに射せども起きいでてなににまぎらふわれかとおもふ

・春の夜の月としもなく冴えわたりゆくへもしらず白雲ながる

・夜深き月のひかりはくまなくて槐若葉を照り透る見ゆ

・はるなれどはるかにおもふばかりにて白き花など身近くにおく

・山吹の散りてひそまるひとりゐのこの氣安さにふたたびかへり

・ひとりゐのはるのこもりゐやまぶきの白きをさせば散りやすかりけり

・めじるしの三本松をまがるとき梢蕭々とゆくかぜのあり

・たはやすくよろこぶわれかアパアトもこよひ菖蒲湯菖蒲のにほひす

・時すぎて桐のはなばかりなりあひあひてまづいふことはなにごとならむ

・つくづくとあひたきこころ汽車ながら松蟬きけば泪しながる

・いくへにもかさなる山のとほやまのあの山とおもふはたてのはろけさ

・麥熟れて穂波そろへり近づくと思ふばかりに胸ふたがりぬ

・かなしみていくたびゆきしみちならむまたしくしくにかへりくべけむ

 

 

 モダニズム短歌 目次

 

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